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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

「個別指導」の定義について。

「個別指導」という看板を出している塾は山ほどあって、嚮心塾ももちろん「個別指導」をうたっているわけですが、「生徒一人に先生一人」あるいは「生徒2〜3人に先生一人」というのが個別指導であるのだとすると、嚮心塾は「生徒30人〜40人に先生一人」なわけで、こんなの詐欺だ!となってしまいます。

ですが、こちらでは個別指導の定義をそのように考えていません。むしろ、真の個別指導とは、「勉強とは何かについて、生徒一人一人の認識の枠組みを変えることができる指導」であると考えています。これはすなわち、勉強とは何か、それはどこまで徹底することが効率が良いのか、逆にどこでサボることは効率が悪いのか、そういったすべてを一つ一つ手取り足取り改善していく、という意味では嚮心塾ほどに「個別指導」をしている塾はそんなにないと思います。人数だけ一対一でも教師が知っている知識を垂れ流し、それを生徒が吸収するための姿勢ややり方を持っていれば身につくし、もっていなければ何も身につかない、ということではやはり「個別」に「指導」できているとは言えないと僕は思います。

「学習について生徒一人一人の認識の枠組みを変える」というのはすなわち、どのようにすれば勉強ができるようになるか、どうして自分は勉強ができていないのかに気づかせていく、ということです。勉強をしない子は、実はそんなにいません。子供というのは様々な空気を読んでついつい勉強してしまうものです。しかし、その際に、どういうところはサボってはならないか、逆にどういうところはサボっても大丈夫かといったところをわからないままに自己流でやれば、結局勉強はしていたとしても何も力がつかないことになってしまいます。

しかし、このようなケースで子どもたちを責めることは一番してはならないことです。子どもたちは彼らの考える「最善」を尽くしていることが多いからです。ただ、彼ら彼女らの考える「最善」が現実からはずれていて、やるべき勉強を後回しにしてはやらなくてもいい勉強ばかりをしているからこそ、「勉強しているのに力がつかない!」という状態になってしまっています。そこを解きほぐし、どのようなことをやるべきかに気づかせていくのが指導者の力量であり、「(真の)個別指導」にしかできないことであると思います。

特に一般に子どもたちは考えなく手を動かすことを「勉強」と定義してしまうことが多いです。彼らの言う「勉強」は漢字の練習であれ、英単語の綴りの練習であれ、自分がその漢字や英単語を覚えているか、とは関係なくただノートが埋まっていくことに快感を覚えます。
また理解できているかどうかには興味がなく、「何となくこんな感じだった。」と解けた問題については一顧だにしません。その上で、間違った問題について真剣に考えるかと言えばそうではなく、間違ったものは何でも「ケアレスミス」というように分類して、次は自分ができる気でいます。その中で本当に「ケアレスミス」であるものはほとんどありません。
(もちろん、これらの特徴について、「子どもたち」は生まれつきそういうものだ、とは僕は思っていません。どこかで何らかの誤った教育によってそのようになってしまっているだけだとは思います。)

このような誤った学習習慣を粘り強く変えていくこと、さらにはそのように変えたほうが結局彼ら彼女らにとっても勉強の力はつくし、結局理解してしまえばテストの点も良くなってお母さんに怒られないし、その上受験にも役立つ!というようにほんのちょっと、努力の方向性を変えることで彼らの努力が「勉強しているフリ」から、「実際に彼ら自身の人生を支える力」になっていくという事実を伝え、説得していかねばなりません。

そこまでしてこそ初めて「個別指導」であると僕は考えています。だからこそ、僕はほとんどの個別指導の塾というのが
「先生対生徒の人数比」という建前を隠れ蓑にして、結局そのような生徒の改善すべき内面や思考には入って行けていないと思っています。もちろん、そこまでの力量、あるいはやる気のある先生が安い時給で集められるわけがないので、そこは仕方がないわけですが、しかし、「個別指導」というやり方にはもっと可能性があるはずなのに、あまりにもつまらない個別指導しかないこの状況は本当に残念です。嚮心塾だけはそのような本当の個別指導をより磨き抜いていけるように、必死にやっていきたいと思っています。
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