
何日か前に、努力をさぼる子への叱責の話を書きました。それくらいでやめておこうかとは思ったのですが、
僕自身についてもやはり苦い反省を込めて書かねば卑怯でしょう。僕自身も、小中高ときわめて努力をしない子でした。
勉強であれ、スポーツであれ、自分がやろうと思ったものに関しては努力をしなくてもある程度のレベルに達することは僕にとってきわめて容易でした。もちろん、それで勉強であれあるいはスポーツであれ学校内で満足するのではなく、全国レベル、あるいはワールドクラスを目指す、という選択肢をとらなかったのは、僕の井の中の蛙ぶりでしょう。しかし、中高生の頃の僕というのは、何を頑張っていいのかが本当にわからなくて、みんなが要求するものはたやすくできるけれども、しかし自分がそれをどこまでも追求する気にもなれない、というひねた子供でした。だからこそ、僕は(今では本当に恥ずかしいことだと反省しているのですが)努力をするふりをよくしていました。このブログを中高生時代の同級生がどこまで見ているかはわかりませんが、おそらく彼らの知る僕のイメージは「努力家」ということになっていると思います。しかし、僕は努力をしていませんでした。同級生に見えるところでは勉強をしたりしていましたが、それは彼らに「彼が勉強できるのは努力をしているからだ。」と納得してもらうためのものでしかありませんでした(実際に受験生になるまで、学校の休み時間くらいしか勉強していませんでした。帰宅してからは学校の勉強などする暇を惜しんで、本を読んでいました。)。これは部活についても、言えます。僕は中学に入ったときは運動ができなかったのですが、徐々にできるようになり、持久走に関しては学年でもトップ10に入るところまで行きました。これも、「自宅近くの公園で走る」などの努力をしたというように同級生には言ってきましたが、部活で走っているうちに、より良い足の筋肉の使い方、体重移動の仕方などの走り方がわかってきただけです。実際に自主的に部活以外で走ったのは、おそらく一度か二度しかなかったと思います。運動にせよ、勉強にせよ、それらの全体を自分がどのように認識しており、どのように認識とアウトプットにずれがあり、それをどのように修正していけば良いか、ということを考えるだけで方法を誰かに学ばずとも、できるようになりました。
もちろん、それらの「努力したふり」というのは何も嫌みでやっているのではなく、皆が努力してもできないのに自分が努力せずにできてしまう、という事実に対して、僕なりに悩んだ上での一つの結論でした。人に見せる努力をできる限りすることで、彼らが努力しようとする動機を削がないようにしたい、という配慮でした。(そのような不毛な配慮をすることなく、もっと高みを目指す、ということをなぜ目指さなかったかと言えば、僕はその方向にも可能性がないと絶望していたのです。それについてはまた近いうちに書きたいと思います。)
開成の同級生(もちろん東大の同級生も)がもつものですら、そのように「不自由な能力」にしか見えなかった僕にとって、教え始めてからは本当に衝撃でした。これほど目の前にある事実に気がつかないままに生きているのか、と。これほど努力を重ねては失敗することができるのか、と。
そして、目の前の生徒の問題を自分の問題としてとらえざるを得なくなったとき、それは、僕のちっぽけな優越感を打ち砕き続けました。誰かに劣ったと思ったことは、生まれてから一度もないし、おそらくこの先もそんなにないだろう。しかし、何だ、この無力感は。皆が自分の可能性を必死に信じて努力しているのに、それを努力しないでできる僕は、彼ら彼女らに何か手助けをできるかと言えば、何一つできていない。その意味では僕もまた単に「自分のことはできる」というだけで、彼ら、彼女らに対して少しでも何かが貢献できている訳ではない、という意味では無力に等しいのだ、と。努力が見殺しにされ、誠意が踏みにじられるような才能の違いという、この世界に存在する残酷なギャップを広げることには自分が寄与してしまっているとしても、そのギャップを乗り越えようと努力し続ける目の前の一人一人を少しも手助けすることができないではないか、というあの無力感、絶望感を僕は今も忘れることができません。それとともに、自分の能力に心なく依存し、努力をすることに目を背けては生きてきた自分の情けなさ、自分一人についてのことができるということで、それ以上の責任を担おうとしてこなかった自分の小児性についても。
