嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

『風立ちぬ』と『ドクトル・ジバゴ』

昨日のブログを書いた後、買っておいた『風立ちぬ』のDVDを見ましたが、去年映画館で見て以来一年ぶりに見たというのに相変わらずボロボロ泣いて、下の子にも「何でそんなに泣いてるの?」と聞かれる始末でした。しかし、(ボロボロ泣きながらも)二回目に見てようやく、「そうか!これはデイヴィッド・リーン監督の『ドクトル・ジバゴ』と同じなんだな!」と気づき、その共通点をブログに書こうと思って、まてよ、その指摘を誰か先にしている人はいないかな、とちょっと検索してみたら…何と、ジョン・ラセターが先にしていました。。また、宮崎駿さん自身も作りながら、そう思っていたそうです。さすが、巨匠ジョン・ラセター!僕と同じ意見にたどり着いていたとは、なかなかやります(本当すみません)。

もちろん、『ドクトル・ジバゴ』のラストシーンのあのバラライカが、懸命に生きて懸命に人を愛して、それでも報われないジバゴの人生を、「それでも何かは残っていくのではないか」と感じさせる素晴らしい(がきわめて厳しい。あれを「希望」ととれるのは、自分の人生が何も残せないことを覚悟しながらも日々苦しみ戦っている人だけでしょう)ラストになっているのと比べると、『風立ちぬ』はファンタジーを活かしている分だけ、解釈の逃げ場のあるラストではあるのでしょうが、それでも素晴らしいことには変わりません。

ということで、『風立ちぬ』に感動した人は是非、『ドクトル・ジバゴ』も(長いですが)映画で見てみるとよいかと思います。

一人の人間の努力など、どんな天才であろうと、時代の荒波の前には無力でしかありません。それは、堀越二郎であろうと、ドクトル・ジバゴであろうと、あるいは凡百の我々にとってはなおさらそうであるのです。しかし、それでも、懸命に取り組んだ何かは、どのような形でかはわからないとしても、あるいはそもそもそれがその人によって残された何かだと、後の人々は知らないままであろうと、何かほんの少しは残るかも知れません。そのような、残酷にしか終わりえない自分の人生を、どこまで愛せるかが人としての価値を決めるのだと思っています。
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