嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

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ブログを書く意味について。

最近、「ブログをもっと頻繁に書こう!」と決意しては、二日に一度は書いています。(どくんごの感想のように何回も下書きをしたものを除いては)どれもたいてい30分から1時間くらいで書いているので、だいぶ論理展開に粗があって、どこかで直したいとは思っているのですが、まあ、それはまた機会を得たときでよいでしょう。ともあれ、僕が日々感じていること、考えていることの一端を、少しでもこのブログに残していけたらと思っています。

それは何も僕の余命が短いなどという理由ではなく、そもそも塾のホームページをもっていない嚮心塾にとっては、このブログこそが生命線であるからです。生命線というのは、営業のためということではなく、むしろ逆です。嚮心塾は合格実績だけをとれば、そこそこ結果を残している方の塾だと思います。もちろん、「奇跡的な」とか「全員合格」ということは、なし得ていないわけで、そこは毎年本当に悔しいし、少しでもより良くしたいところではあるわけですが、それでも周りから見れば、少しは「異常な」ぐらいの良さになると思います。しかし、そこは嚮心塾の本質ではありません。

言い方を変えれば、単純に合格実績だけを上げるのであれば、もっとやれることは山ほどあります。それはすなわち、塾に通っている子の中で、努力をしていてかつそもそも勉強がそこそこ進んでいる子に僕の指導を全力で注ぎ、勉強がそもそも嫌い、あるいはやる気があっても現段階で既に大分遅れている子に対しては適当にやれば、合格実績はもっと飛躍的に上がるでしょう。そして、これは実際にほとんどの学習塾や予備校でやっていることです。

しかし、嚮心塾では一切、そのようなことをしていません。端的にいえば、状況によっては、必死に頑張っていて東大や医学部にあと少しで合格する子の質問に答えることを後回しにしては、塾に来ても勉強する気がなくすぐ居眠りしてしまう子を起こす時間や、「それだとこういうふうに困るよ。」と何回も説明する時間をとっている、ということです。
もちろん、僕だって頑張っている子の力にこそなりたいですし、特にここからの受験直前の時期は、そのようなことで時間や手間が取られ、一生懸命勉強している子の質問や相談に乗れる時間が削られてしまうことを本当に悔しく思います。しかし、僕がそのようになかなか勉強に対してやる気になれない子達を見捨てることは、実はやる気になれない子達にとってだけではなく、そこで必死に受験勉強をしている子達にとっても良くない影響を与えてしまう、と思っています。

それはどういうことかといえば、受験勉強を頑張るのは、他の誰かの為ではなく根本的には自分の為です。将来の自分の利益の為に、現在の犠牲を払っているだけです。なぜなら、ここはそのような努力が非常に「お得な」社会であり、18や19くらいのどこの大学に入ったか、ということが一生付いて回る再チャレンジしにくい社会であるからです。そのような構造に気づき、あるいは親に叩き込まれてそのように努力をする子達は、利にさとい、百歩譲って、「賢い」子達であっても、その努力は所詮自分の為であり、それ自体は何らほめるべきことではありません。ただ、大人というのはどうしてもその勉強の必要性を子供に説き疲れているので、自分から勉強をする子を「偉い」とついつい褒めてしまいます。そこで、その子達にとっては大きな勘違いが生まれてくる訳です。努力している自分たちが、努力をしない人々に足を引っ張られるのは、おかしい。などなどですね。よく、エリートっぽい人たちが言いそうなことです。しかし、自分が利益を得る為に努力しているのは、別に自分の為であって、そこに何らかの言挙げすべき道徳感などないでしょう。そこを子供達に勘違いさせてはなりません。

さらには、そのような「なぜ目の前の目標に対して頑張らないのかわからない」と努力をする子達が馬鹿にするその対象の子達のような状態に、馬鹿にしている側の子達もまた、容易に陥る可能性があるのです。人間は誰しも弱いし、ちょっと足を踏み外せば、とたんに逆の立場に転落することもあるでしょう。その自分の中にもある弱い自分を認めることができるかどうかが、人間性への一人一人の理解を深める為には必要なことです。それがなければ、極めて薄っぺらな人間観しかもちえず、同類の人間としかつきあえないでしょう。

だからこそ、嚮心塾は、どちらの子をも大切にしたいと思っています。徹底的に鍛えるアスリートのような受験生も、リハビリのように少しずつ頭を動かす生徒にも、そのどちらの努力も尊いことを伝えたいと思っています。それがこの社会を分断させない、ということです。そのためにも、合格実績だけを追い求めて最適化する、という方向を今までもとっていませんし、これからも決してとらないでしょう。その結果塾がつぶれるのなら、それはそれで仕方のないことです。

という塾なのだ、ということを理解して納得した上で入っていただきたいと思っているのですが、あまりブログを書かないでいると、この「ちょっと変わった塾」ということがあまり伝わらないままになってしまうと思って、ブログの更新頻度を上げようと思った次第です。

まあ、それだけ覚悟してやっていても、勉強が嫌いな子ほど、こちらのどのような働きかけにもなかなか応えてもらえず、親御さんがしびれを切らして辞めていく、ということが多いのです。正直、塾業界でそのように学習に困っている子を本気でなんとかしようとしている塾など、ごくわずかしか存在しないのでは、と思います(そこをメインターゲットにしている塾だけですよね。しかし、それはそれで逆にコストがかかる塾が多いと思います。なぜなら、勉強が苦手な子を教えるというのは、非常に手間のかかるものであるからです。嚮心塾のような月額でそれをやろう、というのはかなり経営的にもアホなことであるのだと思います。まあ、絶対やめませんが。)。

このブログは僕の中高の頃の同級生もたまに読んでくれている人もいるみたいですが、僕はぶっちゃけあの開成という学校があまり好きではありませんでした。深く考えて生きてもいないのに、勉強やスポーツ、運動会や文化祭、という見えやすい目標で他人を評価する感じと言いますか、その評価基準の薄っぺらさに辟易していたところがあります。もちろん、その薄っぺらさを自分では真っ向からは否定できず、その薄っぺらさに苦しんでは「劣等生」扱いされていくようなごく一部の同級生ほどの勇気もなく、結局勉強やスポーツを努力して結果を出してしまう自分の信念のなさも含めて、とても苦い思い出です。もちろん、自分の為に努力できない人間に他人の為の努力ができるかといえば、それは難しいでしょう。しかし、自分の為の努力は、人間として賞賛すべき努力の必要条件ではあっても決して十分条件ではありません。しかし、そんな当たり前のことすら、なかなかにわかっていない子供達が、ということは即ち、大人達も多いように思います。去年の受験生で、本当に誰よりも努力していた子が、「自分の為に努力するのは当たり前」ということを自身の努力を褒められた際に(謙遜ではなく、むしろそんなことを何故褒められるのか困惑した様子で)言ってくれていました。そのように感じられる子達の力にこそ、どこまでも、いつまでもなるための塾でなければならないと思っています。その子は塾の力が足りず、残念ながら第一志望に合格することはできなかったのですが、しかし、その気持ちと姿勢を忘れないでいる以上は、ここからの努力で必ず一流になれると思っています。

話が飛びすぎましたね。
ともあれ、ここからの受験本番で、このペースを守れるかはわかりませんが、多少ペースは落ちても、何とか書き続けていきたいと思います。
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