嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

通信第12号

言葉の不完全さに逃げ込んで言葉を発しなくなるのでは、やはりだめなのです。ただ、言葉の不完全さに逃げ込んで言葉を発しなくなる人々の多くは、言葉が不完全であるとは思っていない人々に痛めつけられたという苦い経験の末にそうなっているのではないでしょうか。


第12回 カステラは好きですか。

 さて、今回のお題は、「カステラは好きですか。」です。では、さっそく聞いてみましょう。好きな人!……はい、なるほど、わかりました。結構多いですね。

 でも、ちょっと待ってください。僕はこういう風に聞かれると困るのです。たとえば袋詰めのミニカステラとかを食べると口の中がぱさぱさして甘ったるくて気持ち悪くなるのですが、長崎にあるカステラの名店、福砂屋さんのカステラを食べると、「何ておいしいお菓子なんだ!」と感動すら覚えます。このような僕は、「カステラは好きですか。」という問いにどのように答えたらよいのでしょうか。たとえば、「福砂屋のカステラは好きだけど、他のカステラは嫌いです。」というような答え方しかできません。
 僕たちが何を「カステラ」と呼ぶかというときに、「卵や砂糖を原料とする外は焦げ茶色、中は黄色のあの焼き菓子」というところまでは共通の理解があるにせよ、それを好きかどうか、といわれても製法も原料もそれぞれ違うでしょうし、同じレシピでも熟練の職人さんと機械とでも違うでしょうし、何とも答えられません。その何とも答えられない問いに対して無理に答えなければならないことが多すぎる、と思うのです。「カステラによる」とでも答えるしかないではありませんか。
 
 これに関連して、先日東京で放映されたテレビ東京系列の『たけしの誰でもピカソ』を見ていて同じようなことを感じました。「芸人はこうあるべきだ!」という熱い主張の場があったのですが、それを見ていて感心したのは、ビートたけしさんが劇団ひとり(若手芸人さんの名前です)さんの「芸人は幸せなんか感じちゃだめだ。温かい家庭があるやつなんかに人を笑わせられるか。だから芸人の結婚を禁止しよう!」という(なかなか鋭い)主張に対し、「俺は好き勝手やってきた。それを許してくれる俺のかみさんはすごい。」ということから、「芸人は結婚すべきか」という問いに対して、「かみさん(奥さん)による。」(奥さんによって結婚すべきだったりすべきでなかったりする)と答えていました。次に、島田洋七さんが「最近の若手芸人は芸をきわめる前に本を出して有名になろうとする。そのせいで芸も中途半端になる。だから、芸人として大成するまで本を出すのを禁止にしよう。」と、これまた真っ当な主張をされていました。それに対して先述の劇団ひとりさん(彼の書いた小説はベストセラーになっています)が、「僕は自分のネタの世界をふくらませたらそれが物語になり、小説になったんです。」と言い、洋七さんも「そういう本はいい」と認めたやりとりを引き取って、今田耕司さんが、「若手芸人は本を出してはならないか」という問いに対して「本による」(出す本の内容によってよいか悪いかがわかれる。ただ一時的な人気に乗じたものではなく、自分の芸を磨くその延長線上ならいいということ。)とまとめていました。このまとめ方で大きく笑いをとったのも、たけしさん、今田耕司さんのみごとな手腕だったのですが、それにもましてその笑いを誘った彼らの出した結論は、まじめな問題意識からはじまったはずでも硬直化した議論に対する鮮やかな批判として、とても印象深かったのです。
 これを応用して、私たちも「国を愛する心を持つべきだ」と言われたら、「国による」(愛するに値いする国なら愛するべきだし、そうでないなら愛さないべきだ)と答えるのがよいかもしれません。子供が親に「親をもっと敬え。」と言われたら、「親による」(尊敬したいような親なら敬うし、そうでないなら敬わない)と答えればよいし、逆に親が子供に「もっと子供を大切にしろ」と言われたら、「子供による」(大切にしたくなるような子供なら大切にするし、そうでなければ大切にしない)と答えればよいでしょう。「先生の言うことはちゃんと聞け。」というのも、「先生による」(その言うことをちゃんと聞きたいと思えるような先生なら聞くし、そうでなければ聞かない)と答えれば良いですね。逆に生徒(やその親)が先生に「もっと私を(うちの子供を)大切にしてください」と言われたら、先生も「子供による」(大切にしてあげたくなるような子供なら大切にするし、そうでなければしない)と答えてもいいかもしれません。「上司の命令に従え!」などは「上司による」「命令による」などと二つも吟味するポイントがありますし、「私は勉強していい大学に入れば幸せになれますか」という質問に至っては、「私による」(私がどんな人間か)、「勉強による」(何を勉強するのか)、「『いい』による」(どんな大学が良いのか)、「大学による」(どの大学に行くのか)、「幸せによる」(何を幸せとするのか)など、つっこみどころが満載で、質問としてどうにも答えようがないでしょう。
 
