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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

バレンタインデー

先日、2月14日のバレンタインデーに、遅くに帰宅すると、机の上に娘が「パパへ」と書いてくれてチョコレートとチョコクッキーを用意しておいてくれました。もちろん誰からももらえない僕としては、本当にうれしい限りでした。自分が娘を持ち、その娘がすくすくと大きくなり、そしてこのように受験生の面倒ばかり見ていて遅くに帰ってくるにもかかわらず、そんな父親にチョコレートを作って、プレゼントしてくれる。これほどの幸せは、僕の身にあまるものです。

しかし、このような贅沢を味わいながらも、僕は悲しい思いでもあります。なぜかを話すと長くなるのですが、まあ、話させてください。

それは、僕には小さいときからこのようなイベントごとというのが、どうにも嘘くさくて大嫌いであったという理由があります。僕は、お正月も節分もバレンタインデーもひなまつりも端午の節句もクリスマスも大晦日も(多いので途中、はしょりましたが)全て、あまり意味があるものだとは思えません。それは小さい頃から、ずっとそうでした。なぜそれを周りの人々は騒ぎ、準備をするのか、その意味が全く分かりませんでした。

大分大きくなってからは、自分の違和感を次のように整理するようになりました。時間は一年というサイクルでまわるのではなく、むしろ生まれてから死に至るまで直線的であり、一日として同じ一日はないし、「お正月」とか「バレンタイン」というくくりで何かが言えるほどに共通のものなどないわけです。しかし、私たちは人工的な暦を道具として使っているつもりが、だんだんその暦に自らの行動を影響されてしまうようになってしまっている。とりあえず社会的な約束として、人と人とが約束をしたり仕事をする際に都合の良いという理由で決めたカレンダーのはずが、そのカレンダーにあたかも意味があるかのように、「もうすぐひなまつりだ!」などと浮かれる。これこそは人間がいかに自らの作り出した人工物に支配されやすいかの証左であると考えるようになりました。

そして、なぜ、このような(僕にとって)よくわからない行動様式が支配的であるのかを考えれば、やはり人間がやがて来る自らの死から隔絶した日常を送りたい、という動機をもっていることにつきるのではないかと現在は考えています。暦はその意味で、直線的に誕生の瞬間から死へとむかう一人一人の人生を、あたかもspiral(らせん)のように感じさせてくれる非常に便利な道具であるわけです。同じ一年が繰り返される、と考えれば、いずれやってくる自分の死を考えなくても済むからです。そして、さらにはspiral(らせん)からの連想で、loop(輪)のように一年一年を感じられさえすれば、もうそれで自分の人生は怖くなくなります。この閉じた輪がいつまでも続く、そのように感じられれば、人は日々を生きることが怖くなくなるわけです(話は少しずれますが、いわゆる「ハレ」と「ケ」についても、僕はハレがあるのは、このspiralをloopだと錯覚させるためであると考えています)。しかし、それは僕にとってはごまかしでしかないという強烈な感覚が、いつからかはわかりませんが、僕を支配していて、それがそのようなイベントに対する違和感を生じさせていたのでしょう。

昨年の『龍馬伝』で坂本龍馬の「生きるとは、事を成すにあり。(生きるとは、何か仕事をすることだ。)」という言葉もクローズアップされましたが、この言葉のかっこよさだけでなく、怖さ、残酷さをどれほどの人が自覚しているのでしょうか。つまり、この言葉は「今、たとえば日本にいる1億2千万人あまりの人々のうち、一体何人が生きているといえるのか。」という厳しい問いを突きつけているわけです。僕は小学生の時にこの言葉に初めて出会って、心の友を一人見つけた気持ちがしました。それとともに、僕に何が出来るのか、厳しく問われているのがつらいとも思いました。そこから24年くらいがたつわけですが、毎日毎日必死にもがき苦しんではいるものの、まだ全く「事を成」せていないと思っています。たとえばこの坂本龍馬の言葉は、お正月やバレンタインデーに心動かされる人生とは、全く対極のものなのではないかと僕は思います。

