
長かった今年の受験もあとは国公立大前期の発表と後期試験、あとは私立医大の後期試験を残すのみとなってきました。
満足の行く結果が出る子も出ない子もいるわけですが、一人一人がこの一年間を必死に戦い抜いた結果であるからこそ、目を背けずにしっかりと受け止めていきたいと思います。
医学部受験生とか東大受験生とかの合格者が多いので、嚮心塾はどうしても「勉強の得意な子に傾注しては、苦手な子を放っておく」かのように思われがちです。ほとんどの塾や予備校はそういう方針ですよね。それは経営としては当たり前で、勉強が苦手な子というのはそもそも勉強に向き合うモチベーションが低いため、勉強量を確保させるだけでもとても手間がかかり、大変です。また勉強の仕方もあまりよくわかっていないことが多いため、教えなければならないポイントがとても多く、手間がかかります。逆に勉強が得意な子というのは、モチベーションも高く、積極的に取り組むからこそ、力がついていきます。またここまでにある程度力のつく勉強の仕方、というものがそれなりにはわかっているからこそ、そのようなやり方ではどこが盲点になりやすいかだけを見抜いてはアドバイスをして修正を加えていくだけで力がどんどんついていきます。
なので、勉強の得意な子は難関大学に合格しやすいです。苦手な子は、どんなにこちらが手をかけても、なかなか難関大学には合格できません。「合格実績」というものが学習塾や予備校の集客の生命線である以上、そして特に嚮心塾のような合格実績以外に集客ツールが一つもない小さな塾では、こちらの1の努力で10の結果が出る勉強の得意な子を優先し、10の努力で2,3くらいの結果しか出ない勉強の苦手な子を「お客さん」として飼い殺しにしておく、というのは経営戦略的には恐らく正しいのでしょう。
しかし、嚮心塾ではそのように塾生の誰かに対して諦めることを一切していません。ついつい塾をサボってしまう子、来ても勉強が手につかない子、勉強のやり方を一から教えなければならない子と様々な受験生がいますが、そういった子達にできる限り時間をかけて説得したり、サボらないための方法を話し合ったり、勉強以外の話題を見つけては人間関係を作っていったり、と様々な努力をしています(今年は家庭訪問もしました!)。もちろんそれが効を奏して「奇跡の合格」をする子もいれば、やはりどうにもならないままに受験を終えてしまう子もいます。それでも、こちらから諦めるわけにはいきません。なぜなら、彼ら彼女らはそうやって誰かに諦められてきた経験を通じて、自分で自分のことすら諦める習慣を身につけてきてしまっているからです。僕が彼ら彼女らを諦めれば、もう彼ら彼女らがこの先に彼らのことを諦めないで接してくれる人とは出会えないかもしれない。うまくいかないことも多いのですが、そのような覚悟で接し、教えています。
と、ここで終えれば「偉い!諦めない教育者!」と自己陶酔で終われるわけですが、そうはいきません。
このようなことに僕がさんざん労力と時間を取られるせいで最も割を食っているのは、難関校を受ける、勉強の得意な受験生であるからです。なぜなら懸命に努力している彼らを教えるのに割くべき時間を削っては、「塾をサボらないためにはどうすればよいか」「勉強中に携帯をいじって勉強できないことを防ぐためにはどうしたらよいか」というレベルの話し合いをしているからです。もちろん、こちらもプライベートの時間もすべてを削って、そのような勉強の得意な受験生に営業時間では教えきれないことも徹底的にフォローはしています。直前期は朝から晩まで教えるのはもちろんとして、帰宅してから、あるいは塾に来る前も添削その他で潰れるため、ほぼ起きている時間はずっとそのような受験生の指導に充てています。しかしそれでも、嚮心塾で難関大学を受験する、ということはそのようにモチベーションが高く努力を惜しまない受験生たちに、ある種の「我慢」を強いることになります。
この点については本当に申しわけないと思っているからこそ、それでも嚮心塾を選んで通おうと思ってくれたそのような受験生達には何とか報いたい、とこちらも必死にならざるをえません。
これも効率だけを考えれば恐らく「棲み分け」るのがよいのでしょう。実際にほとんどの塾や予備校ではそうなっています。東大や医学部を受験する子は決してそのように受験勉強へのモチベーションが低く、努力を怠る子とは同じ教室にいません。当たり前です。その方がはるかに効率が良いからです。しかし、その効率を重視するが故にお互いに違う世界の住人として、お互いの気持ちもわからず同じ人間とも思えず、というようにして社会の分断は進んでいきます。これは僕自身も苦い経験があって、僕は少なくとも高校生とか大学に入ったばかりのときというのは、受験勉強に努力をしない人間のことが全く理解ができないだけでなく、軽蔑すらしていました。自分の努力は自分の手柄である、と傲慢にも思っていたと言えるでしょう。しかし、環境や状況が異なれば、今までできていた「頑張る」ということがあっという間にできなくなるのが
人間です。その若い頃の僕のような視野の狭さを愚かにも引きずったままに大人になっていく、ということを一人一人の塾生にはさせたくない。そのためにも、この塾のスタイルは希少であり、何とか必死に守っていかねばならないと思っています。
今年も難関大学を受験した受験生がこれから合否の結果を迎えることになります。
それぞれに手応えはあるでしょうが、高いレベルでの争いであるからこそ、確実に合格しているとは
言えません。それでも、彼らが局所最適性の追求に陥ることなく全体を引き受けようとしては必死に頑張ったこの一年の結果を、しっかりと見届け、受け止めたいと思っています。
