嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

将棋の王座戦第五局について

違うのです。本当は、左派リフレ派が何で存在しにくいのか、という話を、昨日の朝日新聞に載っていたポール・クルーグマンのコラムを手がかりに「正義感」というキーワードで書いてみようと思っていたのですが、その前に、一昨日の将棋の王座戦第五局の棋譜を見ていて、あまりに感動してしまったので、このエントリーを書いています。(僕は将棋は本当にそんなに強くないので、あくまで勝手な解釈です。あと、その左派リフレ派を阻むものについてはまた近々書きます。)

まずはこの局の棋譜をどうぞ。このリンク先から読めます。

この王座戦第五局は羽生王座と豊島さんの共に二勝二敗で迎えたのですが、その最終盤、タイトルを守る立場である羽生さんの135手目、「8二同龍」が本当にすごい手でした。その後紆余曲折があって、結果最後は羽生さんが勝利して防衛したわけですが、この前の豊島さんの8二銀が、「12時間近く戦い抜いた末に少し劣勢になりつつも、まだ粘るぞ!」という覚悟を決めた手であり、その執念に感動しただけに、それに対しての次の8二龍は何というか、「羽生さんという第一人者が、しかしまだこの先へと踏み込むのか…。」というさらなる感動を覚えました。もちろん、この手に関して周りのプロの方々にもその8二龍という手で最後まで寄せきれると見えていなかったのに、羽生さんは見えていて指した、ということも恐るべき事です。しかし、僕がもっと恐ろしいと思うのは、羽生さん自身がその8二龍以降を寄せきれるかどうか完全には見えていなかったのに、そちらに踏み込んだ、ということです。実際にこのあとの9一銀打は局後に「敗着になっていたかもしれない間違い」とご自身で認めておられます。もちろん、そこからその9一銀を補うかのような絶妙な打ち回しで勝利をつかむわけですが、タイトルのかかった最終局で、12時間コツコツ少しでも優位を築こうとねじりあう展開の中で、しかもその長いねじりあいの中で自分が優勢を築きつつある中で、さらに険しい道へと踏み込む、しかも局面が難解すぎて最後の寄せまで完璧に見えているわけではないのに踏み込む、というこの姿勢は、たとえこの踏み込みが正しかろうと間違っていようと、大きなショックを相手の豊島さんに与えたことは事実であると思います。

僕なんか将棋に関して本当にど素人もいいところなわけですが、このように天才中の天才(そもそもプロ棋士であるだけで、東大理三生など及びもつかない天才です。一年間にたった4人しかプロになれないわけですから。その中でも羽生さんは歴史に残る大天才です)である羽生さんが、しかしあの緊迫した状況でさらなる未開の道に踏み込むという姿勢に本当に心打たれました。心から感動し、何というか、元気が湧いてきました。

私たちが厳しい現実を目の前にして、勝手に諦めてしまう前に、まだまだ様々な可能性があるはずであるのです。「この先には道がない」とおもっているところに、道があるかもしれません。そこを最後まで諦めずに懸命に模索し続けなければならないという事実を、この羽生さんの指し手から改めて教えられたように思っています。本当にありがとうございました。
まだまだ頑張っていきたいと思います。

その後、新聞で豊島さんの感想を読みました。「羽生先生は難解を楽しむかのようだった。」というお話をされていました。「難解(さ)を楽しむ。」その表現が出てくる以上、今でも極めて強い豊島さんはきっともっと強くなられると思いました。

私たちは、難解さを楽しめているでしょうか。人生をかけた大舞台で、難解さを楽しめるように、一つ一つ険しい道を選んでいるでしょうか。

塾という仕事も、勉強だけを教えているだけならまだしも、一人一人の人生に向き合えば向き合うほどに、難解さばかりが増していく訳ですが、それを楽しめるように、日々精進していきたいと思います。

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