そうはいっても、テレビや新聞からは、そのように日々のイベントの情報がひっきりなしに流れてきます。もちろんそれらを商業主義的だと批判することもまた、正しい批判だとは思うのですが(「バレンタインはチョコを売りたいだけだ!」「恵方巻きはコンビニの戦略だ!」)、僕にはそのような文化の全てがきわめてprimitive(原始的)な感じがして、そこに対する批判が人々の人生の中にないことが、苦しいわけです。

と言いながらも、僕の娘もまた、そのイベントの情報の洪水に流され、バレンタインにはチョコを送るものだ、と理解し、その枠組みの中で、僕を思いやってくれている。もちろん僕は、そのように僕を思いやってくれる娘のその心根こそは、本当に尊く、美しいものだと思っているのですが、しかしその枠組みの中での思いやりに対して、僕がどのように反応すべきなのかについては、やはりまだまだ困ってしまいます。自分が10代や20代前半の頃でしたら、「こんなの全部まやかしなんだ!」などと言って、チョコをひっくり返したりしていたでしょう(まあ、それに近いことはしていました)。しかし、それでは、このような定型的な前提に沿って贈られる思いを傷つけてしまう。かといって、そのチョコに込められた思いは尊いとしても、その思いが定型を超え得ないことに対してはやはり何とかしていかねばならないのではないか。せっかく贈ってくれるその贈り手に対しても、それが定型を超え得ないが故にそれによって出来るコミュニケーションには限界があることを伝えることこそがむしろ、僕のもっともすべき返礼であり、思いやりなのではないか。それを僕の娘に、あるいは塾生に、あるいは他の人々に伝わる言葉はないか。伝わる関係性は可能ではないだろうか。このようにいつも悩んでしまいます。

まあ、言ってみると、僕の人生とはその模索と試行錯誤のためにあるようなものかな、とは思っています。

ちなみに、チョコはおいしく食べました。娘には、(これら全てをふまえた上で)心からのありがとうを言いました。娘とはこのことについて、また話し合いたいな、と思っています(面倒くさい父親ですみません)。

(追記)
有島武郎の『リビングストン伝 第四版 序言』(新潮文庫『惜しみなく愛は奪う』所収)の中に、彼が自らの良心故に、袂(たもと)を分かったキリスト教会のかつての仲間への次のような文がありました。僕はこの点に関しては、彼に深く共感する者です。以下引用です。(かっこ内の読みがなは僕が振りました。)

「終に臨んでもう一言を添える。昔の私の信仰の友の中には、今でも私の為(た)めに熱実な祈(いのり)をして下さる人のあるのを聞かされる。その祈(いのり)を私は信ずる事が出来ない。然(しか)しその祈(いのり)を祈るやさしい心を私はしみじみ有難く感ずる。それは私を引き上げる。私の心を明るくする。少(すくな)くともあなた方と私とは信仰で結ばれずとも心で結ばれている。それだけで今は満足して下さい。更(さ)らに又私は私の信仰生活時代の凡(すべ)ての先輩、朋友に対して私の袂別(べいべつ)と感謝の挨拶(あいさつ)を謹(つつし)んで贈りたいと思う。
これから独りで出懸(でか)けます。左様(さよう)なら。」


このようなコミュニケーションのありようを「不幸だ」ととらえるとらえ方もあるのだろうけれど、僕には人と人とのコミュニケーションとは、本来このような形でしかできていないのではないか、しかしそれしかできていないことにもなかなか気付いていないことがほとんどなのではないか、と思っています。一番自分にとって近しい人に対してすら、です。

その事実を直視した上で、それでもその互いにずれた思いのやりとりの「熱量」だけは決して見逃さないような人間になりたいものです。

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