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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

反転授業のためにタブレットを配る前に。

最近定着しているのか、下火になっているのかはよくわかりませんが、反転授業という概念自体は
以前より浸透しているのだと思います。しかし、反転授業はタブレットを配って動画を見ることではありません。
「自分で学習し、わからないことを教師に持ち寄って教えてもらう。」というのなら、学校で
数学や算数の教科書の解答と解説を配る方が、はるかに低予算で効果的に生徒たちが勉強できると思います。
これを(もちろん教科書ガイドという抜け道はあるものの)長年やらずに放置している時点で、学校には本当には教育をする気などない、と僕は思っています。(「教科書の答えを配れば、皆が授業を聞かなくなる」という批判は的外れです。なぜなら、学校は授業を聞くために行く場所ではなく、勉強を身につけるために行く場所であるからです。授業を聞かなくても、家で教科書を読み、問題を解き、そこで力がつくことの方が、50分間黙って講義を聞いては人生の貴重な時間を無駄使いするよりもはるかに勉強が身につく、と言えるのではないでしょうか。また受動的な講義の聴取よりは、自らが読み、問題を解き、というプロセスの方がはるかに勉強になることは誰でも経験したことのある真理であると思います。教科書の解答を配らない唯一の合理的な理由は、粛々と内容のない講義をする先生の権威に挑戦する生徒を生み出さない、という従順な人間をつくるための馴致のためでしかないと思います。)

そういう基礎的な部分こそ、家でやってくればよい、あるいは嚮心塾のように数学の時間に一人一人のペースで読んでは解き進めてもらって、わからないところを数学の先生に手を上げて聞く方式にすれば、もっとはるかに学習効果が高いと思います。
もちろん、現学年の教科書がどうしてもわからない子は、前の学年から遡っていったり、さらに高校範囲の前に中学範囲に遡って、さらには中学範囲の前に小学範囲へとどんどん遡っていけば、なおいっそう効果的です。しかし、そのように広い範囲の全てを教えることを高校や中学、小学校の先生に要求するのは難しいでしょう。逆に、先に進んで次の学年や学校の範囲をやることが適切である子についても、それが言えます。そういった子には学習塾を薦めるなり、あるいは学校の先生が課外で補習をするなり、ということをしていければよいと思います。

「学習塾は家計に厳しい」ということから、学校の先生からは敵視あるいは贅沢品として見られがちなわけですが、学校での教育にも当然多大な税金をかけているわけで、小中高と学校がまるまる学習効果が極めて低い現在の状況、というのは学習塾や予備校にかかっているお金以上に、はるかに巨額な税金を無駄に使っているのだと思います。学校の予算を削り、その何%かでも学習塾の補助をしていただけると、学習塾も家計も助かるのですが、問題はなぜ現在の学校教育がこれだけ無駄が多いか、ということであるのだと思います。

ということで、せめて解答くらい配りましょうよ。それでサボる子よりはそれで勉強できる子の方が圧倒的に多いのですから。それでサボる子はそもそも、授業だって聞かないと思いますし。

嚮心塾はタブレットとの配布とか、見当はずれな方向へと教育予算が使われている間にも、反転授業のメソッドをもっともっと鍛え抜き、その限界を洗い出しては対策を考えていきたいと思います。文部科学省の皆さんも、いつでも聞きに来ていただけたら。

(念のために書いておくと、もちろん僕も「全ての講義が無意味である」とは全く思っていません。所詮、本と教科書を使って自分で勉強するものなど、自分が予想する、あるいは本が提供してくれる貧弱な内容しか身につかないものです。それらの内容が有機的につながっている素晴らしい講義は、確かに講義を聞くことで感銘を受け、そもそも勉強する動機へとなりうる可能性をもった不可欠なものです。しかし、今の小中高大でそれができているか、という問題であるのです。たとえば、教科書レベルの基礎的な内容は反転授業形式にして、どんどん進めていく方がかえってそのようなinspiringな授業に先生方も取り組めるのではないでしょうか。教科書の内容も初めて聞く生徒ばかりの中で、教科書の棒読みのような授業をせざるを得ない状況で、さらにそのようにinspiringな講義をすることを求めること自体が大きな矛盾であると思います。講義には講義の形式でしかできないことが確実にありますが、少なくとも現在の小中高大は、それが可能な場所にはなっていない、と言えるのではないでしょうか。)
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