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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

嘘つきにつける薬。『ディスタンクシオン』

相変わらず塾はバタバタと忙しいのですが、今その合間を縫ってピエール・ブルデューの『ディスタンクシオン』を読んでいます(「ディスタンクシオン」とはdistinction「区別」のフランス語です)。本当に素晴らしい本であるので、やるべきことを後回しにしては、ついつい読み進めてしまっているところです。。

この本の何が素晴らしいって、本当に容赦のない、何ら手心を加えることのない考察の数々ですよね。私達自身が自分の「個性」や「長所」だと思っているものがいかに、それ自体の内容を気に入っているかのように私達がうやうやしく振る舞おうとも、それが他の階級との差異を生み出すために選択されたコード(code)にすぎず、その内容について実は私達はさほど興味ももっていないし理解もしていない、ということを暴露してくれます。私達が「運命の出会い」と信じたいであろう自分のパートナーとの出会いですら、いかに打算に満ちたものであるのか、いかに暗黙の了解としての所属集団のハビトゥスに囚われたものであるのか、を示してくれます。自分のidentityとして信じたいものを私達は信じようとしているだけであり、しかしそれは社会の中での所属階級(それは現在所属している階級であるだけでなく、自身がそこに所属したいと思っている階級)への帰属感を示すためである、という意味ではそれはむしろ自分自身ではないために用いられるものであるわけです。

この本は私達が「私」や「貴方」として信じたいと思っているものがいかに一人称や二人称ではないのか、徹底的に外被を剥ぎ取っていきます。この本の中に出てくる様々な人々が「自分の趣味や好みを語るパート」の残酷さといったら!彼らが自慢気に語る自らの「趣味」や「思想」、「芸術観」といったその全てが、社会学者の冷徹な目によっていかに彼ら自身のものではないかが浮かび上がる、という仕組みです。本当に性格が悪いったらありゃしないですよね。

しかし、それが本当に素晴らしい。何より、言葉がこんなに容赦なく、真理を穿つために用いられ続けることに感動を覚えます。私達はとかく嘘をついては自分自身の立場を擁護するために言葉を使い続けてしまっているので、この社会全体にもそのような嘘の言葉ばかりが、政治でも仕事でもその他全ての人間関係の中にも充満して、あたかも本当のことをしゃべること自体が何か「空気の読めない」「社会人ではない」かのように非難されてしまう、という狂気の沙汰になってしまっています。そんな中で、これほどに言葉をひたすら、私達の信じたいもの、そうであってほしいと願うものを容赦なく剥ぎ取っては、私達自身のアイデンティティがいかに空虚で無内容なものでしかないかを描くために用いてくれていることに、本当に深いところから呼吸させてもらえる気がします。

嘘は、本当のことを伝えるために使われるとしてもなお、嘘であり続けます。その嘘に内包された善意によって一時的に正当化されたとしても、その内包されていたはずの善意すらも嘘は自分の都合の良いように定義し直してしまいます。そのようにして、不正に手を染める誰もが「これは仕方のないことだ」とゴールポストを動かし続けることになり、それを何とか正当化し続けようとする人生になっていきます。

私達に必要なのは、自分が見たいものを見たり信じたいものを信じたりするために嘘を吐き続けることではなく、自分の見たくないものを容赦なく見ようとしていくことなのではないでしょうか。言葉はこれだけ嘘を吐くことに用いられ続けてもなお、嘘を吐かないために用いることもまたできるのです。

衒(てら)い、とは自己イメージを作り上げては見せびらかすためであり、つまりそれは他者との「差異」を作るために内容を必要とする、ということです。これは前衛的な芸術を追い続ける、という態度にもまた現れるのだと思います。

どのような熱烈な「信仰」告白も、私達が追い求めるその価値が、「差異」を示すための「アクセサリー」あるいは「IDカード」以上の何かを内包していることを自明には示しえません。僕が信じる価値も、僕がそもそもこういった本を自分で「読まねばならない!」と感じて読もうとすることも、ブルデューの言うように僕の人格の奥底にインストールされた、自己を他者と弁別しては優位性を保つための権力意識に引きずられて行われる行為であるのかもしれません。それは光るものを集めるカラスのように、意味を理解しないままに習性として行われる、悲しい行為であるのかもしれません(もっともカラスに聞いてみたら、彼らには彼らなりの内実のある動機があって、我々人間の方がよほど内実のない動機から「文化的」に振る舞おうとしているのかもしれませんが。。)。

しかし、それでもなお、嘘の言葉ばかりが溢れかえる中で、このように本当のことを語ろうとして紡がれるむき出しで命がけの言葉には、誠実であらねばならないと感じます。そのような言葉には僕自身が「差異」を作ることでこの社会の中で立ち位置を確保しては生きていくためなどという低俗で下らない目的よりも、はるかに大切な価値があると信じています。それが、マタイの福音書でイエスがペテロを「あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」と叱ったときの「神のこと」であるのかな、と考えています。もちろん僕はそれを「神のこと」とは言いませんが、「人のこと」より大切なものがあることもまた確かである、とは思っています。


という本当に素晴らしい本である『ディスタンクシオン』がなんと、岸政彦先生の解説でNHK教育テレビの『100分 で名著』で12月に4回に分けてやります!!大部の本ですし、読むのは大変ですが、テレビは必見です!!
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