満足の行く結果が出る子も出ない子もいるわけですが、一人一人がこの一年間を必死に戦い抜いた結果であるからこそ、目を背けずにしっかりと受け止めていきたいと思います。
医学部受験生とか東大受験生とかの合格者が多いので、嚮心塾はどうしても「勉強の得意な子に傾注しては、苦手な子を放っておく」かのように思われがちです。ほとんどの塾や予備校はそういう方針ですよね。それは経営としては当たり前で、勉強が苦手な子というのはそもそも勉強に向き合うモチベーションが低いため、勉強量を確保させるだけでもとても手間がかかり、大変です。また勉強の仕方もあまりよくわかっていないことが多いため、教えなければならないポイントがとても多く、手間がかかります。逆に勉強が得意な子というのは、モチベーションも高く、積極的に取り組むからこそ、力がついていきます。またここまでにある程度力のつく勉強の仕方、というものがそれなりにはわかっているからこそ、そのようなやり方ではどこが盲点になりやすいかだけを見抜いてはアドバイスをして修正を加えていくだけで力がどんどんついていきます。
なので、勉強の得意な子は難関大学に合格しやすいです。苦手な子は、どんなにこちらが手をかけても、なかなか難関大学には合格できません。「合格実績」というものが学習塾や予備校の集客の生命線である以上、そして特に嚮心塾のような合格実績以外に集客ツールが一つもない小さな塾では、こちらの1の努力で10の結果が出る勉強の得意な子を優先し、10の努力で2,3くらいの結果しか出ない勉強の苦手な子を「お客さん」として飼い殺しにしておく、というのは経営戦略的には恐らく正しいのでしょう。
しかし、嚮心塾ではそのように塾生の誰かに対して諦めることを一切していません。ついつい塾をサボってしまう子、来ても勉強が手につかない子、勉強のやり方を一から教えなければならない子と様々な受験生がいますが、そういった子達にできる限り時間をかけて説得したり、サボらないための方法を話し合ったり、勉強以外の話題を見つけては人間関係を作っていったり、と様々な努力をしています(今年は家庭訪問もしました!)。もちろんそれが効を奏して「奇跡の合格」をする子もいれば、やはりどうにもならないままに受験を終えてしまう子もいます。それでも、こちらから諦めるわけにはいきません。なぜなら、彼ら彼女らはそうやって誰かに諦められてきた経験を通じて、自分で自分のことすら諦める習慣を身につけてきてしまっているからです。僕が彼ら彼女らを諦めれば、もう彼ら彼女らがこの先に彼らのことを諦めないで接してくれる人とは出会えないかもしれない。うまくいかないことも多いのですが、そのような覚悟で接し、教えています。
と、ここで終えれば「偉い!諦めない教育者!」と自己陶酔で終われるわけですが、そうはいきません。
このようなことに僕がさんざん労力と時間を取られるせいで最も割を食っているのは、難関校を受ける、勉強の得意な受験生であるからです。なぜなら懸命に努力している彼らを教えるのに割くべき時間を削っては、「塾をサボらないためにはどうすればよいか」「勉強中に携帯をいじって勉強できないことを防ぐためにはどうしたらよいか」というレベルの話し合いをしているからです。もちろん、こちらもプライベートの時間もすべてを削って、そのような勉強の得意な受験生に営業時間では教えきれないことも徹底的にフォローはしています。直前期は朝から晩まで教えるのはもちろんとして、帰宅してから、あるいは塾に来る前も添削その他で潰れるため、ほぼ起きている時間はずっとそのような受験生の指導に充てています。しかしそれでも、嚮心塾で難関大学を受験する、ということはそのようにモチベーションが高く努力を惜しまない受験生たちに、ある種の「我慢」を強いることになります。
この点については本当に申しわけないと思っているからこそ、それでも嚮心塾を選んで通おうと思ってくれたそのような受験生達には何とか報いたい、とこちらも必死にならざるをえません。
これも効率だけを考えれば恐らく「棲み分け」るのがよいのでしょう。実際にほとんどの塾や予備校ではそうなっています。東大や医学部を受験する子は決してそのように受験勉強へのモチベーションが低く、努力を怠る子とは同じ教室にいません。当たり前です。その方がはるかに効率が良いからです。しかし、その効率を重視するが故にお互いに違う世界の住人として、お互いの気持ちもわからず同じ人間とも思えず、というようにして社会の分断は進んでいきます。これは僕自身も苦い経験があって、僕は少なくとも高校生とか大学に入ったばかりのときというのは、受験勉強に努力をしない人間のことが全く理解ができないだけでなく、軽蔑すらしていました。自分の努力は自分の手柄である、と傲慢にも思っていたと言えるでしょう。しかし、環境や状況が異なれば、今までできていた「頑張る」ということがあっという間にできなくなるのが
人間です。その若い頃の僕のような視野の狭さを愚かにも引きずったままに大人になっていく、ということを一人一人の塾生にはさせたくない。そのためにも、この塾のスタイルは希少であり、何とか必死に守っていかねばならないと思っています。
今年も難関大学を受験した受験生がこれから合否の結果を迎えることになります。
それぞれに手応えはあるでしょうが、高いレベルでの争いであるからこそ、確実に合格しているとは
言えません。それでも、彼らが局所最適性の追求に陥ることなく全体を引き受けようとしては必死に頑張ったこの一年の結果を、しっかりと見届け、受け止めたいと思っています。
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