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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

塾の月謝についての考え方(その1)。

今年は合格者(=卒業生)が多くて、塾の経営がヤバいです!!いっぱい宣伝しなければならないのに、こんなめんどくさいことを書こうと思ってしまう自分が恨めしい。でも書かねばならないので書いていこうと思います。

嚮心塾ではいわゆる「特待生」「スカラシップ制度」というものを設けておりません。なので筑駒や開成や桜蔭で一位だろうが、それどころか全国一位だろうが、高2のときに理三A判定だろうが高3と混じって全国一位だろうが、規定のお月謝を払っていただきます。ここに関しては僕が塾をやる限り、今後も変えるつもりはありません。なぜならこれは、僕が塾をやる意義と直結しているからです。

対照的に多くの予備校ではこうした制度が充実しています。「東大の点数開示である程度高得点を取れていれば無料!・もしくは大幅割引!」とか、「医学部1次試験を突破していれば大幅割引!」とか、大手の予備校や塾ならみんなやっていますよね。このような制度が蔓延するのは当然の理屈で、ほとんどの受験生や親御さんは「合格実績」しか見ないので、このように「そもそも実力があるけれども惜しいところで落ちている子」というのは、来年の合格実績を稼いでくれる宝の山であるわけです。こうした子をいかに確保しては通ってもらえるかで来年の「合格実績」が大きく変わってしまいます。そこで多少ディスカウントしたとしても、その子が稼いでくれる「合格実績」を信じて、箸にも棒にもかからない「カモ」がたくさん通ってお金を落としてくれればよい!という計算です。非常にあざとい戦略だとは思いますが、ビジネスとしてはとても合理的です。そもそも(その2で後述するように)勉強のできない子を難関大学受験で合格できるレベルまで鍛えるのは、塾や予備校側にとってはとてつもなく、本当にとてつもなくコスパの悪い仕事であるからです。

もちろんこのようにきっかけとしては安いというだけで予備校や塾に通ってもらったとしても、そこでの講師の先生の授業はそれは一流どころを揃えているでしょうから、通ってみれば「あの先生の授業のおかげで実力が伸びて受かりました!!」と合格体験記で書けないことはないでしょう。「本当に○○ハイスクール(塾/予備校)のおかげです!」と言えないこともない。しかし、それはその塾や予備校の実力と言えるのかは僕は疑問だと思っています。あくまで、

「経営戦略上、優秀な生徒をほぼほぼタダで通えるようにしたら、その子達は元々優秀なのでやっぱり東大とか医学部に合格した。もちろん、その子達が満足する講義の質は高い。その合格実績に夢を見て集まる「カモ」達の授業料でしっかり担保した講師の質は高いので。」

というだけのことにすぎません。

さて、実はこのような手法は大手だけでなく、小さな塾でもやろうと思えばできます。特に嚮心塾はそこそこ東大も(理三含む通算4名!)も国立医学部(蹴った子も入れれば9名!阪医だけで通算4名!)も私立医も早慶もたくさん合格してるので、やろうと思えばそうした「合格実績」をエサにして優秀な子に「うちだと安く通えますよ〜!(まあ、元々だいぶ安いとは思うのですが…)」という制度を用意するだけで普通に集まってくると思います。そして、それを「エサ」として「ここなら今は成績悪い自分でも、もしかして東大や医学部うかるのかな…」と夢を見た子たちを半永久的に搾取することも、もう可能な状況になっていると思います。

しかし、そんな塾ってこの社会において何か存在意義ありますかね?元々東大に僅かな点差で落ちてる子を次の年に合格させるだけしかできていないのに、どうにも間に合わない子にも「君でも間に合うよ!」と嘘をついて月謝をかすめ取る、なんて有害でしかないし、何より生産的ではないと思います。そもそも東大に僅差で落ちる子は早慶には受かるわけで、その子が東大に行くか早慶に行くかなんて生涯年収で見ても大してその子にも社会全体にも変動を与えません。それを「実績」として誇っては、学習の基盤がなくて本当に教育が必要であり、かつその子達が勉強ができるようになり難関大学に合格することがその子達の人生にとっても社会全体にとっても大きな生産性やrevisionの機会を作ることになる子たちを「金づる」としか見れない仕事なんて、僕は無意味だと思います。そんなことに一度しかない人生を一秒たりとも費やしたくはないとさえ思います。

嚮心塾の合格体験記を読んでもらえば、ほとんどの合格者が最初はどうしようもない状態から始めて合格に至っていることがよくわかると思います。もちろんこれは勉強ができなかった受験生の全てが必ずうまくいっている、ということでは全くありません。また、最初からそこそこできた子が足りない部分を補った結果としての合格、というケースもあります。しかし、うまく行かなかった子もうまく行った子も、ゼロから始めた子も足りない1ピースを求めて来た子も、そのどの塾生に対してもその子達が合格するためのプランと戦略、指導において手を抜いたことはありません。どのような状態の子に対してもこちらにできることに見落としはないかを必死に悩み考え抜くこと、本人以上にそれを悩むことにしか、塾を続ける意義などないのではないか、と考えております。そこに少しでもブレーキをかけ、「そんなこと必死に悩まなくても、しっかりカモは集まって経営的にはうまくいってるじゃん!」という悪魔のささやきに耳を傾けることを自分に許さずに「毎年結果を残さなければ塾が存続しえない」ための自転車操業と背水の陣を続ける毎日です。その点について、ご理解いただけたらと思います。(長くなりましたので一旦切ります。その2に続く。)


(一方で、「その理想は良いとして、弾力的に運用して経済的に困窮している子には力になってあげればいいじゃないか!」という主張もあると思います。それに関してはノーコメント、と言いたいところではあるのですが、その子の成績にかかわらず、本当にお月謝が厳しい場合には相談して様々な形で対応してきました。しかし、これも難しくて、やるべきだったのかどうか、かなり悩ましいと今は反省しています。その子達の人生においては大きな支えとなるものを得られたとは思いますが、僕自身、たとえばお月謝をいただいているご家庭とそうではないご家庭とで本当に指導の質に変わりがないといえたのか、と言えばあやしい部分もあります。やはりそこまで僕自身が人間ができていない、というところです(まあ、「この御恩は一生忘れません!」と言われてもすぐに忘れられますし。まあこれも仕方ないことです)。この辺りはその2で書こうと思います。)
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