
中学受験が終わり、息をつく暇もなく私立高校受験が始まります。またこの間ずっと私立大学入試は続いています。
まだ序盤戦とは言え、思いどおりにはなかなかならない結果が出てくる中で、どのように立て直していくかに神経をすり減らしている日々です。
この短期間で立て直すためには、まずは今までやってきたことを振り返り、受験生に自信をもってもらうことが重要です。しかし、このプロセスがなんとかうまくいっては受験生の気力が回復してきたら、そのままではいけません。それはあくまで、仮の自信でしかないからです。「今まで自分は頑張ってきたから受かるはず!」などという妄言を信じている受験生ほどに、そんなものでは通用しない壁に試験中に直面しては失敗します。それは当たり前で、ライバルもまたみんな努力してきている中での勝負なわけですから、そのような楽観には何も根拠がないわけです。
ではどうすればよいか、と言えば僕は「次の入試までにどれだけ自分の実力の足りなさ、一見よくできているような自分のテストがいかに薄氷の上を通ってたまたま正解しているだけか。」という事実からどれだけ目をそらさずに直視し、そして自分の実力の足りなさに絶望してはそれを少しでも埋めようとしていけるか、が勝負を分けると思っています。
どんなに自身を鍛えたつもりのA判定連発の受験生ですら、穴だらけであるのです。その事実を模試の成績や他の大学の合格などで自分にごまかすことはできるでしょう。しかし、そのようなごまかしは本当に厳しい状況に入試の最中に陥ったときには決して通用しません。
言い換えれば、どのようにできる受験生も第一志望の大学の入試中に絶望してしまう瞬間がこないことを期待するわけにはいかない、ということです。だからこそ、そのとき受験生にとって力となるのは「自分の力を出し切れれば合格するはずだ!」などというありきたりの根拠のない自己肯定の努力にすがろうとするのではなく、その試験日までの毎日の中でどれだけ無力な自分を痛感し、絶望し、しかしそれに抗おうと苦しみ続けたかどうか、であるのです。自身の無力さに絶望してはでもそこから何とか戦おう、という取り組みを回避しては自分にできることだけをなぞり、よしんば自身の無力さに気づくきっかけが今までにたくさんあったにも関わらず、「ま、模試で取れてるからいいでしょ。間違えも計算ミスだし。」と
スルーしてきた子が本番の入試でその絶望を日々噛み締めては戦ってきた受験生に勝てるわけがないのです。
では、「今まではそれをたしかにサボってきた。。でもそれを何とか変えてでも受かりたい!」という受験生はどうしたらよいか。それはこれから一分一秒を惜しんで自分の見たくなかった盲点、できないままに何とかなると軽視してきたところを復習するしかありません。必要な絶望を避けてきた自分を乗り越えるためには、ほんの少しの時間でも必要な絶望を乗り越えて努力をしなければなりません。もちろん急場しのぎのそれでは、みっちりと自分の絶望に向きあい、乗り越えようともがいてきた受験生には勝てないとしても、まだそれに向き合うことを避け続けている受験生には勝てるかもしれません。
嚮心塾はその「必要な絶望」を受験生に日々突きつけ、絶望してもらい、そして乗り越えてもらうための装置です。
と偉そうに言っても、その必要な絶望を直視できるようにと様々お膳立てを用意していっても、結局本人が見たくなければ見ないこともできてしまう、というのが他者を教えるということの難しさです。そのあまりの難しさに僕自身も日々絶望するばかりの毎日ですが、何とかそれを直視しては乗り越えようともがいていこうと思います。
まだ序盤戦とは言え、思いどおりにはなかなかならない結果が出てくる中で、どのように立て直していくかに神経をすり減らしている日々です。
この短期間で立て直すためには、まずは今までやってきたことを振り返り、受験生に自信をもってもらうことが重要です。しかし、このプロセスがなんとかうまくいっては受験生の気力が回復してきたら、そのままではいけません。それはあくまで、仮の自信でしかないからです。「今まで自分は頑張ってきたから受かるはず!」などという妄言を信じている受験生ほどに、そんなものでは通用しない壁に試験中に直面しては失敗します。それは当たり前で、ライバルもまたみんな努力してきている中での勝負なわけですから、そのような楽観には何も根拠がないわけです。
ではどうすればよいか、と言えば僕は「次の入試までにどれだけ自分の実力の足りなさ、一見よくできているような自分のテストがいかに薄氷の上を通ってたまたま正解しているだけか。」という事実からどれだけ目をそらさずに直視し、そして自分の実力の足りなさに絶望してはそれを少しでも埋めようとしていけるか、が勝負を分けると思っています。
どんなに自身を鍛えたつもりのA判定連発の受験生ですら、穴だらけであるのです。その事実を模試の成績や他の大学の合格などで自分にごまかすことはできるでしょう。しかし、そのようなごまかしは本当に厳しい状況に入試の最中に陥ったときには決して通用しません。
言い換えれば、どのようにできる受験生も第一志望の大学の入試中に絶望してしまう瞬間がこないことを期待するわけにはいかない、ということです。だからこそ、そのとき受験生にとって力となるのは「自分の力を出し切れれば合格するはずだ!」などというありきたりの根拠のない自己肯定の努力にすがろうとするのではなく、その試験日までの毎日の中でどれだけ無力な自分を痛感し、絶望し、しかしそれに抗おうと苦しみ続けたかどうか、であるのです。自身の無力さに絶望してはでもそこから何とか戦おう、という取り組みを回避しては自分にできることだけをなぞり、よしんば自身の無力さに気づくきっかけが今までにたくさんあったにも関わらず、「ま、模試で取れてるからいいでしょ。間違えも計算ミスだし。」と
スルーしてきた子が本番の入試でその絶望を日々噛み締めては戦ってきた受験生に勝てるわけがないのです。
では、「今まではそれをたしかにサボってきた。。でもそれを何とか変えてでも受かりたい!」という受験生はどうしたらよいか。それはこれから一分一秒を惜しんで自分の見たくなかった盲点、できないままに何とかなると軽視してきたところを復習するしかありません。必要な絶望を避けてきた自分を乗り越えるためには、ほんの少しの時間でも必要な絶望を乗り越えて努力をしなければなりません。もちろん急場しのぎのそれでは、みっちりと自分の絶望に向きあい、乗り越えようともがいてきた受験生には勝てないとしても、まだそれに向き合うことを避け続けている受験生には勝てるかもしれません。
嚮心塾はその「必要な絶望」を受験生に日々突きつけ、絶望してもらい、そして乗り越えてもらうための装置です。
と偉そうに言っても、その必要な絶望を直視できるようにと様々お膳立てを用意していっても、結局本人が見たくなければ見ないこともできてしまう、というのが他者を教えるということの難しさです。そのあまりの難しさに僕自身も日々絶望するばかりの毎日ですが、何とかそれを直視しては乗り越えようともがいていこうと思います。



