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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

練習は試合のように、試合は練習のように。

高校生の時に部活の顧問の先生から読め、と言われた本にビル・チルデンの『ベターテニス』という本(今は絶版のようです)がありました。この本の内容は何一つ覚えていないのですが、唯一覚えているフレーズとしては、「練習は試合のように、試合は練習のように。」というフレーズでした。これは受験指導には大変重宝させてもらって今でもよく使わせてもらっています。

「練習は試合のように」というのは、練習のときこそ試合のように必死にやってこそ初めて実力がつく、ということです。「どうせ練習だし、少しミスがあってもまあいいか。」と思っていては、力などつきません。そうではなく、練習の時の一つ一つのミスをどこまで突き詰められるか、そのミスを減らしていくためにはどのようにすればよいのかを絶えず考え続けることでテニスが上達する、ということです。これはテニスに限らず、受験勉強でも何でも同じだと思います。

「試合は練習のように」というのは、試合の時は「試合だから頑張る!」ではなく、普段の練習と同じだと思ってリラックスすると力を出しやすい、という話です。これもまさに受験にもあてはまります。試験会場で何とか頑張って良い結果を得ようと思えば当然うまくいきません。そうではなく、普段の練習と同じだと思って「いつもできていることをここでやるだけだ。」と思えば、力を出しやすくなります。
25年以上前に読んだワンフレーズしか覚えていない本の、そのワンフレーズを毎年繰り返して言っているというのも本当に面白いものです。

まあ、なぜこの話を書いているのかというと、朝弱い受験生が勉強できるように、毎朝早くから塾を開けているのですが、
それはさんざん寝坊されすっぽかされるのに、そのような受験生も受験当日は絶対に寝坊しないことからも、結局言葉で言うのは簡単だとしても、この意識の徹底が難しいのだな、と改めて思わされているからです。

結局「日常生活はありふれていて注意や緊張など必要のないものでできている」というように仮定しなければ人間の精神がもたない、ということがフェイルセーフのように先に存在しているのです。それ以上は自己を変えられないか、そこまで変えようとし、コントロールできるようになるかで、その子が将来一流になれるかどうかが変わってくるのでしょう。一日一日を注意や緊張を込めて生きるのでなければ、それは自分の人生を(ベルグソンの言うように)質から量へと貶めているのだ、と生徒たちに伝えるために、最後までもがき苦しみたいと思っています。
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