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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

塾の月謝についての考え方(その2)

さて、前回の続きです。いわゆる特待制度やスカラシップ制度がないだけではなく、嚮心塾では各種の「割引制度」がありません(あえて言えば同時にきょうだいで通っていただけるときのきょうだい割引くらいでしょうか。)。紹介割引、無料キャンペーン期間、月謝の日割りなどが全くありません。これもそのような制度を作ってはプロモーションに力を入れる大手の他塾さんと比べると「不親切」であるように思えてしまうでしょう。(まあ、そうした大手の他塾さんと比べるとそもそも月謝の額がこちらの方がはるかに低廉な月謝だとは思うのですが…。基本的にこういったところはあまり見ていただけずに「他の塾でもやってるんだから!」とリクエストされてしまうケースも多いのです)

これにも理由があります。それは、その1でも書いたように手間のかかる子を鍛えるのにはめちゃくちゃ手間がかかる、という事実に対して、こちらが腹をきめて取り組むためです。

この「手間のかかる」には色々なケースがあります。

たとえば今年東大文2に合格した子には毎日東大の英・国・社の答案を添削していました。嚮心塾の場合、解答と照らし合わせて添削ではなく、いちいち僕が入試問題を全て解き直す(としないと時間内にどの問題を深追いしてはならないか、どこまで記述の完璧さを目指すかの全体のバランスがわからない)ので、実質毎日大量の入試問題を解くことになります。彼だけでなく、今年は京大、阪大、東工大、農工大、その他私立受験生がいたため、それらの英語や国語に関しては全て自分で解いて添削をしていました。なので直前期は質問に答えていない時間帯でひたすら入試問題を解いているわけで手間はかかります。ただ、これらは「手間のかかる」受験生ではあるものの、実力が高く、「合格実績」が見込めるという意味では塾としてもコスパのよい生徒たちです。まさに「手間をかけたい」生徒であると思います。(そしてこれらの子達に手間をかけることは、殆どの塾では徹底してやっているはずです。)

一方でどうにも「合格実績」に繋がらない子たちもたくさんいます。そもそも塾をサボる、来ても寝ているか携帯をいじる、あるいはこちらが指示したとおりに勉強しない、その上でやはりそのような状態なので、勉強もできない。このような子たちにかかる手間はとてつもなく大きく、そして塾側としては「合格実績」という形の見返りはほとんどありません。機械の修理なら、「これはまるごと部品交換しないとダメなので、追加の修理代がかかりますね。」「何なら買い替えたほうが安いですよ!」とでも言えますが、塾ではこの子たちが手間がかかるからといって追加料金を請求したり、「もっとできの良いお子さんに育て直した方がいいですよ。」と言うわけにもいきません(まあ、個別指導の併用を勧めてさらにむしり取ろうとする、という塾もあるのだとは思いますが、嚮心塾にはそれはありません。)。

だとすると、塾の側のこのような子への対策としてはビジネス面を考えれば二通りしかないわけです。
①入塾を断る。(実際、成績表で「(5段階評価で)2以下」がついている子は入塾を断る塾もあると聞きます。何のための塾なのでしょうか…。)
②入塾させておいて、放置する。もちろんその子達はうからないが、「意欲のある子たちがその塾のカリキュラムで難関校に受かっている以上は、責任は塾にあるのではなく、やる気のないその子達自身のせいである!」という主張をしてお月謝だけもらう。

という二通りのアプローチが合理的であることになります。もちろん実際には
③そういう「落ちこぼれ」の子だけを見る!という名目でターゲット層を絞った塾を運営する。

という戦略もあります。多くは①か②、ときたま③がビジネスとしてなされている、というくらいでしょうか。(ただ、③に関してはシェルターとしては機能しているものの、それがそこに通う子たちにとって意味のある受験になっているのかどうかはかなり怪しいと思っています。それぐらいに勉強の基礎も意欲もない子たちにそのような習慣をつけたり実力を伸ばすことは難しく、恐ろしく手間のかかることであるので、素人の大学生ではできないどころか、我々プロでも難しいのです。もしそれを大学生講師でできているのだとしたら、それは運営がアルバイト代では見合わない大学生講師の善意や努力を搾取しているだけの構図だと思います。)

嚮心塾ではこの①〜③のどれをも採用していません。やる気のない子も、やる気のある子と同じように、こちらからその可能性を諦めることはなく、徹底的に努力します。たとえば今年の事例だけで言っても

「塾の前まで車で送られても、そこからさぼってしまうようなやる気のない子をお母さんとメールのやりとりを密にしながら(年間1000通以上はやりとりしたかと…)塾の周辺で隠れているところを探しに行く」
「生徒がさぼってないかどうか、生徒のtwitterの書き込みをチェックする(それで「午前中はリスニングしてます!」というサボりを見抜きました!)」
「どうしても来れない再受験生に何度もメールでやりとりをする」
「学校の勉強をしたくなくて放校されそうな子とも何度も話し合う」
「生活リズムが崩れて夜型になっては勉強時間がとれない子のためにどのように生活リズムを作るか様々な提案と試行錯誤をする」

などなどです。もちろん勉強に意欲を持てない子たちに、どうして勉強を今するべきかを話したり、その他進路相談、人生相談、恋愛相談、家族についての相談、などを挙げたらキリがありません。反ワクチンの考えをもつ子ともワクチンを打つべきかどうか議論したりもしました。勉強だけ教えていれば済むのなら、業務量がそれこそ10分の1くらいにはなる気がします。。

こうした「手間のかかる」子達、しかも合格実績という「成果」を見込めない子たちに対しても、こちらがフルにコミットし続けるという覚悟を持ち続けるための動機の一つとしてやはり「規定のお月謝を払って頂いているから」ということが僕には必要です。それは僕の不徳のなすところであり、「割引していようと、何なら無料塾であれ、ボランティアであれ、普段から偉そうなことを言ってるんだから、そのようにフルにコミットすればいいじゃん!」と言われたらそのとおりなのかもしれません。

