
学習塾にとって、一番大変なのは勉強する意欲を持たない子であることには、異論がないでしょう。勉強する意欲を持たない子に関しては、たいていの塾では放っておかれるケースが多いと思います。
これは一つには学習塾というのは、学習意欲もあって努力していて成績も良いからこそ合格実績も見込める生徒と、学習意欲もなくそれゆえに成績も悪いからこそ、「月謝さえ払ってくれれば良い」というように搾り取るだけ搾り取ろうという「お客さん」の生徒とを意識的、あるいは無意識的に弁別していることが多いと思います。二人の生徒に時間を割かねばならないとして、片方は学習意欲も有り実力も有り、合格実績を稼いでくれる可能性が高い。そしてもう片方は学習意欲もなく、勉強させるのに圧倒的に手がかかる上に、それだけ手をかけたとしてもそもそもの実力が低いので合格実績を稼いでくれる可能性は低い。受験までの有限な時間を鑑みれば、どちらに講師が時間をかけるべきか、さらに受験産業などどんなに良い教育をしていようとも、親御さんは合格実績以外の内実など誰も見てくれないことも併せて考えれば、「学習意欲のない生徒に時間をかけるなんてバカらしい!」と教える側がついつい思いたくなる気持ちもよくわかります。
さらに、です。そのような功利主義的な側面を一旦無視したとしてもなお、目の前で真剣に努力している受験生と全然真剣には取り組んでいない受験生と、一体どちらを応援したいと思えるか、といえばそれは心情的には努力している受験生を応援し、そちらに手をかけたくなるのも当然です。まずは利益追求のために、それ以外の「生徒のため」という動機だとしても、やはり必死に頑張っている子に教える時間を、「入試直前なのに居眠りしてるな!」という注意には充てたくない、と思うのが人間の心情であると思います。後者の心情に関しては僕も心から同意します。
特に、受験というのは必死に頑張っていてもなお、結果が出るかどうかは極めて難しいものです。必死に頑張っている子を後回しにして、そのようにやる気のない子に活を入れたり、話し合いやときにお説教をしたり、ということのせいで必死に頑張っている子が落ちることは、僕もやはり決して許したくはありません。
と、ここまでが長い前置きなのですが、これらのこと全てに同意した上で、さらには「サボっている人間が失敗するなんて自業自得だ。」という意見に僕は心から全面的に同意した上で、しかし、このような意欲のない子達を何とかしようと嚮心塾では毎日もがき続けています。僕の中では「自業自得だ。」と言いたいがために、しかし、それを本当に言えるのかどうかを人生を懸けて検証するために、必死にそれらの意欲のない子達を叱咤激励し、彼ら彼女らのやる気のトリガーがどこにあるのかを必死に探し、そして時間をかけます。嚮心塾では難しい学校を受ける子も多く、その子達は本当に必死に勉強しているので、その子達にかける時間をこうしたことで削りたくない、とやっていくと、どんどん僕の私生活の時間がどんどん削れていくわけですが、それでもやる気のある子のためにやる気のない子を見捨てたくはないし、やる気のない子のためにやる気のある子を犠牲にしたくもありません。
と、綺麗事を言っていても特に入試直前はどちらを優先するかの難しい選択を迫られる瞬間も多くなります。一日13時間半塾で教えていてもなお、間に合わなくなることは出てくるからです。その際には、やる気のある子たちを優先しなければならないことを、やる気のない子たちに伝えねばなりません。そのように伝えることもまた、今はやる気のない子たちへの叱咤激励の一つとなるからです。
実際、塾で今年必死に頑張って勉強してきた受験生も、一年前、あるいは二年前は「やる気のない子」でした。あるいは塾でチューターをしてくれているような、華々しいところに受かっている子の中にも、そういう「元・やる気のない子」はいます。人間は変われる。しかし、自らが変わろうとしなければ、決して変わることはできません。
その最初の「このひどい状態から自分なりに何とかしよう!」と思ってくれるときのために、こちらとしては様々な思いやりや工夫や言葉、それこそすべて無駄死にしていくような努力を積み重ねていきます。
その中で、「なるほど、やはり自分が頑張らないとダメなのだな。。」という残酷な事実に彼ら彼女らが気付ける時を待つしかありません。この究極的な局面において、他者から何かができることは本当に一つもありません。
それと共に、嚮心塾で勉強している学習意欲のある受験生達はみな、そのような「ハンデ」を負って勉強しています。
僕自身がそのようなやる気のない子にも時間を割く、というポリシーを曲げることはないからです。
それでも「通いたい」と思って通ってくれている子たちだからこそ、僕もビジネスの枠を超えて、何とか力になりたいし、
0.1%でも合格する確率を上げるために自分にできることは全てし尽くしたい、と思っています。
リルケが「絶望して死ねる。こんなに幸せなことはない。」と言っていたというのを森有正はよく書いていましたが、僕にとっては「やっぱり自業自得じゃねーか!」と死ぬ間際に言う最後の瞬間まで、「自業自得だろ!」と思いながらも、決して見捨てないように、必死に叱咤激励をしていきたいと思っています。この矛盾に、どのように耐え抜いていくかが、人生だと思っています(と言っても、そのように意欲ない子ほどに「ようやく自発的に勉強するようになってきた!ここから鍛えるぞー!」という瞬間に「別の塾行くんで辞めます。」と辞められることがほとんどなのですが。辛いですが、向こうからは見限られたとしても、こちらからは見限らないように、何とか頑張り続けたいと思っています)。
