
K・S(女子聖学院高3)
慶應義塾大学法学部合格(進学先)
他合格校:明治大学商学部、明治大学経営学部
私が嚮心塾に入塾したのは中3の12月のことでした。何となく偏差値40台の女子聖学院という中高一貫校を第1志望として中学に入った私にとって、大学受験(そもそも受験勉強自体)は未知のものであり、漠然とした不安が多かったことと、三田祭に行って、キラキラしててかっこよく思えた慶應に憧れを抱き、とにかく塾に行かないと!と考えていたことがきっかけでした。それまでは委員会や部活を多くやって、テスト直前だけ勉強して(答えを丸暗記して)指定校でICUに行こうとしていたこともあり、塾に通わせる必要性を両親に納得してもらうため難関国公立を目指すと嘘をついて入塾させてもらいました。
しかし、兼部や運動会実行委員、生徒会、学外のプロジェクトなどの掛け持ちのしすぎや、元々、英検も単語帳を見ずに運で受かるっしょと思って受けるくらい、真面目に長期間勉強をしたことがなかったため、入ってすぐの頃はろくに勉強できてなかったと思います。英単語はユメタンの黄色すらなかなか定着しないし、塾に来ても眠かったり、数学が訳わかんなかったり、、、。このままでは、国公立に落ちて慶應に行くことを目標としてたのに3教科に絞らないと間に合わないのではないか、そう思って先生と両親に私立専願にしたいと伝えたのが高1の11月頃のことでした。
その後はコロナの流行もあり、学校が忙しくなくなったため勉強時間の確保ができるようになりました。
また、この頃から自分なりの勉強法や今まで何がいけなかったのかが少しずつ分かってきました。英語の文法や古文の文法が覚えられないのはそもそも国語の文法を定期テストの時に答えの記号丸覚えですましていたから文法という概念自体が初めましてであること、天才は単語を1回見たら一生覚えてられるけど自分は馬鹿だから一生覚えられないのではなく、頭のいい人も単語を復習すること、だから自分はその3倍くらい見直せば定着するかもしれないこと、参考書は赤字以外の所が読んだつもりになっていたことなどなど、、、普通は当たり前な事が、答え丸暗記、テスト直前詰め込み以外の勉強をしたことがなかった自分にとっては新しい発見でした。
また、高1の2月頃には先生に面と向かって「先生に質問が出来ない」と号泣しながら相談したりもしました。自分にとって、質問は自分の1番分からないところを聞くツールではなく、恥ずかしながら、先生に好かれる為のツールだと思っていたことと、そもそも誰かに何か自分の事を相談することが苦手だったことが原因でした。
それからは、先生に質問攻め級に前よりも沢山の質問をするようになりました。そうするうちに、小学生レベルの社会を知らないから近現代の政治史が覚えずらいとか、国語は自分の共感できる選択肢を選ぶのではなく、文章が言っていることを選ぶんだとか、本当に基礎的で普通思いつかない所でつまづいていることまでも気づいてもらい治して行くことが出来ました。
時々、自分が分からないことに逆ギレしながら質問して、先生には申し訳なかったです、、、。毎回私が理解できるようになるまで諦めずに色んな例えを用いて教えて下さり感謝しています。
高2の冬頃からは勉強で分からないこと以外の悩みや精神的な相談も出来るようになっていました。周りの友達が遊んでる中で自分1人勉強して、なんか友達減ったし、スマホも依存症なのに家に置きっぱにして、家に帰った数十分程度しか見ず、放課後の友達との寄り道も3年間で片手で数える程度に抑えて、朝から晩まで勉強づくしで、私のJKライフを勉強に捧げてやってるのになんで点数良くならないの!?!?とか、早慶じゃなきゃ私の3年間は全くの無駄になるとか、推薦にすればよかったとか沢山悩んで沢山相談してその度に先生は自分のことを卑下する私を「頑張るぞ」という気持ちにさせてくれました。特に高3の5月頃、センター国語が伸び悩み、委員会の仕事が多く3時間ほどの睡眠で毎日死んだ顔して、号泣してた私に先生が投げかけてくださった「悔しいのは頑張ってる証拠だ」という言葉は自分の支えになっていましたし、入試直前に英語が読めなくなり、先生の言うことをしっかりとやっていなかったことが原因だと分かって大号泣しても、原因が分かればそれを埋めるだけだと前向きにして下さったことには本当に感謝しています。
