
国公立大学の前期入試がほぼ終わりました。明日も試験がある学校を受験する塾生もいますが、まずは一段落というところです。大きく失敗をしてしまった受験生はいなかったですが、とはいえ結果が出るまでは落ち着かないのが国公立大学入試です。ここからの2週間が本当に毎年長く感じます。
そんな中、必死に勉強してきたもののなかなか結果が出ずに苦しんでいた塾生が今日、初めて大学に受かりました。他にもたくさん合格の知らせは届いているのですが、本当に一生懸命勉強してきていて、力もあるのに、本番が弱くて結果が出せずになかなか受からずに本当に落ち込んでいた子だからこそ、今日のこの合格は、僕にとっても本当に嬉しいことでした。
嚮心塾も学習塾であり、いわゆる「合格実績」的なものを毎年出しています。こんな小さな、名前も怪しくて、普通の塾と違って授業もなく、さらには広告も出していない塾など、「合格実績」が悪ければ瞬時に潰れてしまうわけで、ここまで14年間何とか塾が続けられてきたのも、過去の塾生たちが本当に必死に頑張って、目を見張るような難しい学校に合格してきてくれたからであり、そこには本当に感謝しています。
しかし、一方で「合格実績」を毎年出すたびに、僕の中では自己矛盾を感じます。早慶に受かる力のある子を東大に合格させることなどある意味、大した仕事ではありません。もちろんそれにはそれで様々な難しさがあるとはいえ、そこはまあ、この仕事を長くしていればできることです。それよりも遥かに難しい合格もあれば、あるいはそれよりも遥かに受験生本人にとっては人生が変わるような大きな意味のある合格、というのが毎年あるものです(早慶に受かる力のある子が東大に受かってもあまり人生が大きく変わるわけではありません。)。その一つ一つの合格の内実を語れば、それこそ一人の合格について、本が一冊ずつ書けるくらいに様々な紆余曲折があります。しかし、そういった内実は「合格実績」という大学名の羅列の中では数ある「有名大学」の中に埋もれてしまいがちです。
その内実が少しでも伝わるように「合格体験記」的なものも毎年出しています。普通の塾とは違う、読み応えのある、剥き出しの彼ら彼女らの思いがとても伝わるものであるとは思うので、これは是非皆さんにも読んでもらいたい、読んでもらって決して損はないくらい素晴らしいものを毎年受験生が書いてくれている、と思っているのですが、それでもまだ伝えきれないぐらいに、毎年毎年一人一人に劇的なものが受験にはあります。
この先、国公立大学の受験結果を踏まえて、今年も塾でも「合格実績」を出す予定ですが、この後どのような華々しい「難関大学」の合格を書き連ねたとしても、それらと全く引けをとらないくらい、今日の塾生の合格はうれしいものでした。
がんばってもがんばっても報われないまま、ときには自分自身の存在意義のか弱さに押しつぶされそうになりながら、それでも結果を出そうと必死にもがいたその塾生の頑張りに、僕は本当に頭が下がります。それと共に、そのような頑張りに少しでも形を与えられているのであれば、やはりこの仕事を長く続けねばならない、という決意も再び生まれます。もちろん、僕自身の力が足りていないが故に落としてしまったすべての受験生に対する罪を背負った上で、です。
努力をしても努力をしても結果が出ないとしても、それでもなお努力ができるのか、それともそれならバカらしいからもうやめよう思うのかの分かれ目にこそ、人間の真価が現れると思います。もちろん、努力をしてもうまくいかないときはまず方法が間違っていないかを疑うべきだ、というのが正しいのですが、方法は間違っていないとしてもなお、努力をしても結果が出ないときはもちろんあります。
そこで辞めるか、それでも頑張るか。
そこで後者を選ぶことのできる全ての人間を、仮に年少者であろうとも、僕は心から尊敬しますし、そのような子たちのためにこそ、自分自身も諦めずに努力を続けていきたいと思っています。そして、その塾生の今後の人生にとって今日勝ち取ったこの合格がしんどい人生を生きる中で一つの心の拠り所になることを願っています。
