
さて、間が空いてしまいましたが、前回の続きを書いていきたいと思います。
②はじめに選んだ教材でよいかどうかはよくわからない。
いわゆる「参考書ルート」というのを受験生に呈示して、それを進めていってもらう、というタイプの学習塾が増えていて、嚮心塾も分類するとそのタイプなわけですが、これがしかし、難しいです。。
たとえば嚮心塾の場合、今の実力とかを踏まえて「最初はまずこれくらいから」という見立てをして提案します。それを進めていく中でわからないところを質問してもらったり、手応えや違和感というのを聞きながら、どういう違和感はスルーしてその教材を進めていくべきか、逆にどういう違和感はその教材を一旦止めてでも他の復習をしていくべきなのか、というのを判断していきます。
これもまた、最初に決めた「今これくらいの実力の子が一年後にはこの学校を受けたいから」という逆算でやってしまうとたいてい失敗をします。なぜならたとえば同じようにある科目について「偏差値60」であるとしても、その内実は多様であるからです。理解もしていないままに無理やり詰め込んでの偏差値60もあれば、覚えるべきことを全然覚えてないままになんとなく文脈を読む力があっての偏差値60もあります。同じ「レベル」であったとしても、その結果が何に依存して生じているかが一人一人全く違うため、その子の今の実力の「内実」がどのようなものであるのかをこちらが把握しながら参考書計画も常に変わっていきます。
たとえば英語に話を絞れば、短文での英文解釈の前に単語や文法を初めにやるのは当たり前として、単語と文法の比重、さらにはほとんどの高校生は「文法学習」は「ただ4択問題をたくさん解いてきました」というだけしかしてきていないので、全く理解しないままにただ覚えています。また、単語も覚えることではあるのですが、それも接頭辞や接尾辞、語幹の意味というのを踏まえては組み合わせていく中で「覚えた」子と、そうではなく力技で覚えている子とで、同じ単語帳を同じレベルまで覚えていたとしても、そこからの勉強方針が変わってきてしまいます。前者はそこからさらに新たな単語を増やしていく、という戦略が有効ですが、後者は単語のパーツの分解ができない以上、単語量を増やせば増やすほどに飽和状態になり、全く入らなくなっていってしまうので、むしろ接頭辞、接尾辞、語幹を丁寧にマスターしていくことの方が大切ですし、入試で知らない単語でも類推が効くようになります。さらに英熟語も一般的には「覚える」ものだと考えられますが、これも熟語を成り立たせている単語と単語の意味から熟語の意味を引き出してこれる受験生とただ機械的に覚えている受験生とで全く違うので後者は飽和状態になってしまい、知らない組み合わせの類推もきかないのでそれも単語と単語の意味から熟語の意味を引き出せるように…。
と、科目を絞って英語だけの話をして、さらに「最初は単語と文法やろうね!じゃあまずはこの教材から!」というところだけで、これだけ千差万別な受験生の状態を把握しては、何がその子に必要な勉強なのかを考え、教材もそれに合わせて優先順位を考えていかねばならないわけです。。また、単語や熟語は一般に「覚える」ものとされています。勉強において、「理解すること」を「覚えること」よりもできる限り優先する、という大原則は大切です。しかし、個々の「覚えること」の中にも「理解すること」はたくさんあり、逆もまた然りで、そんなこと言ってくととてつもなく大変です。最初は英語のことだけでも教材選別にあたって必要な考慮を全部書こうとしたのですが、ちょっとキリが無くなってやめました。これを各科目全部やる、とかマジ誰ができるんですか、というか、とてつもなくめんどくさい仕事なわけです。
それを「これやっておくといいよ!それを何周もしてできるようになったら次はこれだぞ!」と単純化するのは、
もちろん何にも手をつけていない受験生を勉強へとmotivateするという意味では最初にあっても良いプロセスではあるとは思うのですが、それで成績が上がるのは最初だけです。何もしていない状態は未開の荒野で方向性なんか関係なく、やればやるほど力が伸びる、という話は前回もしましたね。それ以上にはあまり望めないと思います。特に難しい大学を受けるときはキツイと思います。