高3の1年間はアウトプット重視の1年だったと思います。慶應志望ということもあり、本もすすめられた物を読みました。過去問を解いては先生と作戦会議して、そこで貰ったアドバイスをノートに書き溜めて毎回の過去問練や模試、(試験開始直前にも穴が空くほど)見て修正するうちに成績もまだまだ足りなかったのですが上がっていきました。国語なんかは、こそあど言葉とは?状態で、高1の時は進研模試の偏差値43で時間内解ききることさえ出来なかったのに、高3の5月以降は1番の安定科目になりました。小論も毎回添削してもらい、本番では法と道徳についての文で先生に読まされた本にドンピシャな事だったので本当に先生が神様に思えました。
入試期間中に明日から塾来ない、受験もうしない宣言したり、常に学力への自信がなく、教養皆無で理解の遅い私が、第1志望である慶應義塾大学法学部に合格出来たのは、ほんとのほんとに先生のおかげです!合格したことへの感謝はもちろん、活字嫌いの私が法律やジェンダーなど本を読むのも悪くないなと思えるほど自分の興味のある分野ができたことにも感謝しています。
受験生活をしてた時に時々思っていた事なのですが、先生は私より、私を受からせるにはどうするかを考えてくれているなぁと思うことがよくありました。バカな自分に見合わない難しい大学を志望校としてあげたら先生はどう思うのかなとか、この質問したら呆れられるかなとかそんなの考える必要なくガチで真剣に生徒のことを考えて、寄り添ってくれる先生がいる塾、そんな嚮心塾で受験できて本当によかったです。
慶應義塾大学法学部合格(進学先)
他合格校:明治大学商学部、明治大学経営学部
私が嚮心塾に入塾したのは中3の12月のことでした。何となく偏差値40台の女子聖学院という中高一貫校を第1志望として中学に入った私にとって、大学受験(そもそも受験勉強自体)は未知のものであり、漠然とした不安が多かったことと、三田祭に行って、キラキラしててかっこよく思えた慶應に憧れを抱き、とにかく塾に行かないと!と考えていたことがきっかけでした。それまでは委員会や部活を多くやって、テスト直前だけ勉強して(答えを丸暗記して)指定校でICUに行こうとしていたこともあり、塾に通わせる必要性を両親に納得してもらうため難関国公立を目指すと嘘をついて入塾させてもらいました。
しかし、兼部や運動会実行委員、生徒会、学外のプロジェクトなどの掛け持ちのしすぎや、元々、英検も単語帳を見ずに運で受かるっしょと思って受けるくらい、真面目に長期間勉強をしたことがなかったため、入ってすぐの頃はろくに勉強できてなかったと思います。英単語はユメタンの黄色すらなかなか定着しないし、塾に来ても眠かったり、数学が訳わかんなかったり、、、。このままでは、国公立に落ちて慶應に行くことを目標としてたのに3教科に絞らないと間に合わないのではないか、そう思って先生と両親に私立専願にしたいと伝えたのが高1の11月頃のことでした。
その後はコロナの流行もあり、学校が忙しくなくなったため勉強時間の確保ができるようになりました。
また、この頃から自分なりの勉強法や今まで何がいけなかったのかが少しずつ分かってきました。英語の文法や古文の文法が覚えられないのはそもそも国語の文法を定期テストの時に答えの記号丸覚えですましていたから文法という概念自体が初めましてであること、天才は単語を1回見たら一生覚えてられるけど自分は馬鹿だから一生覚えられないのではなく、頭のいい人も単語を復習すること、だから自分はその3倍くらい見直せば定着するかもしれないこと、参考書は赤字以外の所が読んだつもりになっていたことなどなど、、、普通は当たり前な事が、答え丸暗記、テスト直前詰め込み以外の勉強をしたことがなかった自分にとっては新しい発見でした。
