fc2ブログ

嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

良い教師とは何か。

これぐらい長くいろんな子を教えていると、様々なスキルが発達するものです。最近ではその子が質問をしたいかどうかが表情どころか雰囲気でわかったり、めちゃくちゃ拙い質問でも何について聞きたいのかがわかったり、という感じで、見る人が見れば「名人芸」的なものになってきているな、と。

そこで良い教師の条件を挙げてみましょう。
①生徒の細部の異変に気づき、質問であれ相談であれ、こちらから積極的に声がけをしていく。
②生徒の質問がどんなに拙いものでも、その真意を見抜き、その真意に対して的確に答えていく。
③生徒への指示が完璧に網羅されていて、かつ的確であるかどうかを絶えず疑い、修正が必要なときには即座にこちらから声かけをして訂正していく。

皆さんもこうした優秀な教師がいる学校や塾を選んでください。嚮心塾もおすすめですよ。

と、書いてみましたが、実はこれは真っ赤なウソでした!!!
こんな教師は実はダメ教師であり、上に書いたようなことをしている教師こそ、生徒の成長を止めてしまうおそれがあります。

どういうことでしょうか。
まず①に関してで言えば、教育の理想は「生徒が自分で聞ける/相談できるようになること」です。こちらがどんなに生徒の微細な変化に気づき、声がけをしていって相談ができたとしても、それをそのまま続けていけば、生徒は自分から相談をする必要がなくなります。学習面については「先生から指摘を受けていないということはこのままでいいんだ!」と思考停止をするようになってしまいます。そしてまた、相対的に指導力のある教師が何なら指導時間をほぼマンツーマンで教え続けたとしても、受験生本人が自分のことを把握しているほどに受験生の思考回路や自己情報を把握することは絶対にできません。

たとえば教え始めた大学生が受験生に対して気付けることを1として、30年近く教えている僕が気付けることを1000としましょう(これでもだいぶ謙遜しています!)。しかし、受験生本人が自分自身の勉強についてもっている情報はざっと10000000000くらいなので、1か1000かの差など、誤差にすぎません。それを「見よ!この指導力!勉強ができるだけのペーペーの大学生では真似できまい!」などといい気になっているのは教師の自己満足でしかなく、受験生が力をつけていくのに最も大切なのはその100億の自己情報を持っている受験生本人に自分で自分自身をチェックしていく判断基準や方法を身につけていってもらうことです。

もちろん受験生本人の判断基準や方法というのは最初は「青チャートを繰り返していれば…」「Nextageを繰り返していれば…」などなど間違っている基準や方法からスタートしていることがほとんどなので、その膨大な自己情報を全く活かせていない状態であるわけです。だからこそ、「どのようなところまで丁寧にやった方が結局力がつくのか」「どのようなあやふやさを残してはいけないのか」などなど、自らのありようをチェックするための基準を鍛えていく「触媒」になれるように、教師はその基準づくりに協力していくことが大切です。そしてその基準が生徒の中にできていくほどに、生徒たちは教師に見抜かれなくても、自分からその基準にひっかかるところはどんどん質問に来てくれるようになります。それが教育の求める理想の姿であり、それは受験を終えたその後も一人一人の人生において、ずっと使えるツールとなります。(もちろんその判断基準は僕の提示した粗雑なものではなくて、専門性が上がれば上がるほどにより自分自身でrefineしていく必要があるにせよ、です。)

とすると、シャーロック・ホームズのように、「一昨日の晩御飯は焼き魚でしたね!それもアジの干物ですね!」的に細かな痕跡から推理をして言い当てる教師というのは、パフォーマンスとしては面白いでしょうし、実際派手で「神教師!」となりがちではあるのですが、正直教育にとってはあまり意味がありません。もちろん気づかないよりは気づいたほうがいいです。気づいて的確なアドバイスをしていけばしていくほど、生徒たちもこちらのアドバイスを信頼してくれるからです。信頼してもらえれば、そうした「自分の中に判断基準を作る」ことの大切さ、というのも伝えやすくはなります。しかし、それはあくまで手段であり、目的ではありません。それは自転車の後部を持ってあげる大人のように、必要ではあるにせよ、いずれ必ず外されなければならない補助線でしかない、という自覚こそが教師にとっては一番必要なのではないでしょうか。

とすると、観察力が大切なのはもちろんとして、良い教師にとって同じくらい必要なのは教えこんでしまわないための忍耐力でもあるのかな、と思います。

①でだいぶ長くなってしまったので、②③についてもざっと書けば、
②は生徒の質問が拙ければ、質問が的確にできるように、それの言い直しの練習をしてあげなければならない、ということです(というと、「その質問じゃ意味わからない!」みたいな「塩対応」がベストのように聞こえますが、こうした塩対応は意図は正しいとしても、その意図が正確に生徒に伝わることの方がはるかに少ないので、単なる教師の怠慢と自己満足に終わりがちです)。「的確な質問をする能力を鍛える」というのはつまり、「自分が何がわかっていないのかを明確にしていく」作業です。何が問題かがクリアになれば、解決までの道も半ばまで来ています。ただその努力ができていない子がほとんどであるのが塾に入って初期の段階であるように思います。