ただ、ここには徳の低い人間なりの理屈がありまして、たとえば手塚治虫先生のブラックジャックでなぜブラックジャックは高額な治療費をとるのか、ということにも通じるものがあると思っています。人が覚悟を決めるのは、相手が覚悟を決めることに対してのみである、ということですね。相手が覚悟を決めていないのにも関わらずこちらが覚悟を決めたとしてもそれでは何も伝わらない、ということに陥りがちです。

あるいは僕の敬愛するジャン・ジャック・ルソーの言葉を借りるのなら、『人間が自ずから善をなすとき、そこに徳は存在しない。人間が自らの弱さ、汚さに抗してそれでも善をなそうとする時、徳が存在するのだ。』という言葉もここと関係していると思っています。「有徳な人」というのは誰にも彼にも一方的にgiveだけを為す人ではないと思っています(それは押し付けがましい人、もしくは自分が優位に立ちたい人です)。相手の「徳」に対して自分も「徳」で呼応せざるを得ない人のことを僕は(自らの弱さに打ち克とうとするという点で)「有徳な人」だと思いますし、それはまた規定のお月謝をお支払いいただく、という「徳」に対してこちらも「どこまでも面倒を見る。決して諦めない」という「徳」で応答し続けたいと思う理由でもあります。自身が(ある限定的な局面で)一方的なgiverであること(それは他の局面では一方的なtakerであることに支えられていることが多いのだと思います)よりも、自身がこのように「有徳」であり続けることの方が難しいのでは、と年齢を重ねた今は思っています。

話が色々飛びましたが、その点でも規定のお月謝をいただく、ということもまた、こちらから変えるつもりはありません。
それは「覚悟」に対して「覚悟」を呼応できるのか、ということが問われる本質的な事態だけが僕にとっては大切なものであると思うからです。その点についてはご理解いただけるとありがたいです。

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塾の月謝についての考え方(その1)。

今年は合格者(=卒業生)が多くて、塾の経営がヤバいです!!いっぱい宣伝しなければならないのに、こんなめんどくさいことを書こうと思ってしまう自分が恨めしい。でも書かねばならないので書いていこうと思います。

嚮心塾ではいわゆる「特待生」「スカラシップ制度」というものを設けておりません。なので筑駒や開成や桜蔭で一位だろうが、それどころか全国一位だろうが、高2のときに理三A判定だろうが高3と混じって全国一位だろうが、規定のお月謝を払っていただきます。ここに関しては僕が塾をやる限り、今後も変えるつもりはありません。なぜならこれは、僕が塾をやる意義と直結しているからです。

対照的に多くの予備校ではこうした制度が充実しています。「東大の点数開示である程度高得点を取れていれば無料!・もしくは大幅割引!」とか、「医学部1次試験を突破していれば大幅割引!」とか、大手の予備校や塾ならみんなやっていますよね。このような制度が蔓延するのは当然の理屈で、ほとんどの受験生や親御さんは「合格実績」しか見ないので、このように「そもそも実力があるけれども惜しいところで落ちている子」というのは、来年の合格実績を稼いでくれる宝の山であるわけです。こうした子をいかに確保しては通ってもらえるかで来年の「合格実績」が大きく変わってしまいます。そこで多少ディスカウントしたとしても、その子が稼いでくれる「合格実績」を信じて、箸にも棒にもかからない「カモ」がたくさん通ってお金を落としてくれればよい!という計算です。非常にあざとい戦略だとは思いますが、ビジネスとしてはとても合理的です。そもそも(その2で後述するように)勉強のできない子を難関大学受験で合格できるレベルまで鍛えるのは、塾や予備校側にとってはとてつもなく、本当にとてつもなくコスパの悪い仕事であるからです。

もちろんこのようにきっかけとしては安いというだけで予備校や塾に通ってもらったとしても、そこでの講師の先生の授業はそれは一流どころを揃えているでしょうから、通ってみれば「あの先生の授業のおかげで実力が伸びて受かりました!!」と合格体験記で書けないことはないでしょう。「本当に○○ハイスクール(塾/予備校)のおかげです!」と言えないこともない。しかし、それはその塾や予備校の実力と言えるのかは僕は疑問だと思っています。あくまで、

「経営戦略上、優秀な生徒をほぼほぼタダで通えるようにしたら、その子達は元々優秀なのでやっぱり東大とか医学部に合格した。もちろん、その子達が満足する講義の質は高い。その合格実績に夢を見て集まる「カモ」達の授業料でしっかり担保した講師の質は高いので。」

というだけのことにすぎません。

さて、実はこのような手法は大手だけでなく、小さな塾でもやろうと思えばできます。特に嚮心塾はそこそこ東大も(理三含む通算4名!)も国立医学部(蹴った子も入れれば9名!阪医だけで通算4名!)も私立医も早慶もたくさん合格してるので、やろうと思えばそうした「合格実績」をエサにして優秀な子に「うちだと安く通えますよ〜!(まあ、元々だいぶ安いとは思うのですが…)」という制度を用意するだけで普通に集まってくると思います。そして、それを「エサ」として「ここなら今は成績悪い自分でも、もしかして東大や医学部うかるのかな…」と夢を見た子たちを半永久的に搾取することも、もう可能な状況になっていると思います。

