嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

2014受験を振り返って(その3)

H・M君(都立立川高3)     首都大学東京都市教養学部人文学科合格
 「後悔先に立たず。」自分の受験生生活を振り返ったとき、この言葉が一番当てはまると思った。何の後悔か、と問われても私は明確にこれといったものを示せない。受験校の選択、入試直前の追い込み、あるいは自分のこれまでの人生までひたすら後悔した。私はMARCHも早慶も一橋も落ち、後期の首都大学東京に受かったが、合格を知った時、喜びは自分でも驚くほどあっさりと私の中から消え去った。「これはお前の望んだ結果か?」というささやきが聞こえた気がした。
 私は自分が努力家であると思う。事実、高2のころから学校が終わったら塾に来て勉強していた。高3の時は言うまでもなく、現役の高3の中でも勉強時間は多かったはずだ。嚮心塾の形態上、「サボり」が多いことを危惧する人は多いが、それは結局学ぶ人に依り、現に私はサボらなかった。また、私は頭が良い方だと思う。高校受験を経た人は分かるかも知れないが、都立自校作成校(都立の上位校)にも受かっている。高校でもぎりぎり上位には入っていた。昨今の学生間では容易に「天才」が作られるが、私もその「天才」の枠には入っているだろう。
 ここまでこの文章を読んでくれた人は「ネガティブ」と「ナルシスト」という相反する印象を受けるかもしれない。実際、その印象は当たっている。私は常に自分を卑下しながら、内申では人より高みにいると考えていた。「君には劣るよ」と言いながら「国語の点数は俺の方が上だ。」と考えていた。「受験、厳しいなー」と言いながら「MARCHくらいならうかるでしょ」と私は考えていたのだろう。
「受験を舐めていた。」ありふれた言葉だが、これが私の感想であり、伝えたいことだ。猿も木から落ちるし、河童の川流れは起こるものだ。猿や河童が受験を前にした私の後輩やベテラン塾講師かも知れないと皆さんに忠告し、何より猿や河童であった過去の私をこれからの戒めとすることで、私は反省を終えようと思う。


T・Y君(桐朋高)      横浜国立大学経済学部合格
 高1の最後に文理分けをするまでは、好奇心から全ての教科を納得のいくところまで完璧にこなしてきました。しかし、受験に使用する科目を選択することになったときに、今までの勉強を否定されたように感じてしまいました。今思うと、評価を伴わない努力を無駄である、と感じるところに自分の弱さがあるのだと思います。その後は、受験勉強と今までの勉強への姿勢との違和感から勉強に興味が無くなり、ほとんど勉強をしなくなりました。高3の夏頃になって、受験勉強をしないでクラスにいる居心地の悪さから、勉強を始めました。やってみると、2年のブランクがあるわりには、意外にできることに気づき、「半年で京大あたりに受かったら、すごいんじゃね」と考えて、本気で勉強を始めました。7,8月で基本的なことを一通り終えると、「後は自分でできる」と勝手に考えて、嚮心塾にも通わなくなりました。ここからかなり伸びた自信はありますが、結局京大には落ちました。落ちたときは、プライドを守るためだけに受験をしてきた自分には何も残っていませんでした。その後、「浪人か進学か」というよりも「どのような姿勢で浪人すべきか」ということに悩み続けているとき、ある友達の話を聞きました。彼は、一橋に下げればほぼ合格できるが、東大だと五分位の学力をもっており、やりたい学部が東大にあるため東大を受験し、落ちた後は、すぐに後期に受けた横国へ進学することを決めていました。自分よりも優秀な人間が、第二志望の学校への進学を明確な目標をもって即決しているのを知ったとき、はじめて友達との(勉強やスポーツがどんなにできる友達にも感じたことのない)「差」を感じました。そして、大学名と将来の安定のためにもう一度受験する自分がむなしくなり、これが絶対に越えなければいけない壁ではない、と思い、進学を決めました。
 受験をしていると、勉強の目的が本質からずれていき、大学名という結果のみを求めてしまいがちです。そのまま合格すればいいのですが、落ちたときにはそういう人には何も残ってなく、むしろ努力をしたのにも関わらず自己否定に向かってしまいます。(そして、それは努力の量が多ければ多いほどにです。)今、受験に向かっている人達は、自分が落ちることなど少しも考えていないと思いますが、今のうちに受験への姿勢を考えておくのもいいことだと思います。
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