皆さんにも「合格実績」の行間を是非読んでいただけたら嬉しいです。
そんな中、必死に勉強してきたもののなかなか結果が出ずに苦しんでいた塾生が今日、初めて大学に受かりました。他にもたくさん合格の知らせは届いているのですが、本当に一生懸命勉強してきていて、力もあるのに、本番が弱くて結果が出せずになかなか受からずに本当に落ち込んでいた子だからこそ、今日のこの合格は、僕にとっても本当に嬉しいことでした。
嚮心塾も学習塾であり、いわゆる「合格実績」的なものを毎年出しています。こんな小さな、名前も怪しくて、普通の塾と違って授業もなく、さらには広告も出していない塾など、「合格実績」が悪ければ瞬時に潰れてしまうわけで、ここまで14年間何とか塾が続けられてきたのも、過去の塾生たちが本当に必死に頑張って、目を見張るような難しい学校に合格してきてくれたからであり、そこには本当に感謝しています。
しかし、一方で「合格実績」を毎年出すたびに、僕の中では自己矛盾を感じます。早慶に受かる力のある子を東大に合格させることなどある意味、大した仕事ではありません。もちろんそれにはそれで様々な難しさがあるとはいえ、そこはまあ、この仕事を長くしていればできることです。それよりも遥かに難しい合格もあれば、あるいはそれよりも遥かに受験生本人にとっては人生が変わるような大きな意味のある合格、というのが毎年あるものです(早慶に受かる力のある子が東大に受かってもあまり人生が大きく変わるわけではありません。)。その一つ一つの合格の内実を語れば、それこそ一人の合格について、本が一冊ずつ書けるくらいに様々な紆余曲折があります。しかし、そういった内実は「合格実績」という大学名の羅列の中では数ある「有名大学」の中に埋もれてしまいがちです。
その内実が少しでも伝わるように「合格体験記」的なものも毎年出しています。普通の塾とは違う、読み応えのある、剥き出しの彼ら彼女らの思いがとても伝わるものであるとは思うので、これは是非皆さんにも読んでもらいたい、読んでもらって決して損はないくらい素晴らしいものを毎年受験生が書いてくれている、と思っているのですが、それでもまだ伝えきれないぐらいに、毎年毎年一人一人に劇的なものが受験にはあります。
この先、国公立大学の受験結果を踏まえて、今年も塾でも「合格実績」を出す予定ですが、この後どのような華々しい「難関大学」の合格を書き連ねたとしても、それらと全く引けをとらないくらい、今日の塾生の合格はうれしいものでした。
がんばってもがんばっても報われないまま、ときには自分自身の存在意義のか弱さに押しつぶされそうになりながら、それでも結果を出そうと必死にもがいたその塾生の頑張りに、僕は本当に頭が下がります。それと共に、そのような頑張りに少しでも形を与えられているのであれば、やはりこの仕事を長く続けねばならない、という決意も再び生まれます。もちろん、僕自身の力が足りていないが故に落としてしまったすべての受験生に対する罪を背負った上で、です。
努力をしても努力をしても結果が出ないとしても、それでもなお努力ができるのか、それともそれならバカらしいからもうやめよう思うのかの分かれ目にこそ、人間の真価が現れると思います。もちろん、努力をしてもうまくいかないときはまず方法が間違っていないかを疑うべきだ、というのが正しいのですが、方法は間違っていないとしてもなお、努力をしても結果が出ないときはもちろんあります。
そこで辞めるか、それでも頑張るか。
そこで後者を選ぶことのできる全ての人間を、仮に年少者であろうとも、僕は心から尊敬しますし、そのような子たちのためにこそ、自分自身も諦めずに努力を続けていきたいと思っています。そして、その塾生の今後の人生にとって今日勝ち取ったこの合格がしんどい人生を生きる中で一つの心の拠り所になることを願っています。
皆さんにも「合格実績」の行間を是非読んでいただけたら嬉しいです。
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