
お久しぶりです。1月末から2月頭は中学受験、高校受験、大学受験と忙しさが半端なかったです!!
ブログの方もだいぶ遠ざかってしまってすみませんでした。
今年は下の娘も中学受験だったのですが、結果は全て不合格でした。
塾の他の中学受験生は受けた学校は全て合格する!(doesn't mean 「すべての入試に合格する」)という順調ぶりだったので、その落差にとても可哀想なことになりました。もちろん他の受験生とは違って直前3ヶ月になって初めて頑張り出すという彼女なりの甘さがあったとはいえ、です。
ということを書くと同情を誘っているようで難しいのですが、この結果自体はあまり大したことではないと僕は考えています。大切なのは勉強の力をつけること、その上で今回できたことと出来なかったこととをしっかりと反省し、次に繋げていくことです。もちろん娘にとっては大きな挫折であり、それが彼女が次に何かを努力しようとする意志を挫くことになるかもしれませんが、それでも確かなものはその苦い思いも含めて彼女の中に残ったはずです。それはやはりこの3ヶ月必死に頑張ったことの成果であると思います。
学部生のときに思想史のゼミでジャン・ジャック・ルソーの話が出たことがあります。そのとき、ゼミの教授がルソーの思想(の彼なりの解釈)をけなして、「所詮、自分の子供を5人も捨てるやつ(ルソーは5人の子供を孤児院に入れています)にまともな思想なんかあるわけがないんだ!」と言ったのを聞き、その当時の僕は「このバカ(その教授のことです)は思想史を扱っているはずなのに、こんな短絡的なことしか言えないのだな。むしろルソーは時代を超えるradicalな思想があるからこそ、自分の子供との生活を諦めざるを得なかった、という側面が強いのに。」と強く反感を覚え、反論したことがあります。もちろんそれが、その頭の悪い教授に伝わるべくもなかったわけですが。
ヨーロッパ中から「人類の敵」として迫害されたルソーと我が身を比べるのはとても気が引けるのですが、僕自身が家庭を持ち、子供を育て、そしてその子供に自分が残すことのできる唯一の財産としての教育をしてあげよう!と思っても、僕には塾生よりも我が子を優先することはできないものでした。もちろん人類よりも我が子を優先できないルソーと比べれば、「まだお前は小さなコミュニティに閉じこもっては、その内部を照らそうとしているだけだろう!!まだ「見返り」があるだろ!」と叱られる程度のことではあるのですが、それでもこのような僕に家庭をもつ資格はあるのか、子供を育てる資格はあるのか、ということは常に自問自答し続けている日々です。
精子が卵子と結びついたときにブワッと広げる膜によって、受精卵は他の精子の侵入を排除することで閉ざされた内部の中での生命を維持します。そのような無数の暴力的に外界を排除する「受精卵」に似た、家庭や会社、同窓会、国家、その他の閉じた内部の中でしか生きていけない、いや、生命そのものがそのような外界の暴力的な排除からしか始まらない我々にとって、「思いをやる」ということは果たして可能なのでしょうか。太宰治が『家庭の幸福』で描いたような、内部の幸せのために外部の不幸を遮断するしかない無力な我々が、それでも外部の不幸に何とか目を向けようとしていくことは、内部の幸福を外部に分け与えようとしてもビル・ゲイツや前澤社長ですらどうしようもなく無力であり、結局は外部の不幸をどこまでも内部に取り入れていくことでしかないのだとしたら、どこまで外部の不幸を取り入れていけばいいのでしょうか。あるいは外部の不幸を取り入れることは内部が幸福であることの免罪符として利用してよいものなのでしょうか。
高校生の時、生物を勉強していてそのようなイメージを得たときから、僕はずっとその答を探してきました。自身が家庭であれ、あるいはもう少し大きな集団であれ、閉じた内部を満たすことはたやすいと気づいたときから、「閉じているようで開いている」共同体を、そしてそのためにもまずはそのような自分自身であることを目指してきたつもりでした。
しかし、そのようなイメージから悩んではあれこれ25年以上やってきたつもりでも、閉じすぎてしまったり、開きすぎてしまったりの失敗の毎日です。閉じるべき瞬間に閉じることなく、周囲の人間につらい思いをさせ、開くべき瞬間に開ききれずに結局見殺しにせざるを得なかったりしています。その失敗ばかりの愚かしい自分が、また一つ自分の娘を傷つける、というのは「中学受験は結果ではなく過程である」としてもなお、その事実のradicalさに感情がついていかない娘にとっては、単なる暴力でしかないでしょう。
