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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

一年が終わる時期に。

お久しぶりです。もう少しで国公立入試の発表が出て、今年一年が終わると言えます。今年の卒塾生はみんなとても気を使ってくれて、体験記を早めに書いてくれているので、もう既に何人分かがこのブログにもアップされています。

今年も僕の力不足で、ここまでに多くの落としてはいけない受験生を落としてきました。学習塾というものは、どのようにこちらが努力しようとも思いやろうともそれによって見違えるように受験生本人の勉強姿勢や実力が改善しようとも、結果が出なければ軽々と打ち捨てられるものです。というのは別に、そのことに対して泣き言を言いたいのではなく、そのような状況の中で自分が相手を思いやれるかどうかが、恐らく僕にとっては人生において必要な取り組みであったのだと思っています。こちらは生徒のことを諦めてはならないにも関わらず、成果が出なければ気軽にうち捨てられる中で、一人一人の生徒の人生を思いやる、ということが果たして可能であるのかどうかの実験として、嚮心塾は存在しています。もちろん、その中で自分の力不足ゆえに合格させられなかった受験生たちを合格してもらえる力をつけるために、また日々努力していこうと思います。

そんな中、忙しくて書けていなかったのですが、この年明けにFacebookでつながっている卒塾生が音頭を取って集まって、卒塾生の飲み会というものを初めて大々的に行い、僕も参加してきました。卒塾生同士が個人的に飲みに行ったり遊びに行ったりはもちろん今までもたくさんあったのでしょうが、僕が誘われたことはありません。そもそも僕は塾生と個人的に親しくなろうとは思っていません。教師というのは、生徒に慕われる喜びのために、奴隷のごとき労働を甘受する職業であると僕は認識していますが、生徒に慕われることが自己目的化すれば、教育にとっては有害なことです。以前にも書きましたが、教師の受ける生徒からの信頼、愛着、その他肯定的な感情の全ては、彼ら、彼女らがより良く生きていくために身につけるべきではあるがしかし自分からは受け入れがたい何かを身につけるために費やされるresourceでしかないと僕は考えています。そのresourceが少しでも僕とその生徒との間に残るのであれば、それは僕が手加減をしているのであり、「人のことの方を大切にする」という不正に手を染めているのだと思っています。

だからこそ、僕は生徒たちに嫌われるように、というつもりはないものの(不信や疑いはまた、彼ら彼女らに鍛えるべきものを伝えることを阻害します)、しかし、何一つ残さないように、塾へと通わなくなったその日から、塾に二度と足を踏み入れようと思わなくなるぐらいに鍛えるべきところを鍛えたい、と思って接し続けてきました。それはまた、今もそうです。彼ら彼女らに僕が愛されることや尊敬されることは、彼ら彼女らにとって必要のないことである以上、僕にとっても意味のないことであるのだと思います。

そのように必死に取り組んできた結果として、それでも卒塾生が遊びに来てくれたり、今回のように会ってみんなで話す機会を作ってくれる、ということは本当に望外の幸せでした(もちろん、僕の取り組み方がまだまだ甘くて卑怯なのかもしれませんが)。

相手との共感や同情は、相手とは違う自分を伝えるためのresourceであるのだと思っています。子どもたちにそのような勇気をもって生きてもらえるような力をつけていくためには、僕自身がまず、孤独に苛まされながらも相手の為を思いやらなねばならないと思っています。逃げたくなる瞬間ばかりではあるのですが、緩まず、阿(おもね)ずにしっかりと取り組んでいきたいと思います。
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