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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

ブログを毎日書く意味。

ラーメンマニアにも様々なタイプがあると思います。新しいお店をチェックせずにはいられない新店フリークもいれば、地元地域にはだれよりも詳しい地域特化型、あるタイプのラーメン(例えば「二郎系」)を好むタイプ特化型など様々です。さて僕は、その中ではどれに当てはまるのかと自己分析をしてみると、あまり新しいお店のチェックには興味が無いですし、かと言ってあるタイプのラーメンばかりを食べるわけでもありません。わざわざ遠くまで食べにいくラーメン屋もそんなに多くはありません。まあ、普通のラーメン好きくらいなレベルです。あえて言えば、店主さんの顔が見えるラーメン屋さん、店主さんの人生や考え方が現れるラーメン屋さんにこそ、定期的に通うタイプであるとは言えると思います。

その僕が店主さんの個性が素晴らしくて遠くまで通うラーメン屋さんの一つに、毎日違った限定ラーメンを出すお店があります。この記事でも書きましたが、それは職人さんの技術向上と常連さんへのサービスという意味があるわけで非常にchallengingなことに毎日取り組んでいるわけですが、それだけ毎日違うものを作ろうとすれば、当然不出来な日もあるでしょう。それでもなお、毎日作り続ける、ということに意味があるのでは、ということに僕自身も最近気づいてきたところがあります。

結局毎日新しいものを作ろうとしていけば、自分がうまくできることとか、今までに蓄えたものとかは、さっさと底が尽きてしまうわけで、それでも毎日新しいものを作ろうとすればするほどに新たなチャレンジに自分自身がさらされるわけです。その中では当然不出来なものもあるでしょう。お客さんは納得しても、自分が納得できない日もあれば、そもそもお客さんに納得してもらえない日だってあるかもしれません。それでもそのように自分の底を払って徹底的に空っぽになってもなお、絞り出そうとするその「限定ラーメン」には、自分自身の気づいていない自分自身の可能性が引き出されてくるわけです。そのような生き様にこそ、我々ラーメンファンは遠くまで足を運びたいと思うようになります。

これが何に似ているかを考えると、僕はどくんごのネタづくりがまさにそうではないか、と思っています。どくんごの一つ一つの場面は一人一人の役者さんが出していくアイディアを元に作られているわけで、その点では「やりたいことをやっている」わけですが、ネタを出してはダメ出しされ、出してはダメ出しされ、の中でその役者さんが「自分でこれはできる!」と思っているものがだんだんと底をついていくわけです。その「底をついた」状態からそれでも絞り出していく、その一つ一つが役者さん自身が気づいていないその役者さんの可能性を徹底的に引き出しているように思います。

結局人間が「自分」だと思っているもの、というのは非常に狭い範囲であり、「自分のできること」と思っていることもまた非常に狭いものである、ということなのでしょう。余裕があるうちはそのような蓄えたもので何とかしようとしているからこそ熟練のものであっても小手先のものしかでてきません。しかし、それを出して出して出し尽くしてまだなお何かを出そうとするとき、そこで初めてその主体の人間性が未知の課題にぶつかり、その全存在をかけて必死に跳躍しなければならなくなります。そこにこそ、(もちろん失敗もあるにせよ)まだ見たことのない素晴らしいものが生まれてくる可能性があるのだと思います。

翻って僕自身のことを反省すれば、あまりにも溜め込み過ぎだなあと反省しています。インプットの膨大さに比べてアウトプットが少なすぎます。塾という場ではもちろん毎日アウトプットをやっているのですが、このブログはどうしてもある程度自信をもって書けることしか書いてきていない、というのがその毎日限定ラーメンを作ることとは真逆の行為であり、ある意味卑怯な態度であるなあと。もちろん「アウトプットを多くしろ!」は様々な動機から推奨されるものであり、「アウトプットが多いほどリアクションも多い」というマーケティング戦略上の動機はそんなに興味はないのですが(少しはあります!)、「いかにクオリティを落とさずに徹底的に出し尽くしていくか。出し尽くした後のその底から出てくるものを見せていくか。」はやるべきことではないか、と思ってブログをできるだけ毎日更新することを決意した次第です。

それと共に、嚮心塾にももちろん僕にも多様な側面があります。今までの吃音を交えながら延々と語られる言葉のような僕のブログからは、「長い」「真面目そうだけどキモい」「よくわからない」など、様々な意見をちょうだいすることが多いのですが、むしろ嚮心塾はよく笑いが起こり、様々な話題について語り、それ以上に皆が勉強に真剣に取り組む場所です。そんな雰囲気も伝われば良いと思っています。

そうこうしているうちに、明日は東京の中学受験の初日です。勉強が得意な子が難しい学校に入ることよりもはるかに、勉強が苦手な子がそれを諦めずに努力して克服していき、そして合格することの方がはるかに意味があることだと僕は思っています。勉強ができるようになることを諦めている状態から、必死に努力し、様々に工夫し、勉強ができる状態になってきた受験生は既に受験結果以上の内容を得ている、と僕は思います。あとはそこに受験結果という「形」がついてくるように、最後のチェックをしていきたいと思います。
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