
今日が国公立前期の最後の発表日で、発表待ちの状態です。落ち着かない気持ちを何とか紛らわそうとブログを書いています。
先日教室の模様替えをして、机を増席しました。去年はおかげさまで通ってくれる子も多く、席が足りなくなりかけることも多々あったところ、同じ建物の下のフロアが空く、というこれまたタイムリーなお話を管理会社さんからいただきまして、「これはとうとう自営業者・経営者の夢見る教室拡張のチャンスか!」と思って真剣に検討していました。ただ、嚮心塾のこの独自のスタイルはどうしても「一つの空間」というところが肝心要でして、これを(物理的な距離が近いとはいえ)もう一フロア借りる!となってくると、明らかに別の塾になってしまうかな、と。
もちろん先生を新たに雇ったりすれば、それはそれで楽しみなこともあるのですが、今この塾で僕がやっていることがあまりにも僕という「人」に依存したシステムを作ってきたしまったために、教室を増やしてどんなに優秀な先生を雇ったとしても、やはりそれは「紛(まが)い物」「嚮心塾風」になってしまうなあという結論に至らざるを得なくなり、諸々考えて、泣く泣く断念しました。代わりにあまりにも無駄なものとスペースが多い今の教室を整理し、無駄なものを処分し、そして増席をした、という次第です。(無駄なスペースめっちゃあったので、結構増席できました!)
たとえば「有名ラーメン店の味をご自宅でも!」というカップラーメンは山ほどあって、それは食べてみれば確かに「有名ラーメン店風」の味は確かにするわけですが、しかし本物とは比べ物になりません。では、麺やスープを直販で売っている「お取り寄せ」で食べれば良いかと言えば、それはそれで調理方法が違うため、やはりお店で食べる味にはなりません。
本物、というのは賞味期限も短く、そこにわざわざ出向いて行かなければ味わえないものです。
一方で、吉野家とか松屋とか、チェーン店の凄さ、というのもあります。あの味をあの値段で全国どこでも提供できる、というのはとてつもなく凄いことです。これに関してはどちらが偉い、とかどちらが凄い、とかではなく、密教と顕教の違いのようなものである、という話は以前にも書きました。大切なのはどちらをやりたいか、どちらが自分には向いているか、です。僕は圧倒的に「密教」寄りの人間なので、事業をスケールする、ということをこれっぽっちも考えていませんが、それを目標にして多校舎展開を、という塾を批判するつもりもありません。それは何を目指すかの違いであると思っています。(もちろん多校舎展開の帰結が、そもそも廉価でそこそこの質の保証のある教育機会の担保、ということには全くなっていないでただ害悪を垂れ流している場合も多々あるとは思いますが。それは同様に「小さな塾」で「面倒見が良い」というイメージにかまけて、それ以上の努力を怠る個人塾も多々あることと同じく、間違っています)
ただ、「密教風」は一番罪深いと思っています。「ここでしか食べられない味がある!」と言っては、さんざんどこででも食べられる料理を提供するようなものですね。嚮心塾にとって教室の拡大、というのはある意味でそのような「密教風」へと堕してしまうことにもなってしまうと思っています。
塾の生命線は、一人一人の生徒の観察にある、と思っています。教える必要はないのです。ただ、どこまでも徹底的に観察をしていくことが大切です。その「観察」のために会話やその他のやり取りも観察のツールとして使っては、一人一人の生徒の思考回路や感情を理解しようと努力できるか、が勝負です。
そしてそのためには、やはり同じ空間にいることがとても大切です。これに関してはたとえばZOOMによるオンライン指導なども感染症対策などのために緊急事態に導入するのならまだ良いのですが、全面的にそれでこのような「観察」を代替できるかと言えば、不可能であると思います。なぜなら、生徒が「会話をしたい」「指導を受けたい」ときだけ話すのでは圧倒的に情報が足りないからです。彼らが勉強しているときに無意識に過ごす中で出ているもの、意外な投げかけをこちらからしたときに、どのように反応するか、そういったすべてを観察するためには、やはり同じ空間で勉強をしてもらうことが必要であると考えています。逆にオンラインのビデオ会話であれ、メールやラインであれ、コミュニケーションを取りたいときにとられるコミュニケーションからはその子の思考回路や感情様式の全体像は決して見えてきません。だからこそ、嚮心塾では、「僕と同じ空間で勉強してもらう」ということを徹底しています。
ということで、多校舎展開は不可能ですね。。申し訳ありませんが、西荻窪まで通っていただくことを塾が終わる最後まで皆さんに強いざるをえないようです。(増席したので、席はたくさんあります!)