 しかし、このような答え方がいくら正しいからと言って、この答えで満足する人は少ないこともまた考え合わせねばなりません。それには私たちが何かについて早く判断を確定してしまいたい、確定してしまう方が不安にならないで済む、という原因があるようです。「子は親を敬うものだ。」「生徒は先生を敬うものだ。」ということが実現していると信じないと、不安で仕方がないのでしょう。たとえば、自分の今までに出会った外国の人がたまたま5人連続で意地の悪い人だったとき、「○○人はろくな奴がいない。」と決めつけてしまえば、次に出会うその国の人に対して自分の対応をもう準備した状態で接することができるのです。しかしそれは、「6人目の○○人」としてではなく、「1人目のその人自身」として現れる相手にとっては、不可解な暴力にしかならないことになります。
 このような愚かしさは、判断する主体としての自分が目の前の相手に対して本当にひどい接し方やふるまいあるいはそのような過去を持っていないかどうかを反省することなく、「私は5人の○○人にあったがそれは全部意地の悪い人だった。」という体験を、たとえば歴史的事実よりも支配的な観点にしてしまうことから起こります。ほとんどの人にとって直接体験は、本で読んだりましてや教科書で習う内容よりもヴィヴィッドであるために、直接体験の原因が自分の直接体験していない過去の事実の中にこそあるとしても、自分の中での体験に重きを置いて、直接体験を自らを支える支配的な見方にしてしまうのです。それは、「5日晴れが続いたから、明日も晴れるだろう。」と予測することに似ています。しかし、最近5日間晴れが続いたのはその前の日に大雨が1日中降り続いたせいであるかもしれないのです。そして、最近5日間晴れが続いたことが、まさに明日雨が降る原因になる方がむしろ可能性としては高いのかもしれません。
 自分の小さな体験を固定化して信じることから、この世界の複雑な現実を類推しようとするこの人間の愚かしさは、別に非科学的なものではありません。むしろ、科学(science)というものそれ自体が、「科」という「葦の随」から天井をのぞくことになっていることも反省しなければなりません。

 「カステラは好きですか。」と聞いたのに、「カステラによる」と言われて、「何て不真面目な答えをするんだ、こいつは!」と腹をたててしまうまじめな方も、腹を立てる前にちょっと立ち止まって考えて、「この人は『カステラ』という定義で何らかの質をくくることが困難であると感じるほどに、与えられた言葉の枠組みでは自分の感じ続けている質を表現しえないことに悩んでいる人かもしれない。なるほど、このような乱暴なくくり方で聞いてしまって悪いことをしたな。」と冷静になれるとよいでしょう。
 逆のことも大切です。何を聞かれても「微妙。」としか答えない最近の若い人は、そのように自分が乱暴な言葉で複雑な現実を表すことを放棄しているという自分の無責任さを大いに反省してもらいたいと思います。現実は複雑なのですから、微妙なのは、当たり前です。いくら決めつけられることがいやだからと言って、そうやって「微妙。」「微妙。」と表現することから逃げていれば、結局場に対して責任をとろうとする側の人間は貴方のことを決めつけて判断するしかなくなるのです。頭の固い人間を嘆く前に、自分の無責任な態度がそのように頭の固い大人を作り出すことに加担していないかどうかを、もっと真剣に反省する必要があると思います。

 どうにも形にしようのないものを、どうにか形にしていきながらも、その形の不完全さを常に申し訳なく思い続けながらコミュニケーションをとっていくことこそが「対話」であると思います。「カステラは好きですか」という質問も、その質問を口火として始まる長い長い対話の一つのきっかけとして発せられるのであれば、それは意味があるのです。問題はその「カステラは好きですか」という質問が、コミュニケーションをとるためではなく、この枠以外のコミュニケーションを拒絶するため、すなわち本当のコミュニケーションを拒絶するための儀式として用いられてしまうということであるのです。新聞の世論調査、あるいは選挙ですら、僕にはそのような巧妙な「コミュニケーションの拒絶」の一つであるように思えてしまいます。
 「カステラは好きですか。」「はい」程度のやりとりを「コミュニケーション」と呼んでしまってはいないか、またはその程度のやりとりを「テスト」と呼んでしまってはいないか。私たちは反省していかねばならないと思います。
      2007年2月4日
関連記事

このエントリーをはてなブックマークに追加
PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する