しかし、そんな塾ってこの社会において何か存在意義ありますかね?元々東大に僅かな点差で落ちてる子を次の年に合格させるだけしかできていないのに、どうにも間に合わない子にも「君でも間に合うよ!」と嘘をついて月謝をかすめ取る、なんて有害でしかないし、何より生産的ではないと思います。そもそも東大に僅差で落ちる子は早慶には受かるわけで、その子が東大に行くか早慶に行くかなんて生涯年収で見ても大してその子にも社会全体にも変動を与えません。それを「実績」として誇っては、学習の基盤がなくて本当に教育が必要であり、かつその子達が勉強ができるようになり難関大学に合格することがその子達の人生にとっても社会全体にとっても大きな生産性やrevisionの機会を作ることになる子たちを「金づる」としか見れない仕事なんて、僕は無意味だと思います。そんなことに一度しかない人生を一秒たりとも費やしたくはないとさえ思います。

嚮心塾の合格体験記を読んでもらえば、ほとんどの合格者が最初はどうしようもない状態から始めて合格に至っていることがよくわかると思います。もちろんこれは勉強ができなかった受験生の全てが必ずうまくいっている、ということでは全くありません。また、最初からそこそこできた子が足りない部分を補った結果としての合格、というケースもあります。しかし、うまく行かなかった子もうまく行った子も、ゼロから始めた子も足りない1ピースを求めて来た子も、そのどの塾生に対してもその子達が合格するためのプランと戦略、指導において手を抜いたことはありません。どのような状態の子に対してもこちらにできることに見落としはないかを必死に悩み考え抜くこと、本人以上にそれを悩むことにしか、塾を続ける意義などないのではないか、と考えております。そこに少しでもブレーキをかけ、「そんなこと必死に悩まなくても、しっかりカモは集まって経営的にはうまくいってるじゃん!」という悪魔のささやきに耳を傾けることを自分に許さずに「毎年結果を残さなければ塾が存続しえない」ための自転車操業と背水の陣を続ける毎日です。その点について、ご理解いただけたらと思います。(長くなりましたので一旦切ります。その2に続く。)


(一方で、「その理想は良いとして、弾力的に運用して経済的に困窮している子には力になってあげればいいじゃないか!」という主張もあると思います。それに関してはノーコメント、と言いたいところではあるのですが、その子の成績にかかわらず、本当にお月謝が厳しい場合には相談して様々な形で対応してきました。しかし、これも難しくて、やるべきだったのかどうか、かなり悩ましいと今は反省しています。その子達の人生においては大きな支えとなるものを得られたとは思いますが、僕自身、たとえばお月謝をいただいているご家庭とそうではないご家庭とで本当に指導の質に変わりがないといえたのか、と言えばあやしい部分もあります。やはりそこまで僕自身が人間ができていない、というところです(まあ、「この御恩は一生忘れません!」と言われてもすぐに忘れられますし。まあこれも仕方ないことです)。この辺りはその2で書こうと思います。)

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2022年度受験を振り返って(その4)

E・S君(開成高卒)   大阪大学医学部医学科合格(進学先)
                 他合格校:慶應義塾大学医学部、防衛医大(1次合格)

入学準備を大体終えました。二十歳の癖して親の助けが無ければほぼ何も出来ない。当たり前のように思えますし、当たり前なのですが、やっぱり自分は未熟だなと思ってしまいます。という訳で遅くなりましたが、自分の人生を最初から振り返りつつ、受験体験記を(長々と)書かせて頂きます。

私は4歳の頃から、姉が勉強をしているのを見て自分もやりたいと思い、勉強を始めました。勉強はどうやら自分にあっているらしく、しかもその頃は「ああ勉強ってすごい楽しいな」と思っていたこともあり、どんどん出来るようになりました。小学四年生のときにenaという塾に入塾し、最初から成績は全科目で常にトップ付近、都立私立に関わらずテストは必ず上位にいて、入塾した年には全国統一小学生テストで決勝大会に進むことが出来ました(理科について言えば全国で3位でした)。そして当時の塾の先生に「チャレンジ校として開成を受けてみないか」と持ちかけられたので実際に受けたところ、無事開成中学に合格することが出来ました。西武学園文理中学校の特待入試、学芸大学附属小金井中学校の入試も合格し、全勝でした。

元々小学五年生の時に漢検及び英検を5級~3級まで受けて合格し、中学数学を入学前の春休み1週間で終わらせていたこともあり、入学後の成績も上々でした。英検準二級も(たまたま)受かりました。当然私は有頂天になり、このまま行けば何も問題ないだろうと思うようになりました。出来すぎてしまった、失敗を味わえなかった、であるからこそ、その後出来なくなってしまったのです。実は私は当時、一時的に数学研究部及び理化学部に入部していたのですが、同級生も含め、他の人が自分の知らないことをなんでも知っていることに気が付きました。私には無理でした、私はすごく出来るのだと思っていたのに全く太刀打ちできないことがあると受け入れることが。勿論逃げました、なぜなら授業の成績は良かったから。しかし、中学二年生になった途端、英語が意味不明な記号と化しました(言い訳させて欲しいのですが、私の代の英語教師は最悪であるという噂が立つほどで、今になって思えば、ろくに文法もやらせることなく唐突に長文を読ませ始め、リスニングも非常に速いものばかり聞かせてくるため出来ない子にとっては意欲を喪失させるものであり、単語学習も上手く言えませんが…マジで変なやり方をしてたんですね)。英語にいくら重点を置いて勉強しようとも全く成績は伸びず、52点を取って皆の前で大泣きしたこともありました(70点台すらほぼ取ることがなかったのに、耐えられるはずがなかったのです)。この頃から、それまでは一日あたりのやる時間の上限を決めていたゲームに没頭し始め、それをきっかけに親とも衝突し始めました。反抗期の始まり。ちなみに漢検二級は取れましたが、英検二級は落ちました。当たり前。