先日教室の模様替えをして、机を増席しました。去年はおかげさまで通ってくれる子も多く、席が足りなくなりかけることも多々あったところ、同じ建物の下のフロアが空く、というこれまたタイムリーなお話を管理会社さんからいただきまして、「これはとうとう自営業者・経営者の夢見る教室拡張のチャンスか!」と思って真剣に検討していました。ただ、嚮心塾のこの独自のスタイルはどうしても「一つの空間」というところが肝心要でして、これを(物理的な距離が近いとはいえ)もう一フロア借りる!となってくると、明らかに別の塾になってしまうかな、と。
もちろん先生を新たに雇ったりすれば、それはそれで楽しみなこともあるのですが、今この塾で僕がやっていることがあまりにも僕という「人」に依存したシステムを作ってきたしまったために、教室を増やしてどんなに優秀な先生を雇ったとしても、やはりそれは「紛(まが)い物」「嚮心塾風」になってしまうなあという結論に至らざるを得なくなり、諸々考えて、泣く泣く断念しました。代わりにあまりにも無駄なものとスペースが多い今の教室を整理し、無駄なものを処分し、そして増席をした、という次第です。(無駄なスペースめっちゃあったので、結構増席できました!)
たとえば「有名ラーメン店の味をご自宅でも!」というカップラーメンは山ほどあって、それは食べてみれば確かに「有名ラーメン店風」の味は確かにするわけですが、しかし本物とは比べ物になりません。では、麺やスープを直販で売っている「お取り寄せ」で食べれば良いかと言えば、それはそれで調理方法が違うため、やはりお店で食べる味にはなりません。
本物、というのは賞味期限も短く、そこにわざわざ出向いて行かなければ味わえないものです。
一方で、吉野家とか松屋とか、チェーン店の凄さ、というのもあります。あの味をあの値段で全国どこでも提供できる、というのはとてつもなく凄いことです。これに関してはどちらが偉い、とかどちらが凄い、とかではなく、密教と顕教の違いのようなものである、という話は以前にも書きました。大切なのはどちらをやりたいか、どちらが自分には向いているか、です。僕は圧倒的に「密教」寄りの人間なので、事業をスケールする、ということをこれっぽっちも考えていませんが、それを目標にして多校舎展開を、という塾を批判するつもりもありません。それは何を目指すかの違いであると思っています。(もちろん多校舎展開の帰結が、そもそも廉価でそこそこの質の保証のある教育機会の担保、ということには全くなっていないでただ害悪を垂れ流している場合も多々あるとは思いますが。それは同様に「小さな塾」で「面倒見が良い」というイメージにかまけて、それ以上の努力を怠る個人塾も多々あることと同じく、間違っています)
ただ、「密教風」は一番罪深いと思っています。「ここでしか食べられない味がある!」と言っては、さんざんどこででも食べられる料理を提供するようなものですね。嚮心塾にとって教室の拡大、というのはある意味でそのような「密教風」へと堕してしまうことにもなってしまうと思っています。
塾の生命線は、一人一人の生徒の観察にある、と思っています。教える必要はないのです。ただ、どこまでも徹底的に観察をしていくことが大切です。その「観察」のために会話やその他のやり取りも観察のツールとして使っては、一人一人の生徒の思考回路や感情を理解しようと努力できるか、が勝負です。
そしてそのためには、やはり同じ空間にいることがとても大切です。これに関してはたとえばZOOMによるオンライン指導なども感染症対策などのために緊急事態に導入するのならまだ良いのですが、全面的にそれでこのような「観察」を代替できるかと言えば、不可能であると思います。なぜなら、生徒が「会話をしたい」「指導を受けたい」ときだけ話すのでは圧倒的に情報が足りないからです。彼らが勉強しているときに無意識に過ごす中で出ているもの、意外な投げかけをこちらからしたときに、どのように反応するか、そういったすべてを観察するためには、やはり同じ空間で勉強をしてもらうことが必要であると考えています。逆にオンラインのビデオ会話であれ、メールやラインであれ、コミュニケーションを取りたいときにとられるコミュニケーションからはその子の思考回路や感情様式の全体像は決して見えてきません。だからこそ、嚮心塾では、「僕と同じ空間で勉強してもらう」ということを徹底しています。
ということで、多校舎展開は不可能ですね。。申し訳ありませんが、西荻窪まで通っていただくことを塾が終わる最後まで皆さんに強いざるをえないようです。(増席したので、席はたくさんあります!)
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