さらに難しいことがあります。先に書いたような「僕は英単語、語源としか知らないでムリヤリ覚えてるんですよね。それで大丈夫でしょうか?」とか「私は英文法、文法問題はたくさん解いてよく出る問題は答えられるのですが、正しい形覚えてるだけでいまいち他の選択肢がなぜ違うのか説明できないんですよね。これで大丈夫でしょうか?」のように受験生が聞いてくれるのならば、参考書の見直しもしやすいのです(まあそれでも見直ししてくれる塾は少ないとは思うのですが)。しかし、このような質問ができる受験生、というのは既に相当ハイレベルな受験生です。ほとんどの受験生はそんな勉強法に疑いも持たずに(だって学校でそんなこと教えてもらえないですから)、そのやり方でやっては伸び悩みます。
受験生がどのような状態の学習を続けているかを把握するためにこそ、先に書いた勉強計画や今回の教材選定においても「質問」がとても重要であるのです。生徒のなにげない質問から、「なるほどこんなことがわかっていないのか。。」ということを愕然とした先生方は山ほどおられると思います。生徒から質問を受けるからこそ、その生徒が今何をやるべきか、優先順位が明確になるのです。だからこそ、質問を受けないまま、あるいは質問を受ける人と計画や教材を決める人が別のままの学習計画設定や参考書選び、というものが基本的にはナンセンスであると思っています。それはまあ「勉強やらないよりはやるほうがマシ」レベルのものであり、いずれ必ず天井にぶつかります。もちろん、「天井」にぶつかってから自分で悩んだり試行錯誤できる受験生であればそれでも合格できるでしょうが、それは最初からその塾をそんなに必要としない受験生でもあると思いますし、教えている実感としてはそのような賢い受験生、というのはかなり割合が低いかな、と思います。東大や早慶の受験生の中ですら、ですね。
だからこそ、信用できる「勉強ルート塾」を判断するための一番大切な基準は、「質問を受ける人が勉強計画も策定する」というまあプロの家庭教師の先生とかなら当たり前にやっていることをやってくれる「勉強ルート塾」です。ただ、これが大学受験においてはおそらく構造的に難しいのだと思います。その理由としては科目を教えるのは大学生に任せ、参考書選びや勉強計画は社員に任せる、という仕組みがおそらく多いことによるのかな、と。各科目を社員が勉強してできるようにして質問に答えられるようにする、はおそらく社員さんの学力の限界上難しいでしょうし(それができるならその社員さんは予備校で教えます。)、一方で大学生の作る「計画」や「参考書ルート」は彼らの主観からは逃れられない、という問題点があります(まあ、「俺はこれやってうまくいったから!」ですよね)。例外的にそのバイトを長くやり、様々な子を教えてきて経験値の高く自分の勉強の仕方をある程度客観視でき、何ならそのバイトのために自分の使ったことのない参考書まで研究するぐらい熱心な大学生に運良く当たる、または社員さんがたまたまよんどころない事情でそういった塾で働かざるを得ないけれども受験勉強に関してはマニアで社会人になってからもずっと勉強を続けていて、どの科目でも現役有名大学生以上には答えられる、などといった幸運に幸運が重ならないと難しいのかな、とは思います。
というように参考書を選ぶこともまた極めて難しく、特にそれを伝える受験生から直接質問を受けられない場合には「一般的にはこれやっといたらいいよ〜」以上のことがほぼ言えない、というのがこの指導方式の限界であるようにも思います。
もちろん嚮心塾はそうはならないように諸々日々勉強し、考えながらやっています。たとえば10年前の嚮心塾、あるいは5年前の嚮心塾と比べても、指導方法や教材の選定の多様さ、というのは日々の教材研究でだいぶ増えてきていると思っています。まあ、そんな風に非力ながらも色々必死に努力していたとしても、それでも本当に難しいのです。その難しさについて楽観せずにしっかりと対応し続けようとする塾を、親御さんや受験生が選ぶことが大切かな、と思います。「この教材を繰り返しやれば大丈夫!!」という楽観論には、何も先が見えないときにはつい縋(すが)りたくなってしまうものですが、そこでしっかりと考え続けてくれる指導者かどうかが大切かと(気がついたらこんな分量に…)。
