
T・A(麻布高3)
東京工業大学環境・社会理工学院合格(進学先)
(ほか合格校:東京理科大学理工学部)
まず、中学時代の話をすると、中高一貫校に入学し高校受験もなかったので中学3年間をロクに勉強せずに過ごし、高校にあがる時には、学校の授業中はおろかテストの時でさえ勉強をしていなかった。もちろん天才でもなんでもないわけで、学力はかなり低かった。この時、大手塾に入ろうと考えていたわけだが、それすらも厳しい学力であったので”応急処置”と考え、一時的にこの塾に通う事にした。(この塾は姉2人が通っていたため知っていた)
数ヶ月あと、”Gnoble”の入塾試験に臨んだ。(やはりこれまでの期間必死に勉強していたわけではない)
英語は中一から転々と色々な塾に通っていたおかげか、無事試験を通過できたが、数学は一番下のクラスにも入れないといった具合であった。その結果”応急処置”として通っていたこの塾に引き続き通う事になったのだ。(結果的にはこれが功を奏したのだが)
しかし、高校1年時にはこの入塾試験に落ちた事、学校内での模試の成績が悪い事などに対して全く危機感を持てず、”まだ大丈夫”といった気持ちが大きかった。このように考えているので、勉強に本腰をいれるわけでもなく、部活終わりにほんの少し勉強しに立ち寄るといった感じで過ごした。
高二になると周りが受験の話をし始める。模試も増えてきて実力が露わになり始める。そんな周りの話をやはり他人事のように捉えていた気がする。というのも、自身の勉強不足であるにも関わらず、無意識にそこには目をつぶり、周りのように大手塾に通っていないことが原因で実力がついていないのだと考えていたので、大手塾に入れば周りには自然と追いつき大学に進学できるだろうと楽観視していた。
そして、先生に駿台に行こうかと考えていることを明かした。その時展開した持論は次のようなものだった。この塾には小学生から浪人生まで幅広いの年齢、そして実力の生徒がいる。自分はそのような環境にいるから危機感が持てず勉強に本腰を入れることができないのだ。駿台に行けば、クラス分けされ同じような実力の生徒と切磋琢磨できる。だから駿台に行こうと思っていると。
これに対し、先生は”周りがいてこそのモチベーションならば、受験には落ちる”とおっしゃった。これは受験が終わった今考えると、結局受験の最後は自身の心の持ちようにも大きく左右されるだからだと思う。当時は妙に納得し、駿台にいくことをやめ、この塾で受験を迎えることを決心した。
いよいよ高校3年になるわけだが流石に受験校の話も先生と始める。東工大に行きたい学部はあったものの、東工大は自身の苦手教科であった数学がかなり難しいというイメージがあったので、京都大学を目指すことにした。(実力としては全く受かるようなものではなかったが、目標は高くということで)
この時期から、これまで勉強していた数学に加え(英語はgnobleで中心に勉強)、物理と化学の勉強も始めた。正直1年間で終わるのかという不信感があったことは否めないが、それまで数学や英語が物理と化学を始めるに値するような実力を持っていなかったので自業自得である。
特に高3の1年間、先生とは勉強の進め方について相談をした。
まず、参考書について。物理・化学の始める時期が遅いと考えていた上に、数学も新たな参考書を解き始め、焦りがあったのか”早く”参考書などを終わらせることを重視していた。もちろんこれは全くの間違いで、ほんの少しでもわからないところはしっかりと潰さないといけないのだが、はやる気持ちのせいか、少しわからない部分も目をつぶり、とにかく終わらせる事に焦点を当てていた。これは本質が見えていなかったと大きな反省点である。1つの参考書が終わると次のステップに進んでいいか相談に行くわけだが、先生は自分のその手を抜く癖を見抜いてか、”終わった”の言葉を信用せず、もう一度同じものを解くように勧めてきた。これが結果的にはかなり実力をつける上で役に立った。
また、英語について。英語は上記した通り、大手塾に通えば勝手に実力が伸びると思いgnobleの授業に参加していたわけだが、実際はなかなか英語力はつかなかった。これについても2年間gnobleに通って初めて相談した。それまで感覚的に英語に取り組んでいたわけだが、それが通用しなくなっていたのだ。先生に文法的な英語の捉え方といった的確なアドバイスをもらい、結果英語はかなり実力が上がり、受験当日では安心して受けられる科目にまでなった。