それでも私は「いやいや、あの天下の開成の授業がその辺の塾の授業より酷いわけが無い、きっと僕のやり方が悪いのだ」と思い続けました(家が遠い都合上、鉄緑会等有名な塾に通うことは出来ず、当時は独学でした)。中学三年生の夏頃、親に説得されて姉が通っていた嚮心塾なる塾に通うことになりましたが、やはり前向きにはなれず、さらには「文法書をひたすら読め」という塾長の言葉も信じられなかった(私は小学五年生で3級まで取ったんだぞ、そんな''よく分からない''けど初歩的なところで躓いている訳が無いだろう)。英語以外は相変わらず出来ていたし、定期考査前には勉強会を開き、友達に勉強を教えていたくらいでしたので尚更行く気なんて起きませんでした。定期考査だけ、それだけ出来たんですね。(どうでもいいですが、この辺りから人生について考えるようになりました)

高校生になりました。定期考査の勉強しかしないと、その為にそれまでの考査の勉強内容を忘れるんですよ、そういう風に頭は働きます。つまり、出来なくなりました。センスのある(であろう)数学、現代文以外の全科目。数学も段々できなくなってきました。それでも高校一年生の間は塾に行きたくない、週三〜週四で行ってましたが、単語テストにダラダラと時間をかけ(なんと5時間かけてました)、隙あらば早く帰ってそれを免罪符にゲームをする日々。逃げるのは楽しかったかな、それはそれで。さすがに先生は分かっていたんでしょうね、早く帰ろうとしている私に対して一度だけ叱ったことがありました。あまり意味は無かった。生徒の習慣を変えるのは本当に大変です、であるからこそ、塾、学校問わずほぼ全ての教師が生活習慣について言及せず、「お前らの責任だぞ」程度で切り捨てるのでしょう、一番大切なことなのに。全ての生徒に対して誠実に向き合い続けようとする塾長の姿にはやはり頭が下がります。

高校二年生になりました。この辺りから(数学と国語で偶然いい成績を取ったおかげで71位/400人となった一度を除いて)下から数えた方が早い順位を、学校の模試で取るようになりました。ようやく夏から本腰入れるようになり、英文法書を読み始めたり、高校数学の基本、即ち教科書からやり直したりしました。しかし私の学校は運動会に物凄く力を入れており、勿論私も運動会が大好きなその一人でしたので、運動会が終わる高校三年生の六月まで両立する形になりました(団長に立候補したり、エールの歌詞や振り付け等を皆で考えたりしてました)。数学は得意でしたので1A2Bの方は割とできるようになりましたが、英語の方はそもそもセンスも何も無い、始めるのが遅かったのもあってまだ全然出来ない、夏に始めたセンター英語では120~150点に落ち着き、毎日「並び替えを落とすな」「文法が甘い」と塾長に言われ続ける日々でした。しかしそれでもようやく、文法の大事さを理解し始めましたし、ほんの少しではありますが実力の伸びを感じました。

秋になり、理科を始めました、勿論基本のキから。定期考査対策としてこなしていたはずのそれらは何一つ覚えていませんでした。また東北大学の医学部医学科を目指すことになりました。多分塾長が、当時の私が目指すことができる場所として提示したのだと思います、多分。そして秋に河合塾の東北大学模試を受けました。これがたまたま上手くいってしまったんですね、B判定でした。全く出来ないはずの英語、始めたばかりの理科ですら偏差値60台を取ってしまって(重ねて言いますが、たまたまです。塾の採点は頑張ってこそいるものの、大したものじゃないんです)、すっかり勉強嫌いになっていた私にとっては「なんだ、大学受験って余裕じゃん」と思うことで逃げ道になっちゃいました。一応言っておくと、センター試験模試の方は671/900でしたから、国公立医学部を目指しているにしてはめちゃくちゃ低いのです、塾長は「いやこれ君全然、マジで伸びるよ」って仰ってくださいましたが、やっぱり私は定期的にサボるようになりました。サボる手段というか、口実なんていくらでも作れちゃうんですよ。ついでに言っておくと、センター試験のリスニングの演習でなんと一回12点/50を取ったことがあります。確率すら超越してました(4択ですので)。さらに言っておくと、防衛医大の一次試験は落ちました。そりゃあね。

防衛医大を除けば、実に6年振りの受験を迎えました。センター試験は確か714点くらい。後期は勿論無理で、前期は東北大学に出願し足切りをギリギリ回避しました(塾長と「これ多分僕最下位ですよね」なんて話し合ってました)。東北大学は結局不合格で、それも不合格者ランクF判定(つまりほぼ最下位)でした。英語は勿論のこと、いくら理科や数学が得意とは言っても大して身を入れていなかったこと、数学が極端に易化したのに計算ミスを連発したこと等、ボロボロでした。余談を挟むと、私は試験直後は「受かった!」なんて思いました、実力が無かったから。親にもそう言っちゃった、最低だ。浪人の始まり。

コロナが流行り始めました。やる気は起きなかったので、4月~6月の間、家にこもりました。一応5月に入ってからは、一日にした勉強の内容及び時間を塾長にメールで送るという形をとり、8〜12時間の勉強時間を確保していました。コロナが全く収束しそうになかったので、腹を括って7月から塾に通い始めました。文法や英文解釈をひたすらやっていたお陰か、センター英語で9割以上を取れるようになりました。伸びを感じれば勉強なんて楽しくなります、夏休みの間は一日15時間勉強しました、一番早くに塾に来ようとか、そんなこと考えつつモチベを維持しました。いつしか、京大医学部か理科三類を目指すようになりました。今だから白状しておくと、理科三類に行きたいと思うようになりました(一応述べておくと決して学歴の為ではなく、自分なりに目指したい、本当に大切な理由があったのですが、他人からすれば極めてしょうもない事柄ですのでこれだけは隠させて頂きます)。今度は防衛医大の一次試験に合格することが出来ました(塾長には君の実力なら当然と言われましたが、それでも嬉しくはありました)。