あれから、20年近くが経ちました。あのときよりも、はるかに一人一人の受験生に様々なことができるようになってきたことは確かであるとはいえ、しかし、あのとき噛み締めた無力さを味あわずに済む年を僕はまだ一度も迎えたことがありません。今年の皆の懸命の努力も、明日からの前期試験の発表でそれぞれにとって一つの結果が出てきます。しかし、中には必死の努力にも関わらず、目的を果たせない受験生もいるでしょう。しかし、今の僕には、彼らを笑うことは、ほんの一部分たりとも、できません。なぜなら、それは、僕自身の無力さでもあるからです。
人間は無力であり、人間は自分に与えられた分を弁えずに多くを望んで努力しても、失望ばかりを得るのでしょう。僕は自分の社会的選抜に関しては、そのようなことを感じれなかったとしても、塾生一人一人の結果を自分の責任であると思うが故に、同じ無力さ、同じ失望を共有してきました。しかし、にも関わらず、人間は努力を止めません。だからこそ、人間は美しいのであると思います。それは、敗北を礼賛しては「奴隷の道徳」を強要することではなく、我々が決して打ち勝つことのできない各々の死に対して、どのように準備するかを教えてくれるからです。ソクラテスは「哲学とは、死ぬための準備だ。」と言いました。あるいは、ルソーは「人間達は、死ぬことを恐れて、生きることを忘れている。」と言いました。どのような競争に打ち勝とうと、最後には100%死ぬ我々にとって、敗北を恐れずに努力し続けることは、死を恐れずに生きることに通ずるのでしょう。
あの頃の僕に、その人間のジタバタの美しさを伝えてくれる大人たちが極めて少ないとしてもいてくれたことで、僕自身が
勘違いした人生を少しは送らずに済んでいるのかもしれません。僕も、塾生一人一人に、それを伝えていきたいと思います。明日からの結果がどうであれ、ですね。
僕自身についてもやはり苦い反省を込めて書かねば卑怯でしょう。僕自身も、小中高ときわめて努力をしない子でした。
勉強であれ、スポーツであれ、自分がやろうと思ったものに関しては努力をしなくてもある程度のレベルに達することは僕にとってきわめて容易でした。もちろん、それで勉強であれあるいはスポーツであれ学校内で満足するのではなく、全国レベル、あるいはワールドクラスを目指す、という選択肢をとらなかったのは、僕の井の中の蛙ぶりでしょう。しかし、中高生の頃の僕というのは、何を頑張っていいのかが本当にわからなくて、みんなが要求するものはたやすくできるけれども、しかし自分がそれをどこまでも追求する気にもなれない、というひねた子供でした。だからこそ、僕は(今では本当に恥ずかしいことだと反省しているのですが)努力をするふりをよくしていました。このブログを中高生時代の同級生がどこまで見ているかはわかりませんが、おそらく彼らの知る僕のイメージは「努力家」ということになっていると思います。しかし、僕は努力をしていませんでした。同級生に見えるところでは勉強をしたりしていましたが、それは彼らに「彼が勉強できるのは努力をしているからだ。」と納得してもらうためのものでしかありませんでした(実際に受験生になるまで、学校の休み時間くらいしか勉強していませんでした。帰宅してからは学校の勉強などする暇を惜しんで、本を読んでいました。)。これは部活についても、言えます。僕は中学に入ったときは運動ができなかったのですが、徐々にできるようになり、持久走に関しては学年でもトップ10に入るところまで行きました。これも、「自宅近くの公園で走る」などの努力をしたというように同級生には言ってきましたが、部活で走っているうちに、より良い足の筋肉の使い方、体重移動の仕方などの走り方がわかってきただけです。実際に自主的に部活以外で走ったのは、おそらく一度か二度しかなかったと思います。運動にせよ、勉強にせよ、それらの全体を自分がどのように認識しており、どのように認識とアウトプットにずれがあり、それをどのように修正していけば良いか、ということを考えるだけで方法を誰かに学ばずとも、できるようになりました。
