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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

「安心」を剥がす。

センター試験も終わり、息をつく暇もなく私大医学部入試が始まりました。ここからさらに私大入試、中学入試、高校入試(私立→都立)、そして国公立大入試、と1ヶ月間は勝負所が続いていきます。こちらも朝から晩までずっと塾に詰めている状態です。

ではこの時期に何に注力して塾で教えているのかと言えば、(もちろん勉強の足りないところがまだまだ多い受験生は徹底的に基礎がためをしていくしかないのですが)十分に勝負できるレベルにある受験生に対してはひたすら彼らの思考や勉強の盲点を探し出し、指摘していく、という作業をしています。

勉強の盲点については比較的わかりやすく、入試問題を解いては弱い分野の復習、ということを徹底させていくことで補えていきます(もちろんこれも細かいことを言えば、実は難しい作業もあります。たとえば高校範囲の中で弱点を発見した大学受験生にその復習をさせることは比較的容易ですが、中学範囲、あるいは小学生の範囲において弱点が見つかったとき、それをどこまで復習させるかについては極めて難しいものです。それがスムーズな解答プロセスに於いてどのくらいボトルネックになってしまっているかの度合いとそれを練習して習熟するのにかかる時間との兼ね合いの中で、最適な復習方法を考えていかねばなりません。かつてはそれで直前期に東大受験生に中学の連立方程式を練習させたり、医学部受験生に二桁×一桁の掛け算を練習させたり、ということもしてきました。(そしてこの二人とも受かりました!))。

もっと難しいのは思考の盲点の方です。不安な立場で答えのわからない入試を解かねばならない受験生にとって一番ほしいのは「安心」です。だからこそ直前期の勉強は必然的に「これだけできるから大丈夫!」「ここはできるから大丈夫!」と自分にとって得意な方ばかりにどんどん偏っていきます。これは不得意科目を避け、得意科目ばかりをやる、という比較的わかりやすいものから、一つの科目の中で得意分野ばかりが解いた入試問題に出たときは高得点であることに安住しては、苦手分野がたまに出て失点したことをさかのぼって復習しない、というわかりにくいものまで、さらには同じ分野であっても自分が引っかかりやすいプロセスを試験時間内に何とか乗り越えて間に合わせることができているだけなのに、それを結果としての「高得点」にかまけてそのプロセスを集中的に練習しない、などといったものもあります。こうした受験生にとっての「安心」をいかに掘り崩し、その中に確実に含まれているリスク要因を特定して名前を与えては、鍛えていく、という「性格の悪い」作業を徹底していくことで受験生の合格率が全く変わってくるわけです。

こう書くと「すべてお見通し!」の状態で教えられているようにも聞こえますが、教える側としても全てが見えているわけでは当然ありません。一人ひとりの受験生の思考を徹底的にトレースして、その中でどのような盲点がうまれやすいか仮説を立てます。徹底的な受験生との議論や相談の末にようやく「鍵」となるようなその子の盲点が、入試直前に見えてくることも多々あります。また、仮にその仮説が正しいとしても、それを受験生が受け入れられるかどうかも問題です。なぜならそれは受験生にとっては一番うけいれたくないものであり、自身が不安の中でなんとか固めた、なけなしの(しかし偽りの)「安心」という名の足場を徹底的に疑い、掘り崩していく作業であるからです。その作業を納得して、徹底してもらっていくためには、教えるこちら側との揺るぎない信頼関係こそが必要になります。そうでなくとも受験生は「俺はこうしたから受かった。おまえもこうすれば必ず受かる!」という、根拠も何もないn=1の自己満足的な「アドバイス」を親や兄弟、教師からさんざん受けては苦しんでいるわけで、そんなしんどい状況の中で「これをやれば安心!」という詐欺的なアドバイスではなくむしろ「ここはできているはず!」という安心を掘り崩しては「見たくない現実」へと漸近していこうとする、というこの嫌な作業をともにしていかなければ、やはり受験はうまくいきません。

もちろん思いつきで、あるいはソクラテスぶって何でも根本から懐疑的アプローチをすればよい、というものでもないのが難しいところです。こちらが一人ひとりの受験生の受験や人生を必死に考え、徹底的にトレースした上で出てくる必然的なかつ精密な懐疑でなければ、伝わるべくもありません。

今年もそのような受験生の「安心」を剥がしては現実に少しでも漸近してもらう作業を徹底していくために、日々考え抜いていきたいと思います。
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