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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

塾の良さについて。

受験が終われば終わったで、様々なことに忙しいのが塾というものです。入塾希望の子が塾に頻繁に来てもらえるのは嬉しいことなのですが、一方でこちらとしては「うちに来れば絶対大丈夫!」「大船に乗った気持ちで!」などとは宣伝したくないものの、その子達が他の候補として検討している予備校や塾に比べれば確実に質の高い教育を提供できるという自負はあるために、話し方が本当に難しいところです。

「自分や塾の凄さを宣伝する。」というのは本当に難しいことです。なぜなら、本当に教師として一流であれば、受かった子よりも落としてしまった子の方に意識が向き続けるからこそ、そこで塾の美点を語ることがどうしても自分で嘘くさくなってしまいます。だからこそ、長年塾では塾の体験入塾期間を通じて、「わかる人にわかってもらえればよい。」という姿勢を貫いてきました。一つ一つの事柄に対する説明や全体をデザインする能力、何が幹で何が枝葉であるかについての判断力、などは僕に教われば、それこそ一分も経たずしてわかると思って塾をやってきているのですが…。現実にはなかなかそううまくはいきません。

先日も塾を体験に来た子に「何かアピールポイントはありますか?」と聞かれました。
僕は笑い出すのをこらえては、色々と話しましたが、ここで喜々として自分の塾がいかにすごいかを語れると、
もっと繁盛するのでしょう。

しかし、です。自分や自分の塾の凄さを喜々として語るような人に、習いたいか?と言われたら、僕は習いたくありません。あるいは僕が自分の娘を塾に入れるとして、その塾のメリットを喜々として語る人に預けたいと思えるかといえば、
決してそうは思えません。むしろ、一流であるほどに、自分の足りないところに目を向けてはそれをどう改善するかについて考え続けているため、自分の塾の良さについては語る気にはなれない、というところがあるのではないかと思います。

もちろん、「良さを語ってもらわなければわからない。」というリクエストは多々あります。ただ、良さを語ってもらわなければわからない、というのは結局自身がしっかりと見ようとしていないことを開き直る姿勢に過ぎません。
今日の夕食で使う大根をどっちにする?くらいのことだったら、しっかりと見ようとしないでも「ちゃんとそれぞれの大根の良さを書いてよ!」と怒るのもまだわからなくもないですが、(親御さんは体験授業をうけていないのでまた別として)受験生本人が自分自身の受験の命運をともにしようとするときに、「良さを語ってくれないとわかりません!」と言うのであれば、それはやはりしっかりと見ることを疎かにした態度であると言えるでしょう。

そのようなしっかりと見ることを怠って、相手の言葉で説明させようとする自らの姿勢を直していくことが、実はその子が受験生として力をつけることにもつながるのですが…。それが伝えられるチャンスをまたしっかりと探していきたいと思います。

言葉にしなければわからないことが事実だとしても、それは言葉にされたことのみが考慮に値するということを意味するものではありません。こんな当たり前のことですら、なかなかに伝わらないという思いを日々強く感じてはいますが、何とかその当たり前から伝えられるように、こちらからも必死に行動していきたいと思います。
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