③については、受験生が自分から今の勉強方針を疑えることがとても大切です。各教科の内容についてはもちろん、それぞれの教科を進める方針について、自分の中で気がかりなことがあるのなら、それを言い出さなくてはなりません。特に最近は「参考書ルート」的な塾が乱造されていて、「このやり方で勉強を進めたら、必ずできるようになる!!」と喧伝されがちですが、万人に共通の方法はありえないからこそ、自分自身が与えられた勉強方針でうまくいっていないのなら、それを指導者にすぐに相談することがとても大切です。(そして、それに対して「こちらのメソッドを信じて続けていればダイジョブだから!」しか言わないのは、基本的には詐欺です。それは他のメソッドの備えもそこで新たに考えるスキルもそもそもないから、そのような対応をするしかないのです)

この話は詳しく書けばまた長くなるのですが、それこそ数学の教科書の定理や公式の導出ができず、結果だけ(あやふやに)覚えて代入しているレベルの子たちに「この問題集を周回すれば必ず力がつくから!」と繰り返すだけの、方法論の初歩的なギャップもあれば、僕自身が「これはさすがにできてるだろ。」と思考の盲点を作っていたために、その子の力の伸びの天井ができてしまっていた、というとても見抜きにくいものまであります(たとえば過去には東大理一を受ける数学が得意な子に、中学の連立方程式の練習をさせたり、医学部を受ける受験生に九九の苦手な段を練習させたりしました。両者とも受験までに気づけて、何とか合格しましたが、ことほどさように一人一人思いもかけないところに大きな穴がある、ということばかりです。ちなみにこれらも僕がパッと見抜いたのではなく、彼らから相談を受け、詳しく掘り下げていく中で気づいたことでした)。繰り返しになりますが、一万人いれば、学習履歴は一万通りある以上、その全ての可能性を指導者が掘り尽くすことはできません。だからこそ、自分自身の違和感や足りないところを受験生本人が自分から申告、相談できることが「神の目」をもつベテラン教師よりも力を伸ばすことに繋がっていきます。

ということで、お伝えしたいことは書けたのですが、これだと非常に困ることがありまして…。

たとえば、

A 先生が生徒に対して絶えず声かけをしながら見回り、生徒のちょっとした逡巡に対してもすぐに声掛けをして、生徒の拙い質問でもその真意を即座に汲み取り、的確な答を返して、生徒も大満足!勉強法や教材についても、「◯◯という(youtubeでもおなじみの)難しくて分厚い問題集を繰り返しやっていれば大丈夫!それで僕の生徒は東大受かった!」と自信をもって答えてくれる。

B 先生が生徒に全く声をかけないでお茶を飲んで本とか読んでる。生徒がせっかく自発的に質問に行っても、「その質問は意味がわからないな。もう一度何が聞きたいか整理してごらん。」と追い返される。勉強法や教材について聞いても「まずは教科書やるといいよ。」と基礎的なものしか指示されない。「それは大丈夫なんです」と伝えると、「教科書の定理や公式とかちゃんと当たり前のものになってる?」と嫌がらせのようなことばかり言われる。あげくの果てに「万人にとっての正解の教材はないけど…」と自信なさげに、聞いたことのない薄っぺらい問題集とかを薦められる。

さて、塾の見学に行って、みなさんどちらの塾に入りたいですかね。。当然A!なのではないでしょうか。。

もちろん、教育としてはBが最善だとしても、いきなりそれに対応できる子というのはそもそもとても優秀な子なので、一人一人A的なところから初めて、だんだんとBへと移行していくことになります。しかし、みんながだいぶBの状態に移行していて自分で質問できる状態になればなるほど、塾に見学に来てもらっても、僕はお茶飲んで本を読んだり問題集解いたりしているだけにしか見えません。あとは「うちの子はここにいる生徒の皆さんのように活発に質問できる子ではないので…」みたいな断られ方もよくあります。もちろんそれは問いを発する判断基準が鍛えられていないだけなので、むしろ最初はみんなそうなのです、という説明までしていくわけですが。(そもそも質問ができないままで何もかも教えこんでもらって生きていくことの方が難しいので…。質問の仕方をどこかで学ばないといけないと思うのですが、これもなかなか伝わりにくいところです。)

ということで商売繁盛だけを考えるなら、「ずっとAだけやる」がベストなのですよね。もちろんそれでは生徒たちの力は頭打ちになってしまうので、嚮心塾ではそのようにするつもりは毛頭ありません。生徒たちの今後の人生においては、自ら問いを発する能力を鍛えることほどに有益なものはないと思っています。なので、流行らない「不親切そうな塾」を細々と続けていきたいと思っています。
関連記事

このエントリーをはてなブックマークに追加
PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する