
嚮心塾では中学生からしっかりと、また高校生には特に英文法を徹底的に勉強します。その勉強の仕方、というのは毎年ブラッシュアップして無駄を省いたり、よりよい教材を探したりは試行錯誤をしているのですが、英文法をやらない、という選択肢はありません。それはなぜかと言えば、英文法をしっかりとやり、品詞分解が隅々まででき、そして文型をとれるようになれれば、英語は必ずできるようになるからです。それができないままに他の「より楽な」ルートを探す、ということが勉強の方向性としてはかなり可能性が薄いと思っています。
もちろん、英語力のスタートラインは人によって違うので、帰国子女、あるいはそれ以外の理由でも英文法をしっかりとやってこないままに英語がそこそこ身についている子であれば、そのたびに別のルートを模索します。
ただ、今のところの結論としては「結局、英文法をしっかりとやった方が力がつくのが早い。」という結論に至ります。
これは結局私達が英語を勉強するとき、あまりにも英語の用例が足りていないため、英文法というツールを使わずして理解できないものがあまりにも多い、ということに拠るのだと思います。
そして英文法を学習するときは(数多の高校での誤った「英文法」の勉強法のように)決して問題集を解きません。英文法の問題集を解くのはあくまで受験間近の知識確認であり、概説書を読んで理解を固めることの方が読むためにははるかに重要です。そのようにして、英文法→品詞分解→構文把握、という一連の流れができてくるようになれば、英語ができないままに終わる受験生、というのはいません。そこに関しては本当にひどい状態から英語の勉強をする子であっても、この手順で必ずできるようになると言えるでしょう。
こんなことは僕のような英語教育の素人が語るまでもなく、英語教育の専門家の方たちなら誰もが一致する結論であると思います。しかし、日本の英語教育は逆の方向に進んでいます。とりあえずたくさん読んだり聞いたり話したり、で慣れてしまえばいい、という方向へと進んでしまっています。これは小学校での英語教育の低年齢化、さらには民間四技能試験の拙速でいい加減な導入など、様々な理由があるとは思いますが、基本的に英語を勉強し続けていない大人達が英語の教育の仕方を決めてしまっている、あるいはそのような適当な英語教育の旗を振っていた方が儲かる大人がそちらへと誘導している、と言えると思います。読み書きの能力を鍛える、そしてそのための英文法をしっかりと勉強する、ということは今の世の中では「流行に合わない」英語教育として廃れつつあるように思います。
だからこそ、嚮心塾では英文法の大切さを説き、それを鍛えていくことで受験生に受験を切り抜けることのできる力を
鍛えていきたいと思っています(もちろん、これも大学受験が大きく変質してしまい、今よりも読む能力に関係なくリスニングやスピーキング主体のテストばかりになってしまえば、この指導では受験にも受からないことになってしまいます。しかし、英語の民間四技能試験の導入の仕方を見ても、東大を始めとして各大学はそこに関しては抑制的でアホな文科省の方針に形式上参加するだけで今のところ逆らおうとしてくれている、と思っています(大阪大は違いますが)。)結局アホな文教政策で子どもたちの英語力が衰えていけば、そのツケはこの社会全体が払わねばなりません。
このように、アホな方向への「変化」「改革」に対して、どのように抵抗をしていけるか、が現代の問題であると言えるでしょう。それは入試の英語に限らず、です。このようなときに「変化」や「改革」に適応することだけを考えていけば、結局社会を改悪していくことに手を貸すことになってしまいます。どのように抵抗するか、を大学の中にいる人達も外にいる人達も必死に考えていかねば、子どもたちの未来は危ういと思っています。
もちろん、英語力のスタートラインは人によって違うので、帰国子女、あるいはそれ以外の理由でも英文法をしっかりとやってこないままに英語がそこそこ身についている子であれば、そのたびに別のルートを模索します。
ただ、今のところの結論としては「結局、英文法をしっかりとやった方が力がつくのが早い。」という結論に至ります。
これは結局私達が英語を勉強するとき、あまりにも英語の用例が足りていないため、英文法というツールを使わずして理解できないものがあまりにも多い、ということに拠るのだと思います。
そして英文法を学習するときは(数多の高校での誤った「英文法」の勉強法のように)決して問題集を解きません。英文法の問題集を解くのはあくまで受験間近の知識確認であり、概説書を読んで理解を固めることの方が読むためにははるかに重要です。そのようにして、英文法→品詞分解→構文把握、という一連の流れができてくるようになれば、英語ができないままに終わる受験生、というのはいません。そこに関しては本当にひどい状態から英語の勉強をする子であっても、この手順で必ずできるようになると言えるでしょう。
こんなことは僕のような英語教育の素人が語るまでもなく、英語教育の専門家の方たちなら誰もが一致する結論であると思います。しかし、日本の英語教育は逆の方向に進んでいます。とりあえずたくさん読んだり聞いたり話したり、で慣れてしまえばいい、という方向へと進んでしまっています。これは小学校での英語教育の低年齢化、さらには民間四技能試験の拙速でいい加減な導入など、様々な理由があるとは思いますが、基本的に英語を勉強し続けていない大人達が英語の教育の仕方を決めてしまっている、あるいはそのような適当な英語教育の旗を振っていた方が儲かる大人がそちらへと誘導している、と言えると思います。読み書きの能力を鍛える、そしてそのための英文法をしっかりと勉強する、ということは今の世の中では「流行に合わない」英語教育として廃れつつあるように思います。
だからこそ、嚮心塾では英文法の大切さを説き、それを鍛えていくことで受験生に受験を切り抜けることのできる力を
鍛えていきたいと思っています(もちろん、これも大学受験が大きく変質してしまい、今よりも読む能力に関係なくリスニングやスピーキング主体のテストばかりになってしまえば、この指導では受験にも受からないことになってしまいます。しかし、英語の民間四技能試験の導入の仕方を見ても、東大を始めとして各大学はそこに関しては抑制的でアホな文科省の方針に形式上参加するだけで今のところ逆らおうとしてくれている、と思っています(大阪大は違いますが)。)結局アホな文教政策で子どもたちの英語力が衰えていけば、そのツケはこの社会全体が払わねばなりません。
このように、アホな方向への「変化」「改革」に対して、どのように抵抗をしていけるか、が現代の問題であると言えるでしょう。それは入試の英語に限らず、です。このようなときに「変化」や「改革」に適応することだけを考えていけば、結局社会を改悪していくことに手を貸すことになってしまいます。どのように抵抗するか、を大学の中にいる人達も外にいる人達も必死に考えていかねば、子どもたちの未来は危ういと思っています。



