
いやあ、ブログ書くの、すっかり忘れてました!
忙しいにもほどがあるだろ!というくらい6月はバタバタしていた(もうすぐ6月が終わる…)のですが、それもようやく落ち着いてきました。また少しずつ書いていきたいと思います。
教える、ということには生徒の内面に切り入る瞬間を必ず必要とします。
表面を撫でるだけで知識をつけるだけで合格できれば、一番良いのですが、入試というのは極限状況であり、
そのような人生がかかった勝負ではどのように粉飾しても必ずボロが出ます。だからこそ、本当に合格する確率を上げたければ、そこでボロが出てもなお戦えるように、地金(じがね)の部分を鍛えていかねばならないわけです。
しかし、それが本当に難しい。
「あなたの地金、鍛えさせてくださいね。」「わっかりましたー!」とスムーズにいけばよいのですが、
そんなことは一度もありません。
それは当たり前でその「地金」の部分というのは多くの人にとって、自分が触られたくない、考えたくない、
そもそも存在していることに気づきたくもない部分であるからです。そのように存在すら黙殺したくなるような部分が、
しかし、いずれ彼や彼女にとって極限状況で時限爆弾のように爆発してしまわないように、それを何とかまず存在に目を向けさせ、認識してもらい、さらには少しでも変えられるように、とやっていかねばなりません。
「時限爆弾」というたとえを使いましたが、このように生徒の内面に切りいる瞬間というのは、まさしく爆発物処理班のような気持ちです。どこか一本でも切断する線を間違えたら爆発する!という緊張感の元に手探りで話していく必要があります。
もちろん、爆発物処理班との違いは、爆発物処理班と爆弾の間には信頼関係はないですが(本当のカリスマ爆発物処理班の方にはあるのかもしれませんが)、教師と生徒の間には時間をかけて信頼関係を作っていくことができる、ということです。しかし、そのように時間をかけて、丁寧に信頼関係を築いていき、「さて、ここらでそろそろ踏み込んでいくか!」という途端に「もう辞めます!」と言われてしまったりもします。内面へと切り入ることがただ難しいだけではなく、そのためにどれほどの信頼関係が必要であるのか、さらにはその必要な信頼関係を築くことに汲々としては切り入る前に終わってしまうということのないように、と様々な難しさがここにはあるわけです。
このように書くと、あたかも僕が熟練の爆発物処理班(もうこのたとえ、わかりにくいですかね?)であるかのように聞こえるわけですが、実際にはなかなかうまくいくものではありません。
今回も、丁寧に時間をかけて、その上で徐々に勉強のクオリティを上げていけるようにどのタイミングで切り入るか、と準備をしていた子にさっさと「辞めまーす。」と言われ、本当に落ち込みました。
自分自身の人生観、価値観が変わるような努力ができなければ、受験勉強をする意味などない!とまあ僕自身は思っているわけですが、それは別に受験生に強要しても仕方がありません。ただ実際には、そのような自分の価値観を温存するようなやり方は「合格する確率を0.01%でも上げる」ような準備をしていこうとすることと根本的には矛盾します。untouchableな弱点を温存したまま戦うことになるからです。
しかし、ほとんどの受験生は自分自身の人生観・価値観を変えないように努力するわけで、このあたりが本当に難しいところです。だからこそ、疎まれても嫌われても、このように入念に準備しているのにさっさと捨てられても、こちらの準備が無駄になることばかりだとしても、引き続き、内面へと切り入る瞬間のために準備をしていこうと思います。
忙しいにもほどがあるだろ!というくらい6月はバタバタしていた(もうすぐ6月が終わる…)のですが、それもようやく落ち着いてきました。また少しずつ書いていきたいと思います。
教える、ということには生徒の内面に切り入る瞬間を必ず必要とします。
表面を撫でるだけで知識をつけるだけで合格できれば、一番良いのですが、入試というのは極限状況であり、
そのような人生がかかった勝負ではどのように粉飾しても必ずボロが出ます。だからこそ、本当に合格する確率を上げたければ、そこでボロが出てもなお戦えるように、地金(じがね)の部分を鍛えていかねばならないわけです。
しかし、それが本当に難しい。
「あなたの地金、鍛えさせてくださいね。」「わっかりましたー!」とスムーズにいけばよいのですが、
そんなことは一度もありません。
それは当たり前でその「地金」の部分というのは多くの人にとって、自分が触られたくない、考えたくない、
そもそも存在していることに気づきたくもない部分であるからです。そのように存在すら黙殺したくなるような部分が、
しかし、いずれ彼や彼女にとって極限状況で時限爆弾のように爆発してしまわないように、それを何とかまず存在に目を向けさせ、認識してもらい、さらには少しでも変えられるように、とやっていかねばなりません。
「時限爆弾」というたとえを使いましたが、このように生徒の内面に切りいる瞬間というのは、まさしく爆発物処理班のような気持ちです。どこか一本でも切断する線を間違えたら爆発する!という緊張感の元に手探りで話していく必要があります。
もちろん、爆発物処理班との違いは、爆発物処理班と爆弾の間には信頼関係はないですが(本当のカリスマ爆発物処理班の方にはあるのかもしれませんが)、教師と生徒の間には時間をかけて信頼関係を作っていくことができる、ということです。しかし、そのように時間をかけて、丁寧に信頼関係を築いていき、「さて、ここらでそろそろ踏み込んでいくか!」という途端に「もう辞めます!」と言われてしまったりもします。内面へと切り入ることがただ難しいだけではなく、そのためにどれほどの信頼関係が必要であるのか、さらにはその必要な信頼関係を築くことに汲々としては切り入る前に終わってしまうということのないように、と様々な難しさがここにはあるわけです。
このように書くと、あたかも僕が熟練の爆発物処理班(もうこのたとえ、わかりにくいですかね?)であるかのように聞こえるわけですが、実際にはなかなかうまくいくものではありません。
今回も、丁寧に時間をかけて、その上で徐々に勉強のクオリティを上げていけるようにどのタイミングで切り入るか、と準備をしていた子にさっさと「辞めまーす。」と言われ、本当に落ち込みました。
自分自身の人生観、価値観が変わるような努力ができなければ、受験勉強をする意味などない!とまあ僕自身は思っているわけですが、それは別に受験生に強要しても仕方がありません。ただ実際には、そのような自分の価値観を温存するようなやり方は「合格する確率を0.01%でも上げる」ような準備をしていこうとすることと根本的には矛盾します。untouchableな弱点を温存したまま戦うことになるからです。
しかし、ほとんどの受験生は自分自身の人生観・価値観を変えないように努力するわけで、このあたりが本当に難しいところです。だからこそ、疎まれても嫌われても、このように入念に準備しているのにさっさと捨てられても、こちらの準備が無駄になることばかりだとしても、引き続き、内面へと切り入る瞬間のために準備をしていこうと思います。
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