そのように勉強をしていた、12月ごろ受験校の迷いが出てきた。それまで、京都大学に進学しようと勉強を続け、模試も京都大学のものを受けていたが、いざ学部を選ぶとなると特に行きたい学部もないと気づいてしまった。このことと、いまだに東工大には興味のある学部があるということを相談した。直前にこのような相談をするものではないが、先生は丁寧に相談に乗ってくださり、もちろん受験的なものやそれぞれの大学の利点などまで話してくださった。これを経て、第一志望は東京工業大学になった。それまで、大学に行きたいといった強い気持ちはなかったが、このとき初めて、”大学に行きたい”という気持ちが生まれ、モチベーションにつながった。
直前期はもちろん過去問を解くわけだが、最も他塾と違い、そして最も役にたったと感じるのがこの時期である。まず、他塾は直前期は授業がないので、突然自分1人で過去問を解く事になる。しかし、この塾では、普段から自分で勉強するのが中心なので自然に過去問を解き始めることもできるし、そのやり方も迷うことがない。また、過去問をといて自分で採点をして、その採点でわからないことがあればメールのやり取りなどをせずに、その場で”全ての教科について”聞くことができる。的確なアドバイスをもらい、次の過去問を解く時にそれを生かす。同じ間違いを繰り返すときにはそれを特に意識して解く。そうして本番に向けて準備をする。
さらに、高2のときに持っていた勝手な偏見の”この塾ではモチベーションが続かない”ということは全くなかった。というのも、もちろん個々人で受験する大学を違えど、その人にとってのレベルのチャレンジであり、受験を迎える皆が集中していたおかげか、そこから自分も頑張ろうという気持ちが生まれ、最後まで実力を高めることができた。
そして迎えた東工大の試験日。1日目は数学と英語。英語は難なく解けたが、数学は大問5問中0完、書けるとこを部分点狙いで書いたといった感じで正直数学の配点が大きいこの入試では正直終わりを覚悟して、試験終わりに嚮心塾に寄った。そこで先生に”入試は2日目が勝負。あきらめないで頑張れ”と言われ、かなり気持ちが軽くなり、2日目の科目の準備をしっかりとすることができ、その結果2日目の物理と化学では大きな失敗を防ぐことができた。これが合格に結びついたと思う。
受験はもちろんのこと、勉強以外の事にも質問がしやすく、的確なアドバイスをもらい、その人にあった勉強をできるというのがこの塾の強みの一つだと思う。そのような場所を提供する柳原先生、そして何度も質問に答えてくださったチューターの皆さん、改めて本当にお世話になりました。
(ここからは、中学受験と大学受験について僕個人の観点から少し書いていこうかと思う。完全に独り言のようなものなので、無視してもらっても問題ない。
まず、なぜ僕が麻布を受けたのかは今となっては覚えていない。というより、中学受験自体を自分からしたいを言った覚えはない。むしろ中学受験をする小学生などこのような人が多いのではないだろうか。つまり、中学受験とは親の意向といったものが大きく反映される。受験校もそうだが、特に塾に関しては子供が決める余地はほとんどないように思う。自分がその塾に向いている、向いてないなどといったことは考えもせず、勉強すると決められた空間に行き、テストなどを受け、その結果で一喜一憂する。それのゴールが中学受験とはまったく意識せずに塾側から出された宿題や授業を受ける。今でもそうだが、僕は視野が狭いので、それが自分にとって正しい道なのか、もっというとそれが楽しいのかすらわからなかった。
僕の小学校のときの塾はまだその当時は小さく、コミュニティーとしてはかなり心地よい空間だった。それゆえに、”勉強”といったものは苦ではなく、必死に勉強したつもりもなく、受験を迎え、麻布中学という世間では名門と言われる学校に入った。(実際は…)
これに対し、大学受験において、他人(特に親)の意向というものが薄れ、それよりも自分の考えの影響力が大きいと考える。例えば、僕の場合、上に書いた中学受験の時の感覚は大学受験を迎えるにあたって大きな障壁となった。中学時代、高1、高2のなめきった態度というのは、中学受験のときと同じようになんとなく周りに合わせて勉強をして、なんとなく受かってしまったのが原因だと考える。受験というものは周りと同じようにペンを動かしていれば、乗り越えられるものだろうと。結局大学受験を迎えるような年齢だと、いろいろな感情や考え(特に勉強を阻むような類)が生まれてきて、中学受験より合格のハードルがぐんと上がると感じる。
そういった意味でも大学受験とは”自分自身との戦い”なのだろうと考えている。
(僕は単独で”自分自身との戦い”に勝ったのではなく,先生からの多くの自分では気づかない弱点の指摘など多くのサポートがあったことも忘れてはいけない)
東京工業大学環境・社会理工学院合格(進学先)