そのような暴力的結果を引き起こしてもなお、「だからこれからはやはり家族のことだけ考えていきます!」とか「これからはやはり塾生のことだけ考えていきます!」としたくはありません。完全に閉じた共同体は、その外にとっては無意味のものでしかないからです。もしそのように暴力的に外部を排除することから始まる私達の生命に何らかの意味があるのだとすれば、そこから思いをやることの起点となりうる、ということだと思います。それはまた、同じ学部生の頃にベルクソンの『創造的進化』を読んだときに感じた頭での理解よりもなお、失敗に失敗を重ねては、自分の無力さや情けなさを噛み締めざるをえなくなった今だからこそ、強く思っています。
私達がどのような暴力にも全く加担することなく生きることは、どのように能力があり、どのように広く深く世の中を見渡すことのできる人間にとってもなお、不可能であるのだと思っています。であれば、私達はどのような暴力には加担せざるを得ないか、しかしそれは同時に暴力でしかない、という事実に罪の呵責に耐えながらも直視し、考え、修正を加えては何とかその暴力をより小さくしていくことしかできないのではないか、と考えています。他者の暴力性を告発することも特にそれがマイノリティの地位向上に資するのであればとても重要であるのですが、他者の暴力性への批判が自らが加担し続けている暴力を直視しないことに繋がるのであれば、それは本末転倒です。
5人の我が子を捨てざるを得なかったルソーに比べ、我が子を一応は育てている我々が、ルソーよりも我が子に恥じない生き方が出来ていると言えるのか。僕にはどうにもその自信はもてません。戦うべき社会の不正義と戦えているのか。我が子を、あるいは塾生を育て鍛えることを、今目の前にある不正と戦わない理由にはしていないだろうか。あるいは今回の娘の受験のように、「外」を引き受けてそれを何とかしようとしていくことを、「うち(内・家)」へと暴力を振るう理由にはしていないだろうか(これはまた、志あるNPOや社会的企業がブラックな労働環境になりがちなのも同じですね)。自らが加担し続けている暴力から目をそらさずに生きていく、というのは本当に困難なことです。どちらの方向にも、暴力しかないからです。
それでもルソーに限らずそのように引き受けて生きようとする全ての有名無名の人が存在する、という事実に僕は勇気づけられ続けています。自分も塾生や子どもたちにとって少しでも勇気づけられる存在になれるように、たとえ失敗や恥は多かろうと、自らの加担し続けている暴力性を絶えず直視しては少しでもそれを減らそうともがき続けることを諦めないように、これからも頑張っていきたいと思います。
ブログの方もだいぶ遠ざかってしまってすみませんでした。
今年は下の娘も中学受験だったのですが、結果は全て不合格でした。
塾の他の中学受験生は受けた学校は全て合格する!(doesn't mean 「すべての入試に合格する」)という順調ぶりだったので、その落差にとても可哀想なことになりました。もちろん他の受験生とは違って直前3ヶ月になって初めて頑張り出すという彼女なりの甘さがあったとはいえ、です。
ということを書くと同情を誘っているようで難しいのですが、この結果自体はあまり大したことではないと僕は考えています。大切なのは勉強の力をつけること、その上で今回できたことと出来なかったこととをしっかりと反省し、次に繋げていくことです。もちろん娘にとっては大きな挫折であり、それが彼女が次に何かを努力しようとする意志を挫くことになるかもしれませんが、それでも確かなものはその苦い思いも含めて彼女の中に残ったはずです。それはやはりこの3ヶ月必死に頑張ったことの成果であると思います。
学部生のときに思想史のゼミでジャン・ジャック・ルソーの話が出たことがあります。そのとき、ゼミの教授がルソーの思想(の彼なりの解釈)をけなして、「所詮、自分の子供を5人も捨てるやつ(ルソーは5人の子供を孤児院に入れています)にまともな思想なんかあるわけがないんだ!」と言ったのを聞き、その当時の僕は「このバカ(その教授のことです)は思想史を扱っているはずなのに、こんな短絡的なことしか言えないのだな。むしろルソーは時代を超えるradicalな思想があるからこそ、自分の子供との生活を諦めざるを得なかった、という側面が強いのに。」と強く反感を覚え、反論したことがあります。もちろんそれが、その頭の悪い教授に伝わるべくもなかったわけですが。
ヨーロッパ中から「人類の敵」として迫害されたルソーと我が身を比べるのはとても気が引けるのですが、僕自身が家庭を持ち、子供を育て、そしてその子供に自分が残すことのできる唯一の財産としての教育をしてあげよう!と思っても、僕には塾生よりも我が子を優先することはできないものでした。もちろん人類よりも我が子を優先できないルソーと比べれば、「まだお前は小さなコミュニティに閉じこもっては、その内部を照らそうとしているだけだろう!!まだ「見返り」があるだろ!」と叱られる程度のことではあるのですが、それでもこのような僕に家庭をもつ資格はあるのか、子供を育てる資格はあるのか、ということは常に自問自答し続けている日々です。
