嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

「解決を目指す」ということに伴う失敗。

ご無沙汰をしております。間隔はあきましたが、こちらは元気にやっております。

先日、本当にうれしいニュースがありました。8月27日の囲碁の碁聖戦第5局で坂井秀至7段が何とあの碁界の第一人者、張う(ちょうう)4冠王を破り、初のタイトルを手にしました!本当に、本当にうれしかったです。また、この日はこの対局が気になって塾にいても上の空でした。(塾生の皆さん、すみません。)

僕が坂井先生を応援している(もちろんこれからも応援し続ける)のは、坂井先生がまだアマチュア時代に僕自身が囲碁を直接教えていただいたご縁がある、というだけではありません(僕は出来の悪い生徒でした)。皆さんもニュースでご存じのように、坂井先生が幼少の頃から囲碁をプロと同じように学びながら、医師資格をもち、囲碁は「プロより強いアマチュア」でやっていこうとされていたこと、しかし、研修医生活が始まる際に、囲碁を打つ時間がなくなることに気づき、自分にとって囲碁かそれとも医師かと厳しい二者択一を迫られた際に、「やっぱり囲碁を打ちたい」と決断をされて、医師の道を捨ててプロ棋士の世界に飛び込まれたこと、無事プロ棋士にはなれたもののトッププロは10代(それも前半)からプロの世界に入るのが当たり前な中で、20代後半からプロになるという厳しい道で苦労をされたこと、その中で本当に努力を重ね、何度も悔しい思いをしながらも、少しずつ少しずつ力をつけて、とうとう一つ目のタイトルを手に入れられたこと、このように列挙してもその一つ一つのことがどれも、坂井先生の生き様の真摯さを確かに表していると思います。その真摯さに何よりも敬意を持たざるを得ませんし、僕ももっと頑張らなければ、と励まされます。

それにしても、最近僕が坂井先生の囲碁を見ていて強く感じるのは、「最後まで苦しむ覚悟」です。妥協の出来る安易な道を選ばず、最後の最後まで戦い抜く覚悟、最後まで苦しみぬいてやる、というその強い意志を感じることが多くなりました。もちろん、プロのすごさが分かるほど僕は囲碁が打てるわけではないので、僕の勝手な思いこみかもしれないのですが、「ここまで、頑張るんだ!」という驚きを、ネット中継を見ていて、最近はいただく事が多いように思っています。

 話は変わりますが、学生が受験勉強を一生懸命やるのはなぜなのでしょうか。大多数は、「後で苦しまない」ためではないでしょうか。就職で不利にならないため、資格を取って手に職をつけるため、などでしょう。もちろん、それ自体を批判しているわけではありません。学歴、それから資格なしに生きていくということは、簡単に言えば凡人に出来ることではありません。逆説的に言えば、凡人は東大などに入らないと、生きていけないのです。それを必要としないのは、純然たる天才でしょう。(僕も大学進学している時点で、凡人です。)

 しかし、努力してそのような難関を突破したことで、「もう自分は苦しまないでいいんだ!」と勘違いされては困ります。どのような難関を突破しようと、いや、難関を突破し続ければし続けるほどに、新たな、より手に余る困難と向き合わざるを得なくなるのが、この社会なのではないでしょうか。その中で大切なのは、ある目の前の目標を達成するために「これさえクリアできたら、遊べる!」と自分をごまかしていくことも時には必要かもしれませんが、そうした休憩の時間の最中もまた、その根っこに「最後まで苦しみ抜く覚悟」を持ち続けておく必要があると思います。
 
 それとともに、「解決を目指す」ということの危険性についても考え合わせねばなりません。ある解決が、たとえばヒトラーが「ユダヤ人問題の最終的解決法」として、虐殺を選んだようなことになっているかもしれません。問題に取り組み続けるしかないことを、解決しようとしてしまうことは結果として大きな暴力につながることが往々にして多いようです。もちろん、当面の目標としてある問題を解決したい!というのは大切なことです。しかし、それが最終的な解決になるかどうかは、実はそれが解決になっているかどうかではなく、それを「解決」と見なすことで蓋(ふた)をしてしまうかどうかに依存している部分が多いのでしょう。たとえば、先の囲碁の話で、「もうこの定石(じょうせき)では必ず先手有利」という結論が今までの研究の結果で出てしまっているとしても、そのような結論がさらなる研究の結果覆されることなど、よくあることです。これは将棋などでもとてもよくあることです(最近では広瀬新王位の振り飛車穴熊もその兆しなのかもしれません)。盤上の真理を考え尽くすことに人生を費やしている天才達ですら、このような見落としをしては、またその見落としに気付くという形で「解決」や「結論」を絶えず、見直し続けているわけです。ましてや、私たち凡人が「解決」や「結論」を絶えず考え直さないとしたら、そして私たちのその「解決」や「結論」が下される対象が少なくとも盤上と同等以上には多様であるこの現実世界であるのだとしたら、やはりそれはひどい傲慢(ごうまん)さであるといえるのではないでしょうか。

どのような解決も最終的な解決ではありえないという現実を直視しながら、それでも一歩でも二歩でも本当の事は何かという認識を歩ませていくために、目の前の解決のための努力を続けていく。そのような姿勢を一人一人が持つことが大切であると思います。
僕はそのような姿勢を取り得るという事実に、人間の一つの可能性を感じています。塾もまた、受験勉強を通じてそのような姿勢を鍛えていけるように、がんばっていこうと思います。

最後になりましたが、坂井先生、本当にありがとうございました。ぼくもこれから、もっともっと、頑張ります。
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