嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

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センター試験初日に。

昨日までの嵐のような忙しさから一転して、今まさにセンター試験に取り組んでいる受験生が大きく失敗しないことを祈る時間を過ごしています(もちろん、塾で中学受験生や高校受験生を教えながらですが)。
一人一人の塾生に細かいところまで確認作業をしてきたつもりですが、
それでも想定外のことが起きるのが、入試本番というものです。その意味で、すべてを想定内のこととして、
大過なく終われる受験生というのはごくわずかなのではないでしょうか。
万全を尽くした準備を、と教えつつも、それを裏切ってくる思いもかけない様々なトラブルの数々に毎年毎年改めて驚かされます。

しかし、想定外のトラブルがでてきたときこそが、自身の人間としての力が問われる時であるのです。
予期せぬ失敗をしたときに、そこで悲観して手や頭を働かせるのを止めてしまうのか、それともそこで歯を食いしばり、勇気を振り絞って次の問題に立ち向かうのか、その姿勢の違いこそが、結果を大きく左右します。
その意味で、前回に書いたように絶望的な状況に直面したとしても、そこで絶望するかどうかは自由であるのです。少なくともどのような絶望的な状況というものであっても、それによって自身が絶望しなければならない、という論理的帰結を導きません。結果はどうであれ、その最後まで考え抜き、最後まで考えぬく姿勢を、塾生に限らず
厳しい受験を戦う若い世代にはなんとか頑張って貫いて欲しいと思っています。

徹底的に準備をすることは、その準備の徹底の「外」にあるものに対して、心の準備を作ります。
内包の探求が外界への準備となるように。あるいは、ソクラテスの「哲学とは死ぬための準備である。」という言葉も、「生(せい)」という内部の徹底(としての哲学)こそが「死」という外界への準備となる、ということを伝えたかったのかもしれません。逆に言えば、外部からの暴力的な邂逅の可能性のない世界は、人間にとって絶望でしかないのでしょう。そこには、外部との出会いによって大きく変わる自分というものはありえないからです。

ともあれ、そのような外部に必死に立ち向かう受験生を、今日明日と、さらにはこの先、受験が終わるまで
こちらも必死に支えていきたいと思います。



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