精子が卵子と結びついたときにブワッと広げる膜によって、受精卵は他の精子の侵入を排除することで閉ざされた内部の中での生命を維持します。そのような無数の暴力的に外界を排除する「受精卵」に似た、家庭や会社、同窓会、国家、その他の閉じた内部の中でしか生きていけない、いや、生命そのものがそのような外界の暴力的な排除からしか始まらない我々にとって、「思いをやる」ということは果たして可能なのでしょうか。太宰治が『家庭の幸福』で描いたような、内部の幸せのために外部の不幸を遮断するしかない無力な我々が、それでも外部の不幸に何とか目を向けようとしていくことは、内部の幸福を外部に分け与えようとしてもビル・ゲイツや前澤社長ですらどうしようもなく無力であり、結局は外部の不幸をどこまでも内部に取り入れていくことでしかないのだとしたら、どこまで外部の不幸を取り入れていけばいいのでしょうか。あるいは外部の不幸を取り入れることは内部が幸福であることの免罪符として利用してよいものなのでしょうか。
高校生の時、生物を勉強していてそのようなイメージを得たときから、僕はずっとその答を探してきました。自身が家庭であれ、あるいはもう少し大きな集団であれ、閉じた内部を満たすことはたやすいと気づいたときから、「閉じているようで開いている」共同体を、そしてそのためにもまずはそのような自分自身であることを目指してきたつもりでした。
しかし、そのようなイメージから悩んではあれこれ25年以上やってきたつもりでも、閉じすぎてしまったり、開きすぎてしまったりの失敗の毎日です。閉じるべき瞬間に閉じることなく、周囲の人間につらい思いをさせ、開くべき瞬間に開ききれずに結局見殺しにせざるを得なかったりしています。その失敗ばかりの愚かしい自分が、また一つ自分の娘を傷つける、というのは「中学受験は結果ではなく過程である」としてもなお、その事実のradicalさに感情がついていかない娘にとっては、単なる暴力でしかないでしょう。
そのような暴力的結果を引き起こしてもなお、「だからこれからはやはり家族のことだけ考えていきます!」とか「これからはやはり塾生のことだけ考えていきます!」としたくはありません。完全に閉じた共同体は、その外にとっては無意味のものでしかないからです。もしそのように暴力的に外部を排除することから始まる私達の生命に何らかの意味があるのだとすれば、そこから思いをやることの起点となりうる、ということだと思います。それはまた、同じ学部生の頃にベルクソンの『創造的進化』を読んだときに感じた頭での理解よりもなお、失敗に失敗を重ねては、自分の無力さや情けなさを噛み締めざるをえなくなった今だからこそ、強く思っています。
私達がどのような暴力にも全く加担することなく生きることは、どのように能力があり、どのように広く深く世の中を見渡すことのできる人間にとってもなお、不可能であるのだと思っています。であれば、私達はどのような暴力には加担せざるを得ないか、しかしそれは同時に暴力でしかない、という事実に罪の呵責に耐えながらも直視し、考え、修正を加えては何とかその暴力をより小さくしていくことしかできないのではないか、と考えています。他者の暴力性を告発することも特にそれがマイノリティの地位向上に資するのであればとても重要であるのですが、他者の暴力性への批判が自らが加担し続けている暴力を直視しないことに繋がるのであれば、それは本末転倒です。
5人の我が子を捨てざるを得なかったルソーに比べ、我が子を一応は育てている我々が、ルソーよりも我が子に恥じない生き方が出来ていると言えるのか。僕にはどうにもその自信はもてません。戦うべき社会の不正義と戦えているのか。我が子を、あるいは塾生を育て鍛えることを、今目の前にある不正と戦わない理由にはしていないだろうか。あるいは今回の娘の受験のように、「外」を引き受けてそれを何とかしようとしていくことを、「うち(内・家)」へと暴力を振るう理由にはしていないだろうか(これはまた、志あるNPOや社会的企業がブラックな労働環境になりがちなのも同じですね)。自らが加担し続けている暴力から目をそらさずに生きていく、というのは本当に困難なことです。どちらの方向にも、暴力しかないからです。
それでもルソーに限らずそのように引き受けて生きようとする全ての有名無名の人が存在する、という事実に僕は勇気づけられ続けています。自分も塾生や子どもたちにとって少しでも勇気づけられる存在になれるように、たとえ失敗や恥は多かろうと、自らの加担し続けている暴力性を絶えず直視しては少しでもそれを減らそうともがき続けることを諦めないように、これからも頑張っていきたいと思います。