②はじめに選んだ教材でよいかどうかはよくわからない。
いわゆる「参考書ルート」というのを受験生に呈示して、それを進めていってもらう、というタイプの学習塾が増えていて、嚮心塾も分類するとそのタイプなわけですが、これがしかし、難しいです。。
たとえば嚮心塾の場合、今の実力とかを踏まえて「最初はまずこれくらいから」という見立てをして提案します。それを進めていく中でわからないところを質問してもらったり、手応えや違和感というのを聞きながら、どういう違和感はスルーしてその教材を進めていくべきか、逆にどういう違和感はその教材を一旦止めてでも他の復習をしていくべきなのか、というのを判断していきます。
これもまた、最初に決めた「今これくらいの実力の子が一年後にはこの学校を受けたいから」という逆算でやってしまうとたいてい失敗をします。なぜならたとえば同じようにある科目について「偏差値60」であるとしても、その内実は多様であるからです。理解もしていないままに無理やり詰め込んでの偏差値60もあれば、覚えるべきことを全然覚えてないままになんとなく文脈を読む力があっての偏差値60もあります。同じ「レベル」であったとしても、その結果が何に依存して生じているかが一人一人全く違うため、その子の今の実力の「内実」がどのようなものであるのかをこちらが把握しながら参考書計画も常に変わっていきます。
たとえば英語に話を絞れば、短文での英文解釈の前に単語や文法を初めにやるのは当たり前として、単語と文法の比重、さらにはほとんどの高校生は「文法学習」は「ただ4択問題をたくさん解いてきました」というだけしかしてきていないので、全く理解しないままにただ覚えています。また、単語も覚えることではあるのですが、それも接頭辞や接尾辞、語幹の意味というのを踏まえては組み合わせていく中で「覚えた」子と、そうではなく力技で覚えている子とで、同じ単語帳を同じレベルまで覚えていたとしても、そこからの勉強方針が変わってきてしまいます。前者はそこからさらに新たな単語を増やしていく、という戦略が有効ですが、後者は単語のパーツの分解ができない以上、単語量を増やせば増やすほどに飽和状態になり、全く入らなくなっていってしまうので、むしろ接頭辞、接尾辞、語幹を丁寧にマスターしていくことの方が大切ですし、入試で知らない単語でも類推が効くようになります。さらに英熟語も一般的には「覚える」ものだと考えられますが、これも熟語を成り立たせている単語と単語の意味から熟語の意味を引き出してこれる受験生とただ機械的に覚えている受験生とで全く違うので後者は飽和状態になってしまい、知らない組み合わせの類推もきかないのでそれも単語と単語の意味から熟語の意味を引き出せるように…。
と、科目を絞って英語だけの話をして、さらに「最初は単語と文法やろうね!じゃあまずはこの教材から!」というところだけで、これだけ千差万別な受験生の状態を把握しては、何がその子に必要な勉強なのかを考え、教材もそれに合わせて優先順位を考えていかねばならないわけです。。また、単語や熟語は一般に「覚える」ものとされています。勉強において、「理解すること」を「覚えること」よりもできる限り優先する、という大原則は大切です。しかし、個々の「覚えること」の中にも「理解すること」はたくさんあり、逆もまた然りで、そんなこと言ってくととてつもなく大変です。最初は英語のことだけでも教材選別にあたって必要な考慮を全部書こうとしたのですが、ちょっとキリが無くなってやめました。これを各科目全部やる、とかマジ誰ができるんですか、というか、とてつもなくめんどくさい仕事なわけです。
それを「これやっておくといいよ!それを何周もしてできるようになったら次はこれだぞ!」と単純化するのは、
もちろん何にも手をつけていない受験生を勉強へとmotivateするという意味では最初にあっても良いプロセスではあるとは思うのですが、それで成績が上がるのは最初だけです。何もしていない状態は未開の荒野で方向性なんか関係なく、やればやるほど力が伸びる、という話は前回もしましたね。それ以上にはあまり望めないと思います。特に難しい大学を受けるときはキツイと思います。
