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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

「おもてなし」をしよう。

今年も国公立前期試験の結果が出ました。今年は勉強が苦手な頃から嚮心塾に通って頑張ってくれていた子たちがしっかりと合格できた年でもあり、塾としても最低限の責任は果たせたのではないか、と思っています。一方で、それでも力になれなかった子たちもいるわけで、そこには改めて自身の力のなさを痛感しています。

さて、入試で確実に合格する、というのは本当に難しいことです。今年は共通テストが極めて難しく、時間がきつかったために、思うように力を出しきれない受験生がたくさんいました。そのように理不尽な試練に遭ったとき、それでもたじろがない力を鍛えていくためにはどうしたらよいのかというのは、受験指導に携わりながら常に感じ続けている難題です。

もちろん様々なリスクヘッジのためのオプションを考えたり、という戦略面で対策できることも多いのです。しかし、そうした戦略面での指導を同じようにしていても、結局それをうまく使いこなせる子とそうでない子の違いは何なのか。そこに関しては毎年頭を痛めては必死に悩むところです。

その中で気づいたのは、結局入試において、自分が窮地に追い込まれた時、そこで踏みとどまることのできる受験生というのは、結局自分の苦手なこと、弱いことと必死に取っ組み合い、向き合ってきた子である、ということです。一人一人にとって「何が苦手か」というのは「何が得意か」と密接に結びついています。だからこそ、苦手なことを上達しようと必死にもがき苦しむ、というのはこれまでの自分自身を絶えず否定し、分裂させていこうとすることにも等しいのだと思います。そのような苦しい作業にしっかりと取り組んできた子たちこそ、「予想もしなかった試練」という外界との出会いに、必死に心を砕くことができているのでは、と考えています。

ジャック・デリダが「自分自身を分裂させることがもてなしの条件である」というように、他者に対して常に自己のアイデンティティを疑い、中断しては向き合う心の用意があることが不測の事態という外界へのしなやかさを鍛えるようです。だとすれば、受験勉強とは絶えずそのような矮小な自己を「自己」と強弁することを疑っては、自己のアイデンティティと思っていることを分裂させ、足りない部分を鍛えていく作業なのかな、と思います。

自己の欠点という外界をもてなし続けることが、不測の事態という外界をもてなす準備へとなるのでしょう。そのための場としての嚮心塾にお越しいただけることを心からお待ちしております。

                                2022年3月10日 嚮心塾塾長 柳原浩紀
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