(ほか合格校:東京理科大学理工学部)
まず、中学時代の話をすると、中高一貫校に入学し高校受験もなかったので中学3年間をロクに勉強せずに過ごし、高校にあがる時には、学校の授業中はおろかテストの時でさえ勉強をしていなかった。もちろん天才でもなんでもないわけで、学力はかなり低かった。この時、大手塾に入ろうと考えていたわけだが、それすらも厳しい学力であったので”応急処置”と考え、一時的にこの塾に通う事にした。(この塾は姉2人が通っていたため知っていた)
数ヶ月あと、”Gnoble”の入塾試験に臨んだ。(やはりこれまでの期間必死に勉強していたわけではない)
英語は中一から転々と色々な塾に通っていたおかげか、無事試験を通過できたが、数学は一番下のクラスにも入れないといった具合であった。その結果”応急処置”として通っていたこの塾に引き続き通う事になったのだ。(結果的にはこれが功を奏したのだが)
しかし、高校1年時にはこの入塾試験に落ちた事、学校内での模試の成績が悪い事などに対して全く危機感を持てず、”まだ大丈夫”といった気持ちが大きかった。このように考えているので、勉強に本腰をいれるわけでもなく、部活終わりにほんの少し勉強しに立ち寄るといった感じで過ごした。
高二になると周りが受験の話をし始める。模試も増えてきて実力が露わになり始める。そんな周りの話をやはり他人事のように捉えていた気がする。というのも、自身の勉強不足であるにも関わらず、無意識にそこには目をつぶり、周りのように大手塾に通っていないことが原因で実力がついていないのだと考えていたので、大手塾に入れば周りには自然と追いつき大学に進学できるだろうと楽観視していた。
そして、先生に駿台に行こうかと考えていることを明かした。その時展開した持論は次のようなものだった。この塾には小学生から浪人生まで幅広いの年齢、そして実力の生徒がいる。自分はそのような環境にいるから危機感が持てず勉強に本腰を入れることができないのだ。駿台に行けば、クラス分けされ同じような実力の生徒と切磋琢磨できる。だから駿台に行こうと思っていると。
これに対し、先生は”周りがいてこそのモチベーションならば、受験には落ちる”とおっしゃった。これは受験が終わった今考えると、結局受験の最後は自身の心の持ちようにも大きく左右されるだからだと思う。当時は妙に納得し、駿台にいくことをやめ、この塾で受験を迎えることを決心した。
いよいよ高校3年になるわけだが流石に受験校の話も先生と始める。東工大に行きたい学部はあったものの、東工大は自身の苦手教科であった数学がかなり難しいというイメージがあったので、京都大学を目指すことにした。(実力としては全く受かるようなものではなかったが、目標は高くということで)
この時期から、これまで勉強していた数学に加え(英語はgnobleで中心に勉強)、物理と化学の勉強も始めた。正直1年間で終わるのかという不信感があったことは否めないが、それまで数学や英語が物理と化学を始めるに値するような実力を持っていなかったので自業自得である。
特に高3の1年間、先生とは勉強の進め方について相談をした。
まず、参考書について。物理・化学の始める時期が遅いと考えていた上に、数学も新たな参考書を解き始め、焦りがあったのか”早く”参考書などを終わらせることを重視していた。もちろんこれは全くの間違いで、ほんの少しでもわからないところはしっかりと潰さないといけないのだが、はやる気持ちのせいか、少しわからない部分も目をつぶり、とにかく終わらせる事に焦点を当てていた。これは本質が見えていなかったと大きな反省点である。1つの参考書が終わると次のステップに進んでいいか相談に行くわけだが、先生は自分のその手を抜く癖を見抜いてか、”終わった”の言葉を信用せず、もう一度同じものを解くように勧めてきた。これが結果的にはかなり実力をつける上で役に立った。
また、英語について。英語は上記した通り、大手塾に通えば勝手に実力が伸びると思いgnobleの授業に参加していたわけだが、実際はなかなか英語力はつかなかった。これについても2年間gnobleに通って初めて相談した。それまで感覚的に英語に取り組んでいたわけだが、それが通用しなくなっていたのだ。先生に文法的な英語の捉え方といった的確なアドバイスをもらい、結果英語はかなり実力が上がり、受験当日では安心して受けられる科目にまでなった。