努力が苦手なんですかね、さすがに長続きしませんでした。それでも理科三類に合格したチューターのK先生(2020年に合格体験記を書いておられます、是非読んでみてください)とお話する等して適度に勉強する習慣をつけていました。塾長とも色々話をし、人生についてより深く考えるようになりました。最後まで迷いましたが、この時は防衛医大の二次試験は蹴りました。特にこの頃から、塾長には試験の取り組み方について(これについては後述します)しつこく、何度も何度も繰り返し指導して頂きました。塾長曰く「猪突猛進な性格」のせいでこれが一番難しかった、最後まで足を引っ張り続けることになります。

二度目の受験がやってきました。この年は(政府の安直な考えのせいで)共通テストに変わった初の年でした。それでも、地理やリスニングが出来なかったとはいえ、東大換算で808点、後期の千葉大学医学部換算で816点。かなり成長したのだなと感じました。ただ一つ、東大を受けるにあたって支障がありました。そう、リスニングです、全く出来ない。550点中30点を占めている上、他の受験生は理科三類志望に限らず総じて得意とする部分ですので相当なビハインドでした。それでも受けたかった。結局受けさせてもらえることになり、リスニングを必死に頑張りました。しかし、流石に間に合いませんでした。本番は数学が悪問化した!と言われる年で、自分もそれに引っかかりました。塾長に「Twitterを見るなよ」と言われていたのにも関わらず見てしまい、根も葉もない噂が大量に目について気持ちを揺さぶられ、2日目の理科でも失敗し、英語の時間はもはや「早く終わってくれ」と思うレベルで、笑っちゃうほどに心で泣きながら解く感じになりました。落ちたと確信しましたのですぐ後期の勉強を始めました。
結果、後期は1450点満点で60点差で落ちました。数学では「弧」と「弦」を見間違えた為に大問1つ丸々落とし、理科でも問題文をよく読まなかった(電位の基準を取り違えた)ために丸ごと落とした問題があり、面接も上手くいかなかった、当然の結果でした。「違和感を感じたらちゃんと読み直せ」というのが先述した塾長からのアドバイスの一つでしたが、それに従えなかったがために落ちた訳です。ちなみに帰った後に東大の点数開示を見たところ、550点満点で約50点差で落ちていることが分かりました、不合格者ランクはBランク(確かEまであります)、実力はやっぱりすごい伸びたんでしょう、塾長のアドバイスがどれほど有効か、それを守らないことがどれほど愚かか、この二度の試験で痛感しました。

二浪目になりました。最初の頃は割とコツコツ勉強出来たのですが、午前中にリスニングをやるというつもりがどんどんやる気が無くなってきて、6月辺りから勉強時間が5時間ほどになりました(リスニングがどうしても出来るようにならなくて辛かった)。自分でもよく分かりませんが、一度勉強を極度に嫌ってしまったがために、いくらできるようになろうと嫌いなのは全く変わらず、その逃げ道として他のコンテンツを利用する形をずっと取り続けているのだな、というのは感じていました。ただし、決して感情の奔流にただ流されっぱなしではなく、いかにして自分が勉強(リスニングも含め)に取り組めるようにするかは常に考え続けました(私はこれを努力のための努力と呼んでいます)。結局勉強時間を取り戻すことは出来なかったのですが、秋頃になって塾長にサボり癖が(また)バレて、元々何とかしたいと思っていたのでこれをきっかけに最後の追い込みをかけることが出来ました。そういう意味では多分私自身相当に(人間として)成長したのだと思います、そういう意味ではね。
また二浪目には、一浪目は一度も受けなかった模試を受けることにしました。駿台や河合塾主催の東大京大の模試及び、駿台全国模試を受けました。東大型の模試では一度も英語で60点以上/120を取れたことがありませんでしたがそれでもB判定~C判定、京大型の模試では時にA判定を取れるようになりました。勿論、防衛医大の一次試験も通り、流石にこれ以上浪人する訳にはいかない、早く医者になるべきだと感じましたので、面接の練習をして二次試験を受けました。

3度目の受験が始まりました。一浪目までは社会科目として地理を選択していたのですが、高得点がどうしても狙えないと考えたので倫政に変え、受験直前はひたすら倫政の勉強をしました。830点は超えたいな、ぶっちゃけ普段通りに、塾長のアドバイス通りにやればそれくらいは行けるはずって思いつつ、共通テストを受けました。大惨事でした。過去最高の難易度であったからというのは勿論ですが、2日目最初の1Aであまりに極端な難易度だった為、警戒してしまったというか、気負ってしまったんですね。それよりは簡単なはずの2Bや理科でひたすらに問題文を読み間違え、設定を捉え間違え、惨憺たる結果になりました(1Aがダントツで難しいはずなのに、結局いつも通りにすることができた1Aが1番高かった)。自己採点は732点(ちなみに倫政は流石に90点取れていました)。僕は何も学んでいないじゃないか(Twitterは見なかったけど)とか、本番ってこんなに残酷だったのかとか、色々考えた。本番の重圧に耐えられなくなり、今年合格せねば自分のことを応援してくれる人達にも顔向けできないというのは元々考えていたこと、それから防衛医大の二次試験が(多分)喘息持ちというだけで落とされたために保険が無くなったことから、英語の相性が極端に悪い理科三類ではなく、京都大学医学部か大阪大学医学部に志望を変更することにし、国語の勉強すらしたくない、研究面で強いのはどちらも同じだと考え、学歴には興味が無かったので大阪大学の方を受験することに決めました(多少なりとも将来の自分に選択肢を与えられるような大学を受けたいと思っていたので、それ以外は考えませんでした)。

