
先日、テレビで『マツコの知らない世界』を見ていたら、「青春食堂」と銘打った高校生の思い出のお店、という特集で、僕も高校生のときにあるいは卒業後に何度か行った西日暮里のフィレンツェというお店が出ていました。馴染み深いお店であり、卒業してからも卒業生の集まりなどでは必ず行くお店であるので、懐かしさと、幾分かの誇らしさをもって番組を見ていました。
このお店は食事ができる、というだけでなくゲームも置いてあり、それこそ開成生が何時間でも話したり、やりたくもないゲームをしたり、たまり場として青春時代を過ごしたお店です。行き場のない、やるせない気持ちを持つ高校生たちがたむろする姿は、今も変わらず、という様子でした。
番組を見ているうちに、「なるほど。始めたときは気づかなかったけれども、僕は自分の塾をこのフィレンツェのような場所にしたいと思ってやっているのだな。」ということがよくわかってきました。やり場のない思い、どうにもわりきれない気持ち、誰にも話せないしんどさを抱えて、しかもそれを合理的に解決するだけではなく(塾なので、多少はそれをやらねば潰れますが)、寄り添い、放置し、そして彼ら彼女らが回復するための避難所となる。それをしたかったのだ、ということに改めて気付かされました。
もちろん、これは容易な道ではありません。フィレンツェは、コーヒー一杯で高校生を何時間でもいさせてくれるお店でした。そのような営業で大きく儲かるわけがありません。(卒業生が集まるときに利用する、というリターンはあるのかもしれませんが、その際の値段設定を聞いても、ちょっと儲かるような値段設定にしてもらえた覚えがありません。。)経営コンサルタントが相談に入れば真っ先に「とにかく回転率を上げろ!」と怒られるような営業方法であると思います。さらに言えば儲からないだけでなく、「勉強しなさい!」というプレッシャーに追い込まれている高校生を長々と滞在させる、ということは店にとって下手すれば学校や親からは(「おたくのお店に長々といるせいでうちの子が勉強しない!」という)クレームが来る可能性だってあったわけです。今から考えれば、こんなことを店主さんに許してもらえていた、ということがあまりにも有り難い、奇跡的なことでした。
しかし、お金のない高校生にとって、家と学校以外にそのような行き場があり、そこで長い時間を過ごせた、ということは本当にかけがえのない社会的包摂を得られていた、ということであるのだと思います。そして、それは経営や利益という観点では必ず見落とされがちである、目の前の中高生に対面したときの店主さんの人間としての優しさ、温かさ故に我々はそのような貴重な時間をあの場所で過ごせた、という奇跡に、本当に感謝するばかりです。
高校生の時から20年以上立って、実際に自分がそのような社会的包摂の場所を作ろうともがき苦しんできて改めて感じるのは、そのような取り組みを維持することがどれほど自分自身の人生を経済的に困窮させるのか、そのような取り組みがいかに社会からは評価されずに捨て置かれているのか(むしろ「合理的な経営ではない」という理由で駆逐されつつあります)、そしてそれらにも関わらず、そのような取り組みがいかにこの社会にとって必要であるのか、です。そして、世の中には無数の『フィレンツェ』が存在することもまた。
それは何も場所を作る、ということだけが正解なわけではありません。場所とはつまり、人のことであるからです。たとえばフィレンツェが店主さんのお人柄によってあの場が形成されているのと同じように、既存の組織、仮にそれがどのように大きな組織であったとしても、その中で自分自身が他者にたいしてそのような「場」となることはできるはずです。
時代はめぐります。「局所的な最適解のために、外部不経済を積極的に是認する」というこの趨勢が、その「内部」をどこまでも狭めていっては外部を拡大していくことで、どうにも立ち行かなくなりつつある古いモデルを何とか延命を図ろうとする、という我々の時代において、「コーヒー一杯で粘る、家に帰りたくない高校生」を「外部」と見なさずに受け入れてくれた、というそのフィレンツェの取り組みは、実は新しい公共のヒントになるのかもしれません。
嚮心塾も13年続けているので、卒塾生、あるいはその友人、友人の友人までが様々な報告や何らかの忸怩たる思いを抱え、話しに来てくれる場になりつつあります。「こんなこと、誰に相談したらいいんだろう。。」という若い世代の思いを(僕がそれに的確な答を出せるかどうかは別として)何とか必死に受け止め、少しでも寄り添っていきたいと思っています。(ヒポクラテスの’Cure sometimes, treat often, comfort always.’というやつですね。)
僕達はそのように既に愛され、庇護されてきました。商売の枠組みを超えた、あのように誰からも理解されにくいが、しかしとても必要な取り組みの恩恵を既に受けて、その愛情に守られて、何とか大人になれたのだと思います。それをどのように次の世代にまたバトンを渡していくのかは、そのように守られてきた僕達自身の責任でもあると思っています。