もちろん、それらの「努力したふり」というのは何も嫌みでやっているのではなく、皆が努力してもできないのに自分が努力せずにできてしまう、という事実に対して、僕なりに悩んだ上での一つの結論でした。人に見せる努力をできる限りすることで、彼らが努力しようとする動機を削がないようにしたい、という配慮でした。(そのような不毛な配慮をすることなく、もっと高みを目指す、ということをなぜ目指さなかったかと言えば、僕はその方向にも可能性がないと絶望していたのです。それについてはまた近いうちに書きたいと思います。)
開成の同級生(もちろん東大の同級生も)がもつものですら、そのように「不自由な能力」にしか見えなかった僕にとって、教え始めてからは本当に衝撃でした。これほど目の前にある事実に気がつかないままに生きているのか、と。これほど努力を重ねては失敗することができるのか、と。
そして、目の前の生徒の問題を自分の問題としてとらえざるを得なくなったとき、それは、僕のちっぽけな優越感を打ち砕き続けました。誰かに劣ったと思ったことは、生まれてから一度もないし、おそらくこの先もそんなにないだろう。しかし、何だ、この無力感は。皆が自分の可能性を必死に信じて努力しているのに、それを努力しないでできる僕は、彼ら彼女らに何か手助けをできるかと言えば、何一つできていない。その意味では僕もまた単に「自分のことはできる」というだけで、彼ら、彼女らに対して少しでも何かが貢献できている訳ではない、という意味では無力に等しいのだ、と。努力が見殺しにされ、誠意が踏みにじられるような才能の違いという、この世界に存在する残酷なギャップを広げることには自分が寄与してしまっているとしても、そのギャップを乗り越えようと努力し続ける目の前の一人一人を少しも手助けすることができないではないか、というあの無力感、絶望感を僕は今も忘れることができません。それとともに、自分の能力に心なく依存し、努力をすることに目を背けては生きてきた自分の情けなさ、自分一人についてのことができるということで、それ以上の責任を担おうとしてこなかった自分の小児性についても。
あれから、20年近くが経ちました。あのときよりも、はるかに一人一人の受験生に様々なことができるようになってきたことは確かであるとはいえ、しかし、あのとき噛み締めた無力さを味あわずに済む年を僕はまだ一度も迎えたことがありません。今年の皆の懸命の努力も、明日からの前期試験の発表でそれぞれにとって一つの結果が出てきます。しかし、中には必死の努力にも関わらず、目的を果たせない受験生もいるでしょう。しかし、今の僕には、彼らを笑うことは、ほんの一部分たりとも、できません。なぜなら、それは、僕自身の無力さでもあるからです。
人間は無力であり、人間は自分に与えられた分を弁えずに多くを望んで努力しても、失望ばかりを得るのでしょう。僕は自分の社会的選抜に関しては、そのようなことを感じれなかったとしても、塾生一人一人の結果を自分の責任であると思うが故に、同じ無力さ、同じ失望を共有してきました。しかし、にも関わらず、人間は努力を止めません。だからこそ、人間は美しいのであると思います。それは、敗北を礼賛しては「奴隷の道徳」を強要することではなく、我々が決して打ち勝つことのできない各々の死に対して、どのように準備するかを教えてくれるからです。ソクラテスは「哲学とは、死ぬための準備だ。」と言いました。あるいは、ルソーは「人間達は、死ぬことを恐れて、生きることを忘れている。」と言いました。どのような競争に打ち勝とうと、最後には100%死ぬ我々にとって、敗北を恐れずに努力し続けることは、死を恐れずに生きることに通ずるのでしょう。
あの頃の僕に、その人間のジタバタの美しさを伝えてくれる大人たちが極めて少ないとしてもいてくれたことで、僕自身が
勘違いした人生を少しは送らずに済んでいるのかもしれません。僕も、塾生一人一人に、それを伝えていきたいと思います。明日からの結果がどうであれ、ですね。