今年は塾長や家族と相談し、学費の面で敬遠していた慶應義塾大学医学部も受験することに決めていて、まずその一次試験を受けました。相も変わらず本番特有のミス(人生で初めて時計回りと反時計回りを間違えました!)をしたり、塾長のアドバイスの一つである「途中でわからずとも、問題文の最後まで読めばその全体像が見える」というのを守れなかったりしたりしたために不安要素こそ残りましたが、それでもかなり改善された方で、手応えは悪くありませんでした。そのまま大阪大学の入試を受けました。
数学と英語で過去最高の取り組み方ができましたが、理科で本番特有の魔物がやはり現れ、普段なら書く図を書かない、分母と分子を間違える、分数の中央のバーがマイナスに見えてしまう等、様々なミスをしました。それでも、出題ミスのあった有機化学への対応の仕方等は上手くでき、大惨事を防げました。姉や塾長に面接の話し方について色々アドバイスを頂き、面接は割といい感じに話せた、という感じで終わりました。

慶應の一次試験が合格したことが分かったので、二次試験の小論文と面接の対策を塾長と共に徹底しました。すごく良い出来でした。結局慶應は補欠となり(高得点勝負だったようです)、大阪大学の自己採点がひたすら頭を巡りましたが、千葉大学後期試験の対策をしつつ結果を待ちました。ようやく自分の受験番号を見つけることが出来ました、大阪大学医学部医学科に合格しました…(慶医も補欠合格しました)


以上が体験記となります。ちょっと自分の考えを話して終わりにしたいと思います。

まず''努力''について。
私の体験記を読めばわかると思いますが、正直なところ、私は天才なんですよね。他の人より遥かに勉強時間少なくて済んでいるし、子供の頃から多分めっちゃできていると思う。しかし勘違いしないで欲しい、これが私の精一杯の努力だったんです。つまりどういうことかと言えば、我々はただ「努力する!しなきゃ!」なんて思うだけで限界突破出来ないってことです。先程努力のための努力と言いました。既存の環境のみでできる努力なんて限られています、大事なのはいかにして努力をする環境、あるいは習慣を作り出せるか?だと思います。例えば塾長も、「家に居座り続けるとどんどん塾に行きたくなくなるから、その前にまず外に出る、そうすれば塾に行かざるを得ない」というふうにアドバイスされることがありますが、これもその一例だと思います。
さらには努力の仕方にも工夫がいります。なんで教科書が大切なんでしょう?勉強というのは伝言ゲームのように全ての要素が繋がっているものだからです。そのための基盤となるのが教科書に載っている基礎だからです。応用というのはあくまでそれぞれの要素を組み合わせたにすぎません、基礎は''簡単''なのではなく''必須''なんです。英文法における''例外''は''原則''を理解して初めて意味を持ちます。論理的に考える、というのはその要素同士を結びつける理屈に飛躍がないかを徹底的に吟味することです。それを踏まえると、いかに教科書が大切かよくわかると思います(やってみないと分からないか)。
最後に最も大切なことですが、努力って「目的を達成することが出来る確率を上げるもの」なんですよ。例えば努力したから受かるなんて、そんなことは無いんです(私は私なりに努力しましたが理科三類には至らなかった)。ただあるのは、その可能性はちゃんと縮まっているよね、ということ。そういう意味では努力は100%報われるし、一方で「受験前に俺こんなことしてる笑」みたいな自慢話がいかに愚かか分かるでしょう。その時点で彼らは確率に身を委ねているんです。そういったことを踏まえると、塾長が最後の最後までしつこくアドバイスをしようとし続けてくださるのはいかに大切なことかがよく分かる…かなと思います。

次に''人との対話''について。
学問というのは先程も言った通り、伝言ゲームのようにどんどん派生していくものです。従って勉強すればするほど未知の事柄は増えていきます。そうなると必然的に、その時々にする判断に対し、本当にそれが正しいのかどうか疑念が生じるはずです。あるいは無意識的にしていることではあるが、そうであるが故に自分では気がつけないことがあるはずです。例えば私の場合であれば、「中学入学前の春休みに中学数学を終わらせた」と先述しましたが、なんと当時の私、プラスマイナスの定義から丁寧に全て確認していたんですね(姉にそんなことまでやってるの!と驚かれたことがあります)。当時の私は今のように深く考えてなどいませんでしたから、「基礎を徹底的に埋める」という行為を自然に行なっていたのだとおもいます。しかし、塾長の言語化のお陰で気づけているのです。(勿論塾長の場合はそれを意識してやっているわけですが、そうでなくても)人との対話が、思考をより深められるきっかけになることが分かるのではないでしょうか。

最後に''学歴至上主義''について。
例えば就職においては学歴が非常に大事であるというのは正しいことです。企業側からしてみても、新入社員を悠長に吟味している暇なんてそんなに無いはずですから仕方ない。しかし、それを人の本質を知るための大きな判断基準として据えることはまた別のお話です。そもそも我々は一人一人全く違う環境で育っています。その過去全てをたった一つの要素である''学歴''だけでどうして判断できようか?人との対話は思考をより深められるきっかけになると言いました。そのための努力の必然性も述べました。学歴によって安直に人の価値を見定めようなどとしている時点で、思考の放棄、極めて愚かなのです。思考し続けることこそ、我々自身の価値が上がるのです。私達はやっぱり、いくら生きようとずっと未熟なままなんです。
勘違いされると困るので一応言及しておくと、決して「学歴を得るための勉強が要らない」とは言っていないことに注意して頂きたい。これもまた私達の思考を深められる一つの手段でありますから、「受験勉強が要らない!」というのもまた間違っていると思います。そういう意味では、学生のうちは素直に高学歴を目指すのがいいと言えるでしょう。