そのように勉強をしていた、12月ごろ受験校の迷いが出てきた。それまで、京都大学に進学しようと勉強を続け、模試も京都大学のものを受けていたが、いざ学部を選ぶとなると特に行きたい学部もないと気づいてしまった。このことと、いまだに東工大には興味のある学部があるということを相談した。直前にこのような相談をするものではないが、先生は丁寧に相談に乗ってくださり、もちろん受験的なものやそれぞれの大学の利点などまで話してくださった。これを経て、第一志望は東京工業大学になった。それまで、大学に行きたいといった強い気持ちはなかったが、このとき初めて、”大学に行きたい”という気持ちが生まれ、モチベーションにつながった。
直前期はもちろん過去問を解くわけだが、最も他塾と違い、そして最も役にたったと感じるのがこの時期である。まず、他塾は直前期は授業がないので、突然自分1人で過去問を解く事になる。しかし、この塾では、普段から自分で勉強するのが中心なので自然に過去問を解き始めることもできるし、そのやり方も迷うことがない。また、過去問をといて自分で採点をして、その採点でわからないことがあればメールのやり取りなどをせずに、その場で”全ての教科について”聞くことができる。的確なアドバイスをもらい、次の過去問を解く時にそれを生かす。同じ間違いを繰り返すときにはそれを特に意識して解く。そうして本番に向けて準備をする。
さらに、高2のときに持っていた勝手な偏見の”この塾ではモチベーションが続かない”ということは全くなかった。というのも、もちろん個々人で受験する大学を違えど、その人にとってのレベルのチャレンジであり、受験を迎える皆が集中していたおかげか、そこから自分も頑張ろうという気持ちが生まれ、最後まで実力を高めることができた。
そして迎えた東工大の試験日。1日目は数学と英語。英語は難なく解けたが、数学は大問5問中0完、書けるとこを部分点狙いで書いたといった感じで正直数学の配点が大きいこの入試では正直終わりを覚悟して、試験終わりに嚮心塾に寄った。そこで先生に”入試は2日目が勝負。あきらめないで頑張れ”と言われ、かなり気持ちが軽くなり、2日目の科目の準備をしっかりとすることができ、その結果2日目の物理と化学では大きな失敗を防ぐことができた。これが合格に結びついたと思う。
受験はもちろんのこと、勉強以外の事にも質問がしやすく、的確なアドバイスをもらい、その人にあった勉強をできるというのがこの塾の強みの一つだと思う。そのような場所を提供する柳原先生、そして何度も質問に答えてくださったチューターの皆さん、改めて本当にお世話になりました。
(ここからは、中学受験と大学受験について僕個人の観点から少し書いていこうかと思う。完全に独り言のようなものなので、無視してもらっても問題ない。
まず、なぜ僕が麻布を受けたのかは今となっては覚えていない。というより、中学受験自体を自分からしたいを言った覚えはない。むしろ中学受験をする小学生などこのような人が多いのではないだろうか。つまり、中学受験とは親の意向といったものが大きく反映される。受験校もそうだが、特に塾に関しては子供が決める余地はほとんどないように思う。自分がその塾に向いている、向いてないなどといったことは考えもせず、勉強すると決められた空間に行き、テストなどを受け、その結果で一喜一憂する。それのゴールが中学受験とはまったく意識せずに塾側から出された宿題や授業を受ける。今でもそうだが、僕は視野が狭いので、それが自分にとって正しい道なのか、もっというとそれが楽しいのかすらわからなかった。
僕の小学校のときの塾はまだその当時は小さく、コミュニティーとしてはかなり心地よい空間だった。それゆえに、”勉強”といったものは苦ではなく、必死に勉強したつもりもなく、受験を迎え、麻布中学という世間では名門と言われる学校に入った。(実際は…)
これに対し、大学受験において、他人(特に親)の意向というものが薄れ、それよりも自分の考えの影響力が大きいと考える。例えば、僕の場合、上に書いた中学受験の時の感覚は大学受験を迎えるにあたって大きな障壁となった。中学時代、高1、高2のなめきった態度というのは、中学受験のときと同じようになんとなく周りに合わせて勉強をして、なんとなく受かってしまったのが原因だと考える。受験というものは周りと同じようにペンを動かしていれば、乗り越えられるものだろうと。結局大学受験を迎えるような年齢だと、いろいろな感情や考え(特に勉強を阻むような類)が生まれてきて、中学受験より合格のハードルがぐんと上がると感じる。
そういった意味でも大学受験とは”自分自身との戦い”なのだろうと考えている。
(僕は単独で”自分自身との戦い”に勝ったのではなく,先生からの多くの自分では気づかない弱点の指摘など多くのサポートがあったことも忘れてはいけない)
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