嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

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『きたなシュラン』、あるいは『もやもやさまぁず』

昨日、東京ではとんねるずさんの番組で、僕の好きな企画「きたなシュラン」に僕の自宅付近の洋食屋さんが出ていました。この企画は「汚いけれど、ウマイ」店を堪能するという企画で、とても個性のあるお店が多く出てきて、見ていてとても勉強になります。このお店は昨年の年末の「もやもやさまぁずスペシャル」でも紹介されていたのですが、この番組もその周の特集される地域の「もやっとする(一見不思議な、しかし味わいのある)」お店やスポットなどを紹介する番組で、以前からとても興味深い番組だと思って見ていました。

この二つの番組に共通するのは、「なんか変だけど、しかしそれがいい」というお店に対する番組の作り手の愛情です。整っていて広い空間を提供できるわけではないけれども、しかし、自分の人生をかけてそのお店をやってきたご主人のこだわりは、味であったり、あるいは他の要素であったり、何らかの形で見るべきものを確かに生み出していて、そしてそれ故に地域に根付いているという姿は、「個人」というもののこの社会におけるあり方、存在の仕方の可能性を豊かに提示してくれていると思います。

これらの番組に映る個性的な店主さん達の姿が、僕にはとても活き活きとしてすばらしく見えるのですが、あれを無様であるという見方もまた出来ると思います。「あんな汚い店にしがみついて。」などと思う方もいるのかもしれません。しかし、僕はこの社会の中で個人として生きていく、というのは、外から見ればあの番組で「汚い!」とか「もやっとしてる!」とか茶化されずにはいられないのではないか、と考えています。

それは別に個人事業主だけではありません。どのような大きな組織に所属しても、結局「汚い!」とか「もやっとしてる!」と言われて、平準的ではないとされる部分こそが実はその人にとっての個性であるのかもしれません。もちろん、「これが俺の個性だ!」などと肩肘を張るのではやはり見捨てられてしまうのでしょうが、「ごめん。うちは外見は汚いんだ。でも、その分旨いものくわせるからさ。」という姿勢で懸命に努力する以外には、やはり一人の人間としては存在し得ないのではないでしょうか。

ミュージシャンの桑田佳祐さんは、「僕は人間としてだめなやつだから、せめていい音楽を届けねばならない」という姿勢で努力していらっしゃることを以前テレビで話していました。そのように、元朝青龍関も「ごめん。俺血の気が多くて、けんかっ早いだめなやつなんだ。その分、相撲は誰にも負けないよう、頑張るからさ。」と言えば、許してもらえたのかもしれません。何もかもを平均的に頑張ることはできない人が、それでも「このことだけは誰にも負けないように頑張ろう。」と頑張る姿勢に対して、それを正確に評価していく寛容な社会こそが実は、creativeな社会なのではないかと考えています。一人一人の欠点に見えるものこそが同時にその人の美点の源であることは、教えていても多々あります。どのようにその人の美点を殺さぬようにして、欠点を伸ばしていくかは、きわめて難しく慎重さのいる作業であり、欠点が見えればそれをみんなで非難するという稚拙な手段からは、決して改善しえないのだと思います。
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