総括
努力は裏切りません。生きている限り、貴方のする努力は必ず貴方の価値を高めます。生きている限り私達は途中なのです。受験のための勉強は手段であるようで、(努力のための努力により)目的にもなりうるものです。それは受験についても言えます。受験が終わったところで我々の人生は終わりませんし、その価値が確定する訳でもない、目的のように見えて所詮手段なのです。私は「既に獲得した価値観に依存し、『自分は他者に比べて優れているのだ』等と思い満足すること」を「人生の妥協」と呼んでいます。何があろうと私は途中なのだ、通過点に過ぎないのだと思って、妥協することなく努力していきたいものです(自戒)。

塾の紹介も兼ねつつ、自分の考えを未熟ながらに頑張って述べたつもりなのですが、どうでしたかね。勿論ここに述べたことは所詮青二才の一つの考え方に過ぎません、そういう考え方を私はしているのだと思っていただけると嬉しいです。
やっとスタートラインに立てました、次の目標はとりあえず医者になること。どんな医者になりたいか等もある程度考えましたが、まずならねばなりませんね。

オマケ(本題?):塾について
まあみんな書いてるし…
良いところ
・あらゆることに対して相談に乗って頂けること。
・本番の心構えや普段の勉強に対する取り組み方等への徹底的な指導(普通の予備校や塾では有り得ないと思う)。
・塾長が(ほぼ)いること。質問を繰り返していけばいくほど、どう考えていくべきかが見えてくると思う。

良くも悪くもあるところ
・授業がないところ。行きたくないな…と思った時に行かなくて済んでしまうように見えてしまう。逆に言えばこういった面をどのように対策していくかを考えざるを得ないし、他の塾等ではありえない部分だが大事なところでもある。
・テストがないところ(単語等の口述でのテストは各自で設けられる)。短期的な目標は学生からすると取り組みやすく、それを一般の塾ではテストとして設けていると思う。それがないので目標を自分で設定する必要がある(まあ塾長が相談に乗ってくれます)。まあこれも大事だよね。

悪いところ(想像です、マジで)
・(さすがに)予備校の方がより難しい問題まで質問できる(と思う)。いくら塾長が優秀とはいえ、一人で全教科やっているので…しかしまあ、それほどの問題は殆どの場合本番で解けなくていいやつなので気にしなくて良い。

最後の方、ちょっと疲れて割と適当になってしまっています、すみません。
柳原先生ありがとうございました、お世話になりました。

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2022年度受験を振り返って(その3)

K・Sさん(女子聖学院高3)
            慶應義塾大学法学部合格(進学先)

                 他合格校:明治大学商学部、明治大学経営学部

私が嚮心塾に入塾したのは中3の12月のことでした。何となく偏差値40台の女子聖学院という中高一貫校を第1志望として中学に入った私にとって、大学受験(そもそも受験勉強自体)は未知のものであり、漠然とした不安が多かったことと、三田祭に行って、キラキラしててかっこよく思えた慶應に憧れを抱き、とにかく塾に行かないと!と考えていたことがきっかけでした。それまでは委員会や部活を多くやって、テスト直前だけ勉強して(答えを丸暗記して)指定校でICUに行こうとしていたこともあり、塾に通わせる必要性を両親に納得してもらうため難関国公立を目指すと嘘をついて入塾させてもらいました。

しかし、兼部や運動会実行委員、生徒会、学外のプロジェクトなどの掛け持ちのしすぎや、元々、英検も単語帳を見ずに運で受かるっしょと思って受けるくらい、真面目に長期間勉強をしたことがなかったため、入ってすぐの頃はろくに勉強できてなかったと思います。英単語はユメタンの黄色すらなかなか定着しないし、塾に来ても眠かったり、数学が訳わかんなかったり、、、。このままでは、国公立に落ちて慶應に行くことを目標としてたのに3教科に絞らないと間に合わないのではないか、そう思って先生と両親に私立専願にしたいと伝えたのが高1の11月頃のことでした。

その後はコロナの流行もあり、学校が忙しくなくなったため勉強時間の確保ができるようになりました。

また、この頃から自分なりの勉強法や今まで何がいけなかったのかが少しずつ分かってきました。英語の文法や古文の文法が覚えられないのはそもそも国語の文法を定期テストの時に答えの記号丸覚えですましていたから文法という概念自体が初めましてであること、天才は単語を1回見たら一生覚えてられるけど自分は馬鹿だから一生覚えられないのではなく、頭のいい人も単語を復習すること、だから自分はその3倍くらい見直せば定着するかもしれないこと、参考書は赤字以外の所が読んだつもりになっていたことなどなど、、、普通は当たり前な事が、答え丸暗記、テスト直前詰め込み以外の勉強をしたことがなかった自分にとっては新しい発見でした。

また、高1の2月頃には先生に面と向かって「先生に質問が出来ない」と号泣しながら相談したりもしました。自分にとって、質問は自分の1番分からないところを聞くツールではなく、恥ずかしながら、先生に好かれる為のツールだと思っていたことと、そもそも誰かに何か自分の事を相談することが苦手だったことが原因でした。

それからは、先生に質問攻め級に前よりも沢山の質問をするようになりました。そうするうちに、小学生レベルの社会を知らないから近現代の政治史が覚えずらいとか、国語は自分の共感できる選択肢を選ぶのではなく、文章が言っていることを選ぶんだとか、本当に基礎的で普通思いつかない所でつまづいていることまでも気づいてもらい治して行くことが出来ました。

時々、自分が分からないことに逆ギレしながら質問して、先生には申し訳なかったです、、、。毎回私が理解できるようになるまで諦めずに色んな例えを用いて教えて下さり感謝しています。

