嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

最近の塾

 ご無沙汰をしておりまして、申し訳ありませんでした。塾が忙しいと言えば忙しいのですが、それ以上に微妙な難しい問題を多く抱え(あ、奥さんとの不仲だけではないですよ。念のため。)、様々に思い悩む1ヶ月でした。
それも、大分前に進んだものと、依然として困っているもの、さらに依然として困っているものの今僕からは手出しをすべきではないもの、など様々に分かれてきました。不思議なもので、そのように様々な問題が、より個別の諸相を見せてくると、心はすこし元気を取り戻すんですね。つまり、困っている問題としては減ってないというか、むしろ総量としては増えていさえするのですが、それが「同質のもの」として認識されているときと、それぞれに性質が違うものとして認識されてくるときとで、しんどさが違います。(ベルクソン風に言うなら、それらの問題を「量」としてしかとらえられず、「質」として見られていないときのしんどさなのかもしれません。そして、「それは注意力の差だ!」と彼に叱られてしまうかもしれませんが、どのような人間でも自分を押しつぶすその壁を、あるいは自分の頸を狩ろうとするそのギロチンの歯を、注意深く見続けることができなくなる瞬間が必ずあると思います。)

 それはやはり、「問題」が何であるのかが、それに取り組む人間に、より深くわかってくるからではないでしょうか。もちろん、より深くわかることは、解決につながることもあるとしても、つながらないことの方が圧倒的に多いわけです。それが解決できないことは、まあ、しんどい。自分の無力さばかり感じます。しかし、それでも、自分が直面している問題の本質をより深く分かる瞬間があると、これもまた自分の認識の狭さによって、「手のつけようのない問題」にしか見えなかったものが、もしかして手を付けられるのでは、と思えてきます。もちろん、その希望もまた間違いばかりではあるのですが。

 まあ、愚かな僕たち人間は、こうした希望をつなぎ合わせて何とか生きていくしかないのかもしれませんね。自分の無力さに気付いた時に灯される希望を原動力として、自分の無力さを真に理解していこうとする一生の中で、
少しはマシなものを生み出していこうとする…。

 逃げ場のない取り組みですが、少しでも前へと進めていきたいと思っています。
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