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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

過不足のない受験勉強はできません。

受験生というのは、例外なく、受験に過不足のない(ムダのない)勉強をしたいものです。つまり、「絶対に○○大学(高校・中学)に合格したい!」という子でも、「そのためならどんなにたくさん勉強してもいい!」とはできないものです。しかし、だからといって、「あんた、内心ではたかをくくってるんでしょ!」などと叱らないであげてください。このような気持ちの持ちようは、受験生にとってある程度まで「仕方がない」態度であると言えるからです。

 たとえば、どこまでも徹底的に一年間努力しても、それでも受験に受からない可能性は必ず残ってしまうという冷酷な事実を、勉強を始める前の受験生に伝えてしまったら、一体どうなるでしょうか。まずほとんどの受験生は、受験勉強を諦めてしまうと僕は思います。そのような終わりのない努力は、明らかに自分にとって達成可能なものではないと思ってしまうのが普通の反応であるからです。もちろん、堅く決意をして、終わりのない努力に耐えようとする子達は毎年ごく少数ながら、存在します。しかし、そのような超人的努力を全ての子にいきなり強制することは、非効率的なだけでなく、そもそも不可能なものだと思います。(そのような超人的努力をどうしても親御さんはお子さんに求めてしまいがちです。「私たち大人だってこんなに努力している!」とつい言いたくなる気持ちはもちろん僕もわかります。しかし、大人の努力とは、まずキャリアを形成する過程で「自分の努力が評価されやすい環境」をもう既に選び終えた上でなされているわけですから、「苦手なことを努力させられ、しかもその成果を厳しくチェックされる」という環境自体をそもそも抜け出た後でなされる努力であるわけです(即ち、大人がその職業で生計を得て、子供を養えている時点で、そもそも「決して評価されない努力を無制限に続ける」ことからは部分的にでも逃れ得ているわけです)。また、大人は厳しい努力の合間でも、「自分にご褒美」が可能なのです。しかし、子供達はなかなかそうはいきません。)

 すると、教える側に必要なものとは、受験生の「甘い期待」から来る努力の姿勢(「成績が上がるのなら、少し勉強してもいいかな。」)を少しずつ鍛え、徐々に、その「どこまでも努力しても、決して受験に100%受かるのには十分にはならない」という厳しい現実に耐性を付けていってもらうという戦略です。そのために、今その受験生に何が必要であるのかを丹念に観察し続ける必要があります。どんなに努力しても決してその「100%合格する」ということにはたどり着けないのだと無力感・絶望感にうちひしがれているときには、一歩ずつ足元を固めていくことの大切さを説きながら鍛え、逆に一歩ずつ足元を固めて行きさえすれば、合格するはずだ、と盲目的に信じている場合には、受験がどれほど恐ろしいものであるのかを説き、足りないところを指摘していくことが大切です。

 そして、このように受験生を指導することは、実は受験が終わってからも活きてくる、大切なことだと僕は考えています。どのような一歩も、それがたとえノーベル賞級であろうと、フィールズ賞級であろうと、人間の科学の発達など、何一つ「十分な」ものを作れないことは、たとえばこの東日本大震災でもまた、より深くわかったのではないでしょうか。しかし、それでもそのように一歩一歩自らの認識を歩ませ続けることからしか、人間が成長していく道はありません。受験というものの害を言挙げするのは簡単ですが、しかし、僕は、受験もまた人間の歩みである以上、私たち一人一人の生きる姿勢が問われる1つの場であるとも思うのです。そして、そのような場の中で、自分の無力さから絶望するのでも自分のちっぽけな優位性を過信するのでもなく、どこまでも着実に自己を鍛えていきながら、「想定外」を作らないように徹底的に準備をしていく姿勢を鍛え続けていくことが、その後の一人一人の人生にとっても、ひいてはこの社会にとっても大切であると思います。

 ですから、僕に講師としての力がどれほど鍛えられようとも、「過不足のない受験対策」を塾生に提供することは未来永劫不可能です。なぜなら、一人一人の塾生の思考、認識の仕方など、どれだけ深く接していても、完璧には知り得ない要素が山ほど存在するからです。だからこそ、受験前日の最後の最後まで、何がその子にとって足りないかを(本人と一緒に)徹底的に考え抜いて、「不足のない受験対策」にしていく努力を止めません。気休めのための無責任な言葉をかけては、足りないものについてそれ以上悩まない教師になりたくありません。最後までその子が落ちる可能性を減らす努力が他にできないかを考え抜き、助言と指導を続けていきたいと思います。もちろん、受験が終わった後の塾生に対しても、「この学校に合格したから後の君の人生は大丈夫!」などというごまかしを言うことなく、そのようにサポートし続けたいと思っております。

 「過不足のない受験対策」を謳う塾や予備校に、是非だまされないでいただきたい。そのような受験対策は世界一の天才講師であろうと、不可能です。日々、どこまでも見つかり続ける不足を埋め続ける毎日こそが、結果としての受験の成功につながるわけですし、それ以外のメソッドを提供する教師は、「これだけやっといたら大丈夫!」という安心を求める気持ちにつけこんでお金を稼ぐ、あるいは手抜きをするという点で、受験生にとっては大敵なのだということを是非、肝に銘じていただきたいと思っています。安心することの難しい現実に対処しようと努力するのに疲れて、安心するためのサービスを偽りでも買おうとするのではなく、「これからまだまだ自分の勉強の穴が見つかり続けるかもしれないけど、それでもそれを1つ1つ徹底的に埋めていこう!」という姿勢こそが勉強をし続ける受験生にとっても、ひいては、人間の文明の進歩にとっても大切だと考えています。その欠点を埋めていくための、アドバイザー、パートナーとして、嚮心塾を選んでいただけると本当にうれしいと思っています。   2011年 5月26日 嚮心塾塾長 柳原浩紀
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