さらに難しいことがあります。先に書いたような「僕は英単語、語源としか知らないでムリヤリ覚えてるんですよね。それで大丈夫でしょうか?」とか「私は英文法、文法問題はたくさん解いてよく出る問題は答えられるのですが、正しい形覚えてるだけでいまいち他の選択肢がなぜ違うのか説明できないんですよね。これで大丈夫でしょうか?」のように受験生が聞いてくれるのならば、参考書の見直しもしやすいのです(まあそれでも見直ししてくれる塾は少ないとは思うのですが)。しかし、このような質問ができる受験生、というのは既に相当ハイレベルな受験生です。ほとんどの受験生はそんな勉強法に疑いも持たずに(だって学校でそんなこと教えてもらえないですから)、そのやり方でやっては伸び悩みます。
受験生がどのような状態の学習を続けているかを把握するためにこそ、先に書いた勉強計画や今回の教材選定においても「質問」がとても重要であるのです。生徒のなにげない質問から、「なるほどこんなことがわかっていないのか。。」ということを愕然とした先生方は山ほどおられると思います。生徒から質問を受けるからこそ、その生徒が今何をやるべきか、優先順位が明確になるのです。だからこそ、質問を受けないまま、あるいは質問を受ける人と計画や教材を決める人が別のままの学習計画設定や参考書選び、というものが基本的にはナンセンスであると思っています。それはまあ「勉強やらないよりはやるほうがマシ」レベルのものであり、いずれ必ず天井にぶつかります。もちろん、「天井」にぶつかってから自分で悩んだり試行錯誤できる受験生であればそれでも合格できるでしょうが、それは最初からその塾をそんなに必要としない受験生でもあると思いますし、教えている実感としてはそのような賢い受験生、というのはかなり割合が低いかな、と思います。東大や早慶の受験生の中ですら、ですね。
だからこそ、信用できる「勉強ルート塾」を判断するための一番大切な基準は、「質問を受ける人が勉強計画も策定する」というまあプロの家庭教師の先生とかなら当たり前にやっていることをやってくれる「勉強ルート塾」です。ただ、これが大学受験においてはおそらく構造的に難しいのだと思います。その理由としては科目を教えるのは大学生に任せ、参考書選びや勉強計画は社員に任せる、という仕組みがおそらく多いことによるのかな、と。各科目を社員が勉強してできるようにして質問に答えられるようにする、はおそらく社員さんの学力の限界上難しいでしょうし(それができるならその社員さんは予備校で教えます。)、一方で大学生の作る「計画」や「参考書ルート」は彼らの主観からは逃れられない、という問題点があります(まあ、「俺はこれやってうまくいったから!」ですよね)。例外的にそのバイトを長くやり、様々な子を教えてきて経験値の高く自分の勉強の仕方をある程度客観視でき、何ならそのバイトのために自分の使ったことのない参考書まで研究するぐらい熱心な大学生に運良く当たる、または社員さんがたまたまよんどころない事情でそういった塾で働かざるを得ないけれども受験勉強に関してはマニアで社会人になってからもずっと勉強を続けていて、どの科目でも現役有名大学生以上には答えられる、などといった幸運に幸運が重ならないと難しいのかな、とは思います。
というように参考書を選ぶこともまた極めて難しく、特にそれを伝える受験生から直接質問を受けられない場合には「一般的にはこれやっといたらいいよ〜」以上のことがほぼ言えない、というのがこの指導方式の限界であるようにも思います。
もちろん嚮心塾はそうはならないように諸々日々勉強し、考えながらやっています。たとえば10年前の嚮心塾、あるいは5年前の嚮心塾と比べても、指導方法や教材の選定の多様さ、というのは日々の教材研究でだいぶ増えてきていると思っています。まあ、そんな風に非力ながらも色々必死に努力していたとしても、それでも本当に難しいのです。その難しさについて楽観せずにしっかりと対応し続けようとする塾を、親御さんや受験生が選ぶことが大切かな、と思います。「この教材を繰り返しやれば大丈夫!!」という楽観論には、何も先が見えないときにはつい縋(すが)りたくなってしまうものですが、そこでしっかりと考え続けてくれる指導者かどうかが大切かと(気がついたらこんな分量に…)。
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