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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

イチロー選手の残したもの。自分の言葉を話そう。

このブログは世の中の今の話題に背を向けて(!)ひたすら僕の思いつきを書いているわけですが、しかしそうは言ってもイチロー選手の引退には触れない訳にはいきません。なぜなら、塾で生徒たちに学んでほしい考え方を説明する際に誰の言葉を引用して説明するか、というときにはイチロー選手は恐らく最多登場くらいであるからです。それほどにイチロー選手の言葉は独特で、そして私達の蒙を開いてきてくれました。野球選手としての輝かしい業績以上に、僕はこの事実はきわめて画期的であったと思っています。野球にはあまり詳しくもないし興味もない僕であっても、それくらいにイチロー選手の言葉、そしてそれを生み出す人間性というものに関しては本当に頭が下がります。

以前イチロー選手が松井(秀喜)選手に対して「あれだけの素晴らしい選手(松井さんのことです)が、あれだけの大舞台で結果を残してあんなことしか言えないわけがない。だからこそ松井選手はもっと頑張ってコメントしなければならない。」ということを言っていたことがあって、彼のコメントの独特さ、人に考えさせる内容、というのはやはり自覚的に努力して発しているのだ、ということがとてもよくわかりました。

そして、もっとすごい野球選手は大谷選手のように出てくるのかもしれませんが(もちろんそれもまた怪しいくらい、イチロー選手が野球選手としても偉大であることは当然として)、その発言自体がこれだけ注目され、単に感動を与えるだけではなく、ときに物議を醸し、ときに深く考えさせ、ときにその言葉で新たな地平を開いてくれるようなスポーツ選手、というのはイチロー選手の前も後もプロ野球だけではなく、他のスポーツまでを見てもなかなか出てこないように思います。あえて似たような存在で言えば将棋の羽生さんか、サッカーの本田圭佑選手くらいでしょうか。それでもイチロー選手の言葉ほどには「違和感」を我々に突きつけることは少ないと思います。

逆に言えば、それくらい私たちは有名無名を問わず、諦めて言葉を発しているのだ、とも言えます。こんなことを言いたい、ここを正確に表現したい、ここは誤解を産んだとしてもこのような表現を使いたい、そのような様々な思いを「でも、こんなこと言ってわかってもらえなかったり叩かれたりしたら嫌だから。。」という恐怖から大きくブレーキを踏んで言いたいことは何も言わずに生きていることがほとんどです。このようにすぐにSNSが炎上する社会になってしまった今となってはなおさら、そうであると言えるでしょう。そんな中、イチロー選手は最後まで何とか言いたいことを言おうとしてきました。もちろん、その中には彼自身がためらい、言うのを辞めたり、あるいは彼自身も「こんな共通理解をなぞるだけの言葉を吐きたくなかった。。」と後悔することもあったのでしょう。(1996年の日本シリーズで彼としては第一戦の決勝ホームラン以外はあまりチームに貢献できなかったときに優勝後インタビュアーに「イチローさんのシリーズでしたね!」と言われて、つい「そうですね!」と返してしまったことを後悔し続けている、と言っていたのをどこかで読んだ覚えがあります)

しかし、彼は日本中の視線が集まり続ける華々しい伝説的なキャリアの中で、いかようにも揚げ足を取られる中で、彼自身の言葉を貫きとおしました。
そのことに僕は、とてつもない勇気をもらえた、と思っています。僕自身も自分の理解されにくい言葉を勇気を持って喋り続けることを貫き、イチロー選手と比べるべくもないほどささやかでありながら、他の人たちに対して、そのような自分独自の言葉を喋り続ける勇気を与えられるように、必死に努力していきたいと思っています。閉鎖的で足の引っ張り合いばかりのこの日本社会ですが、その中で自分の言葉を話そうとし続けることは、少しでも若い世代の息苦しさを減らすためにも必ず必要なことだと僕は思っています。だからこそ、他人との共通理解をなぞるような儀礼としての言葉を超えて、多少角がたったとしても、伝えるべき言葉のみをイチロー選手がしてくれていたことを見習って話していきたい、と思っています。

イチロー選手引退会見の全文はこちらから読めます。
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