また、高1の2月頃には先生に面と向かって「先生に質問が出来ない」と号泣しながら相談したりもしました。自分にとって、質問は自分の1番分からないところを聞くツールではなく、恥ずかしながら、先生に好かれる為のツールだと思っていたことと、そもそも誰かに何か自分の事を相談することが苦手だったことが原因でした。
それからは、先生に質問攻め級に前よりも沢山の質問をするようになりました。そうするうちに、小学生レベルの社会を知らないから近現代の政治史が覚えずらいとか、国語は自分の共感できる選択肢を選ぶのではなく、文章が言っていることを選ぶんだとか、本当に基礎的で普通思いつかない所でつまづいていることまでも気づいてもらい治して行くことが出来ました。
時々、自分が分からないことに逆ギレしながら質問して、先生には申し訳なかったです、、、。毎回私が理解できるようになるまで諦めずに色んな例えを用いて教えて下さり感謝しています。
高2の冬頃からは勉強で分からないこと以外の悩みや精神的な相談も出来るようになっていました。周りの友達が遊んでる中で自分1人勉強して、なんか友達減ったし、スマホも依存症なのに家に置きっぱにして、家に帰った数十分程度しか見ず、放課後の友達との寄り道も3年間で片手で数える程度に抑えて、朝から晩まで勉強づくしで、私のJKライフを勉強に捧げてやってるのになんで点数良くならないの!?!?とか、早慶じゃなきゃ私の3年間は全くの無駄になるとか、推薦にすればよかったとか沢山悩んで沢山相談してその度に先生は自分のことを卑下する私を「頑張るぞ」という気持ちにさせてくれました。特に高3の5月頃、センター国語が伸び悩み、委員会の仕事が多く3時間ほどの睡眠で毎日死んだ顔して、号泣してた私に先生が投げかけてくださった「悔しいのは頑張ってる証拠だ」という言葉は自分の支えになっていましたし、入試直前に英語が読めなくなり、先生の言うことをしっかりとやっていなかったことが原因だと分かって大号泣しても、原因が分かればそれを埋めるだけだと前向きにして下さったことには本当に感謝しています。
高3の1年間はアウトプット重視の1年だったと思います。慶應志望ということもあり、本もすすめられた物を読みました。過去問を解いては先生と作戦会議して、そこで貰ったアドバイスをノートに書き溜めて毎回の過去問練や模試、(試験開始直前にも穴が空くほど)見て修正するうちに成績もまだまだ足りなかったのですが上がっていきました。国語なんかは、こそあど言葉とは?状態で、高1の時は進研模試の偏差値43で時間内解ききることさえ出来なかったのに、高3の5月以降は1番の安定科目になりました。小論も毎回添削してもらい、本番では法と道徳についての文で先生に読まされた本にドンピシャな事だったので本当に先生が神様に思えました。
入試期間中に明日から塾来ない、受験もうしない宣言したり、常に学力への自信がなく、教養皆無で理解の遅い私が、第1志望である慶應義塾大学法学部に合格出来たのは、ほんとのほんとに先生のおかげです!合格したことへの感謝はもちろん、活字嫌いの私が法律やジェンダーなど本を読むのも悪くないなと思えるほど自分の興味のある分野ができたことにも感謝しています。
受験生活をしてた時に時々思っていた事なのですが、先生は私より、私を受からせるにはどうするかを考えてくれているなぁと思うことがよくありました。バカな自分に見合わない難しい大学を志望校としてあげたら先生はどう思うのかなとか、この質問したら呆れられるかなとかそんなの考える必要なくガチで真剣に生徒のことを考えて、寄り添ってくれる先生がいる塾、そんな嚮心塾で受験できて本当によかったです。
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