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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

「家族」を拡げるために。

趣味が同じとか、好きな音楽が同じとか、共通点のある人だと初対面でも打ち解けられたり、という経験をもつ人も多いと思います。僕はコミュ障で初対面の人と打ち解けるのはかなりハードルが高いのですが、それでも「これを好きな人にハズレはいない!」というくらい面白いジャンルがいくつかあります。

たとえば卒塾生が関わっているポエトリーの世界、というのもその一つでポエトリーリーディングに関わっている人ってほぼ素晴らしい人ばかりだなあと様々な人に会う度に思います。ポエトリーリーディング好きかどうかで会社に採用するかどうか決めればいいんじゃないかと思うくらいです。

あるいは僕が追いかけている劇団どくんごのファンの方々も、本当にみんな素晴らしい方ばかりで、その確かさと言ったら、本当に全く外れがありません。これもまた、大学入試とかどくんごファンかどうかで合否を決めればいいのに、くらい思えてしまいます。

もちろん、これは自分の知っている分野での例を出しただけであり、そのような分野がこれ以外に他にもたくさんあるのでしょう。基本的に手弁当でやっているところ、お互いがお互いの必要性を痛感して感謝し合うようなコミュニティが形成されているところでは、そこに属するというだけで様々な覚悟や努力を強いられるわけで、それはコミュニティの成員のレベルも大きく上がってしまうよね、と言えるのではないかと思います。

逆にそのコミュニティに属するかどうかがあまり本人の努力によらない、あるいはそのコミュニティに属すことが出来るか否かは成員の努力によるとしてもお互いの支え合いにはなっていないようなコミュニティというのは、基本的にそうはならないことが多いのではないかと思います。恐らく、そこではコミュニティは狭く閉じられているコミュニティであるがゆえに意味があるものとされてしまうからでしょう。

人間というのは鈍感で、自分がしんどい思いをしなければ相手のしんどさがわからない、ということは紛れもない事実です。僕も日々そのような自分の愚かしさに絶望するわけですが、そのしんどい思いをしてでもなお、「このコミュニティには意味がある!」と思ってコミュニティを維持しようとするというのは、ざっくり言えば「家族を増やす」ようなものです。そのような「家族」概念の拡大をしようと試みているかどうか、それともそうではないか、という分かれ目は結局血縁や経済的利益その他何となく皆が信じているもの以上の何かに心を奪われた経験があるかどうか、というところで分かれてしまうようにも思います。たとえばそれが数学の美しさであれば、数学の美しさを同じように感じる人々のために何かをしたい、という動機は経済的利益や既存の共同体を超えて働くことでしょう。それが演劇であれ、詩であれ、他の学問であれ、あるいはもっと別のことであれ、何かに心を奪われた経験のある人は、やはりそれを蔑ろにするわけにはいかない!という思いでしんどいものを引き受けていくことになります。

逆に「家族」概念が拡大していかない、というのは何物にも心を奪われないように生きていく、ということに等しいのかもしれません。それは楽で、「成功」しやすいとは思うのですが、やはり僕はそれでは生きる意味がないようにも思います。

結局自分の力をつけることの目的など、そのように自分にとって何かが大切だと気づいたときに、それを守れる力をつけるためでしかないと思います。何が大切かを探そうともせず、自分の人生が有利になることのためだけに力をつけることに何の気恥ずかしさも感じない人間たちの群れの中で、それでも力をつけていこう!と決意することは本当に困難なことではあると思うのですが、それでもそのような美しい決意に翼を与えられるように、こちらも必死に努力していきたいと思います。
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