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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

嘘をつく、ということについて

最近の国会を見ていると、嘘を平気でつき通そうとし、それで世間の関心が過ぎ去ってくれればラッキー!というケースが非常に多いように思います。子どもたちを教えていても、嘘をつくことが常態化してしまっているお子さんというのは一定数います。人はなぜ嘘をつくのか、なぜ嘘を嘘と認められないのかについて考えてみました。

人はなぜ嘘をつくのか。そのきっかけは必ず「ある特定の人からの圧力」であると思います。嘘をつくことで現実の全てが変えられるわけがありません。それは当然嘘をつく側も最初はわかっているのです。しかし、ある特定の人からの追及あるいは要求が厳しく、それさえを凌ぐことができればいい、と感じる時、その特定の人に対して嘘をつくことが合理的な判断になります。なぜなら、その人の追及や要求さえ乗り越えることができれば、都合の悪い現実を変えようとすることよりも楽に結果を変えられるからです。あるいはそもそもそのように要求される現実が自分にとってまずい事態だと本人が感じていなければ、なおさら嘘をつく動機というのは強くなります。

これは具体的には「勉強しなさい!」と口うるさく厳しい親や教師に対して嘘をつく子供を考えてみればイメージがし易いと思います。子供にとっては勉強をしないでいることで自分が被る不利益や失敗、というのは全く具体的にイメージができていません。その状態で親や教師が口うるさく「勉強しなさい!」と言えば、当然勉強をしているフリ、あるいはしているという嘘をつくようになります。

このような事態を避けるためには、子どもたちになぜ勉強をした方がよいのか、そもそも勉強をしないとどのように困るのか、あるいは勉強をしたふりをしていたとしても、結局それでは通用しなくなる時期が(たとえば入試などのように)必ず訪れるはずであり、そのように嘘をついてはその場をやり過ごすことが結局問題の先送りになるだけであり、何も事態の解決になっていない、ということを理解してもらえるようにしっかりと説明していくことが必要となります。

裏を返せば、子どもたちがそのように嘘をつく時、その嘘をつかせているのは子どもたち自身にその意味を納得させることなく、努力を強要している親や教師である、という事実に親や教師は目を向けるべきであるということです。自分ではそれをやる意味を感じられないことを強要されてもそれを努力する、ということは子どもたちにとってもまた合理的な行動ではありません。

「自分が必要性を感じないことであっても、ある特定の人達はそれについて努力するようにうるさく言ってくる。だからこそ、そういう人だけやり過ごすために嘘をつくのが一番合理的だ。」このように考えるからこそ、彼ら彼女らは嘘をついてサボるようになるのだと思います。

また、嘘を嘘と認められないのは、それを認めてしまえば最後、自分が嘘をついたという罪を認めるだけではなく、自分の現状認識、自分の世界認識の誤りをも認めざるをえないからです。嘘をついた相手に対しての罪の意識があるのはもちろんとして、そもそもそのような嘘が自分の現状認識や世界認識自体の誤りから来ることを認める、というのは自分自身のidentityを根底から覆される苦痛を伴います。だからこそ、一度嘘をついた人はそのような現状認識、世界認識を継続することの誘惑に屈し続けていくのです。

だからこそ、親や教師に求められるのは、子供が嘘をつくことをあげつらったり批判したりする態度ではなく、子どもたちの現状認識、世界認識に働きかけていかなければ結局根本的には改善しないといえるでしょう。それでも受験生は「受験」というごまかしの効かない壁とぶつかって不合格になります。その意味では自分の誤った現状認識に気づく機会を強制的に与えられているだけ、大人よりは自分の誤った認識に気づきやすいのかもしれません。


翻って国会の話に戻れば、なぜ官僚が嘘をつくのか、といえばそれは恐らく官邸からの指示があるのでしょうが、なぜそのような指示を官邸が出すのかと言えば、「うるさく言ってくる特定の人(この場合は野党や一部の国民)さえやりすごせば、今までの行いを変える必要がない。」と認識しているからです。つまりネポティズムも公文書改ざんも日報隠蔽もセクハラも本質的には改める必要のない問題だと認識をしており、ただそれが「うるさい人たちからは追求される材料である」ことだけは自覚をしているので、嘘をつく(官僚につかせる)、という構造になってしまっているように思います。このような嘘がつかれ続けている、という事実自体が嘘をつかせている側がどのような認識で政治を行っているのかを如実に語っていると思います。教育であれば、その本人の認識を変えるように親や教師は努力をしなければならないわけですが、政治においてここまでの経緯を見てくれば、そのような本人の現状認識を変えることは難しそうです。

だからこそ、個別の戦術として「嘘をつくこと」をあげつらうことは野党側にも必要なのかもしれませんが、より根本的な問題としては「なぜこのような嘘をつくのか」というそのattitudeの方を問題にしていくことが大切であると思います。嘘をつく、とは「嘘をついてうるさい人さえやりすごせば現状のままで問題がない」という認識の現れであり、それがネポティズムも公文書改ざんも日報隠蔽もセクハラもまるごと追認することになっている、という暗示を含んでいるからです。

嘘をつき続けているという事実こそが、圧力をかけてきている「特定の誰か」さえやり過ごせればよくて根本的には反省し改善をしていくつもりがない、ということを示しています。逆に言えば(追い込まれて渋々認めるのではなく)自発的に嘘をつくのを辞めたときこそが、今までの自分たちの現状認識を改めようと決意した瞬間になるのだと思います。現状の政治状況について言えば、残念ながらそうなっていないだけでなく、そうなる兆しも全く見えていないことについては、やはり我々一人一人が決してゆるがせにすべきではないと考えています。
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