
そしてさらに残酷なのは、その小説の意図(その小説でつたえたかったもの)をわかろうとどのように努力しても、わかりようがない人々もまたいる、ということです。そこで描かれたある意味個別的な感覚や感情を、経験していない人には分かるわけがありません。こここそが、非常に残酷なところです。どんなにその筆者に惚れ込み、その作品を網羅するように読もうと、その読者がその筆者のもつ感覚や感情と通じるものをもたないのであれば、決してそれはその筆者の書く作品の理解にはつながりません。そこでは、努力が一切通用しないわけです。人間の精神に私たちが想定している「個性」がある以上、必ずそうならざるをえない。その恐ろしさについて、また続きを書きたいと思います。
(続く)