高2の冬頃からは勉強で分からないこと以外の悩みや精神的な相談も出来るようになっていました。周りの友達が遊んでる中で自分1人勉強して、なんか友達減ったし、スマホも依存症なのに家に置きっぱにして、家に帰った数十分程度しか見ず、放課後の友達との寄り道も3年間で片手で数える程度に抑えて、朝から晩まで勉強づくしで、私のJKライフを勉強に捧げてやってるのになんで点数良くならないの!?!?とか、早慶じゃなきゃ私の3年間は全くの無駄になるとか、推薦にすればよかったとか沢山悩んで沢山相談してその度に先生は自分のことを卑下する私を「頑張るぞ」という気持ちにさせてくれました。特に高3の5月頃、センター国語が伸び悩み、委員会の仕事が多く3時間ほどの睡眠で毎日死んだ顔して、号泣してた私に先生が投げかけてくださった「悔しいのは頑張ってる証拠だ」という言葉は自分の支えになっていましたし、入試直前に英語が読めなくなり、先生の言うことをしっかりとやっていなかったことが原因だと分かって大号泣しても、原因が分かればそれを埋めるだけだと前向きにして下さったことには本当に感謝しています。

高3の1年間はアウトプット重視の1年だったと思います。慶應志望ということもあり、本もすすめられた物を読みました。過去問を解いては先生と作戦会議して、そこで貰ったアドバイスをノートに書き溜めて毎回の過去問練や模試、(試験開始直前にも穴が空くほど)見て修正するうちに成績もまだまだ足りなかったのですが上がっていきました。国語なんかは、こそあど言葉とは?状態で、高1の時は進研模試の偏差値43で時間内解ききることさえ出来なかったのに、高3の5月以降は1番の安定科目になりました。小論も毎回添削してもらい、本番では法と道徳についての文で先生に読まされた本にドンピシャな事だったので本当に先生が神様に思えました。

入試期間中に明日から塾来ない、受験もうしない宣言したり、常に学力への自信がなく、教養皆無で理解の遅い私が、第1志望である慶應義塾大学法学部に合格出来たのは、ほんとのほんとに先生のおかげです!合格したことへの感謝はもちろん、活字嫌いの私が法律やジェンダーなど本を読むのも悪くないなと思えるほど自分の興味のある分野ができたことにも感謝しています。

受験生活をしてた時に時々思っていた事なのですが、先生は私より、私を受からせるにはどうするかを考えてくれているなぁと思うことがよくありました。バカな自分に見合わない難しい大学を志望校としてあげたら先生はどう思うのかなとか、この質問したら呆れられるかなとかそんなの考える必要なくガチで真剣に生徒のことを考えて、寄り添ってくれる先生がいる塾、そんな嚮心塾で受験できて本当によかったです。

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2022年度受験を振り返って(その2)

K・S君(武蔵高卒)     東京大学文科2類合格(進学先)
                      他合格校:慶應経済・商、早稲田政経・商

嚮心塾に入ったのは高二の秋頃でその頃周りが大学受験を始める中、そろそろ始めなくてはという感じで塾探しを始めていました。この塾に決めたのは最初は正直、他の塾よりも緩い感じがして、全く受験勉強に手をつけていなかったことから、ここでまあとりあえずやっておこうかぐらいの気持ちでした。あとは野球部に入っていたので時間の制約が多く、いつでも教室が空いているという点に惹かれました。志望校は東大文2にしたのですが、それもお金に興味がある、野球部の先輩とか周りが東大志望が多いからなんとなくという感じでした。全く受験勉強がどういうものか分からなかったのですが先生に一から教材を紹介してもらい、何周もやって次に進めることを繰り返していました。しかし高三の時はとりあえず量をやっておけば大丈夫だろうとどこかで思っていて、わからないところや過去問での間違いを見過ごしてきたりしてその結果早慶、東大全部落ちてしまいました。やはり合格したいという焦りもあったと思います。

浪人中は前年の失敗を踏まえて、わからないところがあったらどうして間違えたのか、間違いが判明したらどうしてそういう間違いが起こったのかを全教科でひたすら徹底しました。そうすると数学だと必要十分条件を常に意識して進める、条件を整理する、図を大きくわかりやすく書く、世界史、日本史だと単語のまる覚えというよりは単語の意味、時代感や流れを意識するなど去年は表面だけ引っ掻いていたのが勉強の本質に近づいていってるような気がしてきました。また古文、漢文、英語では品詞分解、文法を徹底することに行き着き、勝手な解釈がなくなっていき、一年目ではどうせわかる人にはわかるのだろうぐらいにしか思っていなかったのですが、この解答や解釈は必然なのだと思えるようになっていきました。また現国は1番苦手にしていてわかる人にはわかるのだろうくらいにしか思っていなかったのですが、先生が何度も添削をしてくれるうちに、文章を読み、題意を精密に吟味すれば、このような解答になるのは必然と感じるようになっていきました。お陰で東大の試験では国語が一番できたのではと思っています。

わからないことに目を背けず、わからないことを受け入れて、どうして間違えているのかを考える、どうして間違いが起こっていたのかを考える。ただひたすらそれを全教科でし続けている内に分かる人にはわかるのだろうとなんとなく思っていた答えがよくよく考えると必然なのだと分かった一年でした。添削をお願いしたり、質問をさせてもらえる嚮心塾の環境はわからないことがどうして間違えているのか、どうして間違いが起こってしまったのかをひたすら行うのに最高の環境だと思います。最後に二年間わがままな態度を取ったり、無茶な質問をしたり、膨大な添削をお願いしたりそれでも最後まで自分と真摯に向き合ってくれた柳原先生、本当にありがとうございました。チューターの皆様にも助けられました、ありがとうございました。受かりたいという思いも大事ですがとにかく勉強をとことん突き詰めようと思えば、自ずと結果もついてきて、またそのようなことができる環境が嚮心塾にあると思います。

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