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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

パスを覚える。

毎日ブログを更新し続けるつもりだったのですが、塾の休みに合わせたわけではないのでしょうが想定外の深刻なトラブルがあり、バタバタと追われていました。なんとか目処もたったこと、今日から塾も再開したこともあって、また書いていきたいと思います。

この年令になって思うのは、人間は一人では何もできない、ということです。どのように「万能の天才」がいたとしても、その人に見えるもの、できるものは必ず限られています。だからこそ、互いに協力をすることが必要である、という事実です。

もちろん、これだけを取ってみれば「そんなの当たり前じゃん!」という話なのですが、一方で人間と人間の結びつきを初めから前提としてしまえばそこには癒着や不正、さらにはお互いに頼り合うことによって質が下がっていく、という様々な問題が出てくるわけで、若い頃というのはとかくそのような問題点に対して潔癖であり、だからこそ自分自身がそのような「弱い個人」であることをまず何とかしようと思うものではないでしょうか。かくいう僕もそのような典型的な態度で若い頃は生きてきたと思います。

そこから20年ばかり過ぎ、若い頃よりははるかに様々なことができるようになり、あの頃の僕と今の僕とでは比べ物にならないくらい今のほうが力があるとは思いますが、それにも増して思い知らされているのは、僕一人の力では何もできない、ということです。だからこそ、協力できることは協力していかなければなりませんし、任せられることは任せていかねばなりません。その上で、僕自身がもっと力をつけることにも貪欲でなければなりません。

そしてそのためには、自分が完璧な人間ではないことは自分でわかっているくせに、他者のちょっとした欠点に対してはすぐにがっかりしてしまう、ということが問題であるのだと思います。少しでもより良い社会へと近づけていくために誰かと一緒にやっていく必要性を感じているのであれば、そこで手段を選んでいる時点でやはり本気ではない、と言わざるをえません。この年令まででできてきたこと以上にできてこなかったことの方が目につく、後悔ばかりの人生なわけですが、それでもなお、少しでもこの社会が今よりは少しはマシな社会になるためには、妥協をしている場合ではないのだ、と思っています。だからこそ、協力できることは協力していく、という姿勢が大切だと改めて痛感させられています。

まあ、端的にいうと(スラムダンクで言えば)「流川がパスを覚えた!」かのように自分のことを思えるとポジティブになれるとは思うのですが、パスを覚えてからの流川君の人生こそが、彼のプレーヤー人生の苦しみの始まりであり、彼も結局バスケを辞めたくなるような毎日になるのかもしれません。頼る、ということはがっかりすることと常に背中合わせであるからです。それでも共に生きていく道を探そうとする姿勢こそが民主主義というものであるとは思っています。民主主義とはたとえ自分では誤った道であるとわかっていたとしても、相手と一緒に誤りを犯すことを辞さない生き方である、と思うからです。

生徒相手にはそれを今までもやろうとしてきているわけですが、それ以外にもその塗炭の苦しみへとさらにもう一歩入っていけるように、無責任に距離を置くのではなく、覚悟を決めて向き合っていきたいと思います(もちろん、相手も僕に対してそう思っているとは思いますが!)。
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