
最近、塾の窓を防音仕様に二重窓にするために工事の見積もりをとりました。その際、4つある窓のうち、2つは窓を閉める金具(クレセント)の柄が長く、二重窓にぶつかってしまうため、ぶつからないように間隔を取って内窓をつけるために追加レールのようなものをつけなければならない、ということでその分見積もりが高くなりました。そこで、「その金具を柄の短いものに変えたら追加レールはいらないのでは?」と業者さんに提案したところ、かなり渋られていたのですが、調べてみたところこれはおそらく金具を変えることでもっと安くかつコンパクトに収まりのいい形になりそうです。
もちろん、向こうとしても商売上利幅の大きいものをオススメする、ということを義務付けられているのかもしれませんが、このように素人でもすぐに思いつくレベルの解決策すら提示してくれないのであれば、その業者さんの提案を信頼することがこちらとしてはできなくなります。結果として長期的に見れば、そのような商売というのは「バカを騙す」モデルであり、あまり持続可能なやり方ではないと思ってしまいます。
結局消費者として様々なものに接せざるを得ないこの社会の中で、私達がそのような商売を許さないためには、私達自身が考え、調べ、勉強していくしかありません。逆に言えばそのように「とりあえず利幅の大きいこれを買わせておけば…」ということに対して何の疑いもなく飛びつく、ということは消費者としての責任を果たしていない、とも言えるのだと思います。
もちろん多岐にわたる発達を重ねたこの社会の中で、その一つ一つをいちいち聞いたり調べたりしていく、ということは
本当に面倒なことです。しかし、そこで「おまかせ」にすればするほどに、そのような商売ばかりが増えていくことになり、社会全体としては非効率な商売がたくさん跋扈することになってしまいます。そのようにして、互いの無知につけ込むような商売ばかりがのさばってしまっている社会こそが、内側で悪貨が良貨を駆逐してしまった結果として、他の社会との競争力を失った、落ちぶれていくしかない社会になってしまうのだと思います。それが国際競争力を失い、あとは貯金を食いつぶすだけの現在の日本の状況である、と言えば言い過ぎでしょうか。
と、ここまで書いてみて、これは消費者としての我々にとって必要である以上に、投票者あるいは政治参加者の我々にとってなおさら必要である、とも思い至ります。今は統一地方選の後半戦ですが、一人ひとりの候補者の政策やバックグラウンドについて、どれほどの有権者が調べて投票しているといえるのでしょうか。単に「投票率をあげよう!」というキャンペーンが偽善的でしかないのは、(もちろん「投票することで我々の参政権が行使できている」というのが一つの幻想でしかないとしてもなお)熟慮や下調べを通じて誰に投票するのかをすることなしに上がる投票率には、何の意味もありません。
知らないのなら、調べればいい。調べてわからないのなら、詳しい人に聞けばいい。そういった一つ一つを
受験勉強はもちろんとして、購買行動、政治参加、その他人生におけるすべてにおいて貫き通していく、ということが当たり前にできる人々を少しでも増やしていけるように、今日も塾を頑張りたいと思っています(それはなかなか大変そうですが!)。
もちろん、向こうとしても商売上利幅の大きいものをオススメする、ということを義務付けられているのかもしれませんが、このように素人でもすぐに思いつくレベルの解決策すら提示してくれないのであれば、その業者さんの提案を信頼することがこちらとしてはできなくなります。結果として長期的に見れば、そのような商売というのは「バカを騙す」モデルであり、あまり持続可能なやり方ではないと思ってしまいます。
結局消費者として様々なものに接せざるを得ないこの社会の中で、私達がそのような商売を許さないためには、私達自身が考え、調べ、勉強していくしかありません。逆に言えばそのように「とりあえず利幅の大きいこれを買わせておけば…」ということに対して何の疑いもなく飛びつく、ということは消費者としての責任を果たしていない、とも言えるのだと思います。
もちろん多岐にわたる発達を重ねたこの社会の中で、その一つ一つをいちいち聞いたり調べたりしていく、ということは
本当に面倒なことです。しかし、そこで「おまかせ」にすればするほどに、そのような商売ばかりが増えていくことになり、社会全体としては非効率な商売がたくさん跋扈することになってしまいます。そのようにして、互いの無知につけ込むような商売ばかりがのさばってしまっている社会こそが、内側で悪貨が良貨を駆逐してしまった結果として、他の社会との競争力を失った、落ちぶれていくしかない社会になってしまうのだと思います。それが国際競争力を失い、あとは貯金を食いつぶすだけの現在の日本の状況である、と言えば言い過ぎでしょうか。
と、ここまで書いてみて、これは消費者としての我々にとって必要である以上に、投票者あるいは政治参加者の我々にとってなおさら必要である、とも思い至ります。今は統一地方選の後半戦ですが、一人ひとりの候補者の政策やバックグラウンドについて、どれほどの有権者が調べて投票しているといえるのでしょうか。単に「投票率をあげよう!」というキャンペーンが偽善的でしかないのは、(もちろん「投票することで我々の参政権が行使できている」というのが一つの幻想でしかないとしてもなお)熟慮や下調べを通じて誰に投票するのかをすることなしに上がる投票率には、何の意味もありません。
知らないのなら、調べればいい。調べてわからないのなら、詳しい人に聞けばいい。そういった一つ一つを
受験勉強はもちろんとして、購買行動、政治参加、その他人生におけるすべてにおいて貫き通していく、ということが当たり前にできる人々を少しでも増やしていけるように、今日も塾を頑張りたいと思っています(それはなかなか大変そうですが!)。
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