僕自身も相変わらず、儲かるわけのない塾をやっているわけですが、誰かを、あるいは何かを「外部」として切り捨てることのないように、必死に頑張って行こうと思っています。
このお店は食事ができる、というだけでなくゲームも置いてあり、それこそ開成生が何時間でも話したり、やりたくもないゲームをしたり、たまり場として青春時代を過ごしたお店です。行き場のない、やるせない気持ちを持つ高校生たちがたむろする姿は、今も変わらず、という様子でした。
番組を見ているうちに、「なるほど。始めたときは気づかなかったけれども、僕は自分の塾をこのフィレンツェのような場所にしたいと思ってやっているのだな。」ということがよくわかってきました。やり場のない思い、どうにもわりきれない気持ち、誰にも話せないしんどさを抱えて、しかもそれを合理的に解決するだけではなく(塾なので、多少はそれをやらねば潰れますが)、寄り添い、放置し、そして彼ら彼女らが回復するための避難所となる。それをしたかったのだ、ということに改めて気付かされました。
もちろん、これは容易な道ではありません。フィレンツェは、コーヒー一杯で高校生を何時間でもいさせてくれるお店でした。そのような営業で大きく儲かるわけがありません。(卒業生が集まるときに利用する、というリターンはあるのかもしれませんが、その際の値段設定を聞いても、ちょっと儲かるような値段設定にしてもらえた覚えがありません。。)経営コンサルタントが相談に入れば真っ先に「とにかく回転率を上げろ!」と怒られるような営業方法であると思います。さらに言えば儲からないだけでなく、「勉強しなさい!」というプレッシャーに追い込まれている高校生を長々と滞在させる、ということは店にとって下手すれば学校や親からは(「おたくのお店に長々といるせいでうちの子が勉強しない!」という)クレームが来る可能性だってあったわけです。今から考えれば、こんなことを店主さんに許してもらえていた、ということがあまりにも有り難い、奇跡的なことでした。
しかし、お金のない高校生にとって、家と学校以外にそのような行き場があり、そこで長い時間を過ごせた、ということは本当にかけがえのない社会的包摂を得られていた、ということであるのだと思います。そして、それは経営や利益という観点では必ず見落とされがちである、目の前の中高生に対面したときの店主さんの人間としての優しさ、温かさ故に我々はそのような貴重な時間をあの場所で過ごせた、という奇跡に、本当に感謝するばかりです。
高校生の時から20年以上立って、実際に自分がそのような社会的包摂の場所を作ろうともがき苦しんできて改めて感じるのは、そのような取り組みを維持することがどれほど自分自身の人生を経済的に困窮させるのか、そのような取り組みがいかに社会からは評価されずに捨て置かれているのか(むしろ「合理的な経営ではない」という理由で駆逐されつつあります)、そしてそれらにも関わらず、そのような取り組みがいかにこの社会にとって必要であるのか、です。そして、世の中には無数の『フィレンツェ』が存在することもまた。
それは何も場所を作る、ということだけが正解なわけではありません。場所とはつまり、人のことであるからです。たとえばフィレンツェが店主さんのお人柄によってあの場が形成されているのと同じように、既存の組織、仮にそれがどのように大きな組織であったとしても、その中で自分自身が他者にたいしてそのような「場」となることはできるはずです。
時代はめぐります。「局所的な最適解のために、外部不経済を積極的に是認する」というこの趨勢が、その「内部」をどこまでも狭めていっては外部を拡大していくことで、どうにも立ち行かなくなりつつある古いモデルを何とか延命を図ろうとする、という我々の時代において、「コーヒー一杯で粘る、家に帰りたくない高校生」を「外部」と見なさずに受け入れてくれた、というそのフィレンツェの取り組みは、実は新しい公共のヒントになるのかもしれません。
嚮心塾も13年続けているので、卒塾生、あるいはその友人、友人の友人までが様々な報告や何らかの忸怩たる思いを抱え、話しに来てくれる場になりつつあります。「こんなこと、誰に相談したらいいんだろう。。」という若い世代の思いを(僕がそれに的確な答を出せるかどうかは別として)何とか必死に受け止め、少しでも寄り添っていきたいと思っています。(ヒポクラテスの’Cure sometimes, treat often, comfort always.’というやつですね。)
僕達はそのように既に愛され、庇護されてきました。商売の枠組みを超えた、あのように誰からも理解されにくいが、しかしとても必要な取り組みの恩恵を既に受けて、その愛情に守られて、何とか大人になれたのだと思います。それをどのように次の世代にまたバトンを渡していくのかは、そのように守られてきた僕達自身の責任でもあると思っています。
僕自身も相変わらず、儲かるわけのない塾をやっているわけですが、誰かを、あるいは何かを「外部」として切り捨てることのないように、必死に頑張って行こうと思っています。



