fc2ブログ

嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

「かわいそう」に逃げ込ませるな。

入試というのは残酷なもので、一点差で落ちても大差で落ちても不合格は不合格です。だからこそ、不合格が続くと自分のこれまでの努力を全否定されたような気持ちになってしまい、「どうせ努力しても無駄なんだ。。」「こんな結果になるのなら、努力なんかしなければよかった。。」「そもそもあんなどうしようもない塾に通ってるから、不合格になるんだ。。」などと、否定的な考えへとどんどん落ち込んでいきます。

ただ、不合格が続いたとしてもごく僅差で届いていないだけかもしれません。ここで大切なのは「どうせ努力しても受からない」と諦めることではなく、「どこを復習すれば入試でもっと点数を取れたか。」「どのような失敗を入試では防ぐべきか」です。もちろん、自分だけでそのように気持ちを切り替え、かつやるべきことへと意識を集中していける受験生、というのはあまりいないので、そのためにこちらは様々な説得をします。その中でよく僕が話すのが、「『かわいそう』に逃げ込むな!」という話です。そのようなキツイ状況はご家族から見れば、どうしても「かわいそう」だからこそ励ましたり、何とかケアをしてあげなきゃいけない、と思いがちです。ですが、そのように励ましたり気を使ったり、とすればするほどに受験生本人は自らの被害者意識をこじらせて、「今何をすべきか。」という当事者意識を持てなくなっていってしまいます。そのように受動的になっている受験生ほどに、次の入試も失敗する可能性が高まります。だからこそ、こちらは心を鬼にして叱咤激励をしなければなりません。

自分が勉強面で次の入試に向けてできる復習はないか、今までの入試でした心理的な失敗をどのように防ぐか、次の入試にはどのような心持ちで望むのか、次の入試対策として苦手分野の復習以外にやるべきことはないか。それらすべては、「ここまでどこも受かっていない自分はなんてかわいそうなんだ。。」と浸っているうちには何一つできないことです。落ちるのは自分のせいだと考えれば、自分が何かしら今足りていないところを埋める努力をしようと思えるようになり、合格する可能性は必ずそれをしないときよりも増えていきます。そのように最後まで諦めない受験生こそが最後の最後に合格する、ということを可能にします。

結局自分の人生で招いてしまった失敗をどこまで「自分のせい」と思えるかどうかが勝負を分けることになります。もちろんそれを他人のせいにするためのロジックなどいくらでも作ることができるでしょう。「塾が悪い」ということにしたければしてもらっても構いません。しかし、それでは受かりません。「自分は正当な努力をしたけれども塾が悪いので落ちた」と思っている受験生は、自分の改善点を見つけられないからこそ、次の入試も同じように失敗する可能性を払拭できません。しかし、そこで今までの入試で自分が何ができていないか、どういう失敗をしてしまっているか、そういったところを必死に探し、埋めようとしていく受験生は次の入試をそれらの点を修正した上で受けられるわけです。その差が合否として現れます。だからこそ、こちらとしては「かわいそう」に逃げ込ませるわけにはいかないのです。

必死に努力をしてきた子でも結果が出ないことはもちろん入試においてはあります。しかし、一年間必死に努力してきたということは、今現実から逃げて良い理由にはなりません。一年間必死に努力してきてもなお、今この瞬間にダメな自分、足りない自分を見つめて歯を食いしばって頑張れるか、が勝負を分けます。そのことを伝えるために、疎まれても嫌われても必死に喋ろうと思います。

そして、何より受験生本人に対して思い出してほしいのは、そのように逃げ腰になって、みんなに慰めてもらって「自分は悪くない!」と言い張ったりごまかしたりしても、入試にそれは通用しません。入試は君の周りの人ほど君を特別扱いして慰めてくれません。あくまで点数という観点から公平に、即ち冷酷に判断するものです。だからこそ今君がやるべきことは、立ち上がって戦うことです。その一番キツイ状況でそれでも立ち上がって戦えるかもまた、「この1年の努力」の中に含まれているのだ、ということを肝に命じて頑張って欲しいと思います。
関連記事

このエントリーをはてなブックマークに追加
PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する