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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

責任の所在について。

忙しくても毎日ブログを書くこと自体はきつくはないのですが、調べながら書きたいものについては入試直前で忙しいと、どうしても手が回らなくなり、後回しにしてしまっています。それをいつかまとめて書くのか!と思ってはゾッとしている最中です。。

どのようなチャンスがあったとしても、それを経て人間として成長をすることができるかどうかは人によって異なります。そして、その分かれ目は、失敗を自分のせいと思えるかどうかの違いです。もちろん、失敗を周りのせいにした方が自分の精神衛生上は楽なのですが、けっきょくそれでは自分の改善点は見つからなくなり、失敗から何も学べなくなってしまいます。失敗を自分のせいととらえ、自分の中でどこを改善すればそのような失敗を防ぐことができるかを必死に考えていくことで人間は成長していきます。この点で医師のよく言う「患者を何人殺したかが良い医師になるための条件だ。」というのはそのとおりだと思います。もちろん、それら全ての患者は医師の努力不足・力不足で救えなかったかどうかはわかりません。しかし、むしろそうでないことが多かったとしてもなお、「自分にもっとできることはなかったか。」を絶えず問い続け、自身のスキルの向上を目指すことでそのときには救えなかった患者が救えるかもしれない可能性が増していくわけです。(これは受験生を預かる我々教育者も全く同じです。)

とはいえ、全てを自分のせいにする責任感が強い人ほどに、自分を責め続けて結局自暴自棄になったり、うつ病になったりしがちです。責任感の強さは、諸刃の剣であり、うまく飼いならしていかなければ自分をも滅ぼしてしまうものになります。だからこそ、今目の前の相手にとって何が必要であるのかは一人一人違うだけではなく、一人の人によってもその状態によって違うわけで、だからこそ責任を強調すべきなのか、逆に責任を軽くしてあげるべきなのかはアドバイスをする際にも本当に難しいことです。

これは実は、子どもたちを教えるときも同じです。「いやいや、子供なんて責任なんか感じないことが多いんだから、自分の責任を強調する方向にしとけばだいたい間違いないだろう!」と考えるのは雑な態度です。
子どもたちも自分の責任を強く感じやすい子とそうでない子とに分かれます。ただ、その行動が大人から見ればどちらも大人が子供に要求する過大な水準には達していないため、それが大人からはわかりにくいのです(大人が子供に要求する水準の高さといったら!ほとんどのご家庭では、「それ、親御さんは子供の頃自分でできてたんですか?」と聞きたくなるケースが多いです!もちろん、親御さんが子供の頃できていたからといって、それを子供に要求することも適切ではない場合も多々あります)。

だからこそ、自分が失敗の責任を感じている子に、執拗にその責任を責め立てれば、そのような子達は自責の念に押しつぶされてすべてにやる気を失うか、あるいは暴力的にそれに対して反抗しようとします。逆に、自分が失敗の責任をあまり感じていない子であれば、それをかばってしまうことはもちろん逆効果です。このあたりの見極めが本当に難しく、このように偉そうに書いている僕もまた、百発百中とまではまったくならず、(普通の人よりは高い精度でわかるものの)対応を間違えてしまうことも多々あります。

これ一つをとっても、教育というのは本当に難しいことであると思っています。いつも子供の失敗をあげつらっていれば、その子は全てにやる気を失うか暴力的に反抗するか、それらでないとすれば全く反省をしない子になるでしょう。「またうるさいこと言ってるけど気にしなくていいや。」となってしまいます。一方で、常に子供の全てを許せば、子どもたちの卑怯さをも許すことになっていきます。ここは意見が分かれるかもしれませんが、子どもたちの中に卑怯さは絶えず内在していると僕は考えます。それは当たり前で愛されて育つ、とは寛大さとともに卑怯さを育むものであるからです。
一人一人の子に対しても場面場面で必要な対応を変える必要があるだけでなく、ある一人の子に対しても今までの人間関係の文脈の中でどのように反省を促すべきか、あるいはどのように反省を見守るべきかが変わっていきます。
本当に難しいことであると思います。

その上で、子どもたちをかばい続けるのは、彼らに慕われるためではなく彼らに本当にいけないことはほんとうにいけないのだと厳しく伝えるための準備であると思えるかどうか、逆に子どもたちを厳しく叱責するのはこちらの立場を守るためではなく、彼ら彼女らが間違った人生を送らないためなら自分が彼ら彼女らから憎まれてもいいと思えるかどうか、と教える側にはタイミングを見極める能力だけではなく、生徒との人間関係を掘り崩すことに踏み込む覚悟が問われます。

ということに思い至るたびに、「教育みたいなこんな難しいことをよくどこでもなんとなくやってるなあ。。」という思いに駆られます。今年も一年間悩みに悩みぬき、少しでも失敗を防ごうとしてそれでも失敗をする毎日でした。それでも、この難しいことに怖気づかずに最後の仕上げを徹底的にやっていきたいと思います。
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