これは一つには学習塾というのは、学習意欲もあって努力していて成績も良いからこそ合格実績も見込める生徒と、学習意欲もなくそれゆえに成績も悪いからこそ、「月謝さえ払ってくれれば良い」というように搾り取るだけ搾り取ろうという「お客さん」の生徒とを意識的、あるいは無意識的に弁別していることが多いと思います。二人の生徒に時間を割かねばならないとして、片方は学習意欲も有り実力も有り、合格実績を稼いでくれる可能性が高い。そしてもう片方は学習意欲もなく、勉強させるのに圧倒的に手がかかる上に、それだけ手をかけたとしてもそもそもの実力が低いので合格実績を稼いでくれる可能性は低い。受験までの有限な時間を鑑みれば、どちらに講師が時間をかけるべきか、さらに受験産業などどんなに良い教育をしていようとも、親御さんは合格実績以外の内実など誰も見てくれないことも併せて考えれば、「学習意欲のない生徒に時間をかけるなんてバカらしい!」と教える側がついつい思いたくなる気持ちもよくわかります。
さらに、です。そのような功利主義的な側面を一旦無視したとしてもなお、目の前で真剣に努力している受験生と全然真剣には取り組んでいない受験生と、一体どちらを応援したいと思えるか、といえばそれは心情的には努力している受験生を応援し、そちらに手をかけたくなるのも当然です。まずは利益追求のために、それ以外の「生徒のため」という動機だとしても、やはり必死に頑張っている子に教える時間を、「入試直前なのに居眠りしてるな!」という注意には充てたくない、と思うのが人間の心情であると思います。後者の心情に関しては僕も心から同意します。
特に、受験というのは必死に頑張っていてもなお、結果が出るかどうかは極めて難しいものです。必死に頑張っている子を後回しにして、そのようにやる気のない子に活を入れたり、話し合いやときにお説教をしたり、ということのせいで必死に頑張っている子が落ちることは、僕もやはり決して許したくはありません。
と、ここまでが長い前置きなのですが、これらのこと全てに同意した上で、さらには「サボっている人間が失敗するなんて自業自得だ。」という意見に僕は心から全面的に同意した上で、しかし、このような意欲のない子達を何とかしようと嚮心塾では毎日もがき続けています。僕の中では「自業自得だ。」と言いたいがために、しかし、それを本当に言えるのかどうかを人生を懸けて検証するために、必死にそれらの意欲のない子達を叱咤激励し、彼ら彼女らのやる気のトリガーがどこにあるのかを必死に探し、そして時間をかけます。嚮心塾では難しい学校を受ける子も多く、その子達は本当に必死に勉強しているので、その子達にかける時間をこうしたことで削りたくない、とやっていくと、どんどん僕の私生活の時間がどんどん削れていくわけですが、それでもやる気のある子のためにやる気のない子を見捨てたくはないし、やる気のない子のためにやる気のある子を犠牲にしたくもありません。
と、綺麗事を言っていても特に入試直前はどちらを優先するかの難しい選択を迫られる瞬間も多くなります。一日13時間半塾で教えていてもなお、間に合わなくなることは出てくるからです。その際には、やる気のある子たちを優先しなければならないことを、やる気のない子たちに伝えねばなりません。そのように伝えることもまた、今はやる気のない子たちへの叱咤激励の一つとなるからです。
実際、塾で今年必死に頑張って勉強してきた受験生も、一年前、あるいは二年前は「やる気のない子」でした。あるいは塾でチューターをしてくれているような、華々しいところに受かっている子の中にも、そういう「元・やる気のない子」はいます。人間は変われる。しかし、自らが変わろうとしなければ、決して変わることはできません。
その最初の「このひどい状態から自分なりに何とかしよう!」と思ってくれるときのために、こちらとしては様々な思いやりや工夫や言葉、それこそすべて無駄死にしていくような努力を積み重ねていきます。
その中で、「なるほど、やはり自分が頑張らないとダメなのだな。。」という残酷な事実に彼ら彼女らが気付ける時を待つしかありません。この究極的な局面において、他者から何かができることは本当に一つもありません。
それと共に、嚮心塾で勉強している学習意欲のある受験生達はみな、そのような「ハンデ」を負って勉強しています。
僕自身がそのようなやる気のない子にも時間を割く、というポリシーを曲げることはないからです。
それでも「通いたい」と思って通ってくれている子たちだからこそ、僕もビジネスの枠を超えて、何とか力になりたいし、
0.1%でも合格する確率を上げるために自分にできることは全てし尽くしたい、と思っています。
リルケが「絶望して死ねる。こんなに幸せなことはない。」と言っていたというのを森有正はよく書いていましたが、僕にとっては「やっぱり自業自得じゃねーか!」と死ぬ間際に言う最後の瞬間まで、「自業自得だろ!」と思いながらも、決して見捨てないように、必死に叱咤激励をしていきたいと思っています。この矛盾に、どのように耐え抜いていくかが、人生だと思っています(と言っても、そのように意欲ない子ほどに「ようやく自発的に勉強するようになってきた!ここから鍛えるぞー!」という瞬間に「別の塾行くんで辞めます。」と辞められることがほとんどなのですが。辛いですが、向こうからは見限られたとしても、こちらからは見限らないように、何とか頑張り続けたいと思っています)。
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