嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

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どくんごの感想追記:坂口安吾の『茶番に寄せて』と江頭2:50さんと道化の概念

ご無沙汰しております。塾はきわめて忙しいながらも、元気にやっております。

以前に劇団どくんごの公演を見た際に、どくんごの劇を拙い言葉でなんとか表現しようとしてみましたが、
坂口安吾の『茶番に寄せて』を読んでいる際に、これはどくんごの劇評としてぴったりなのではないか、と思うようなくだりを見つけたので、長くなりますが、ご紹介します。


(以下引用)
(前略)正しい道化は人間の存在自体が孕んでいる不合理や矛盾の肯定からはじまる。警視総監が泥棒であっても、それを否定し揶揄するのではなく、そのような不合理自体を、合理化しきれないゆえに、肯定し、丸呑みにし、笑いという豪華な魔術によって、有耶無耶のうちにそっくり昇天させようというのである。合理の世界が散々もてあました不合理を、もはや精根つきはてたので、突然不合理のまま丸呑みにして、笑いとばして了(しま)おうというわけである。
(中略)
だから道化は戦い敗れた合理精神が、完全に不合理を肯定したときである。即ち、合理精神の悪戦苦闘を経験したことのない超人と、合理精神の悪戦苦闘に疲れ乍らも決して休息を欲しない超人だけが、道化の笑いに鼻もひっかけずに済まされるのだ。道化はいつもその一歩手前のところまでは笑っていない。そこまでは合理の国で悪銭苦闘していたのである。突然ほうりだしたのだ。むしゃくしゃして、原料のまま、不合理を突き出したのである。
(以下略、引用ここまで)


まさに劇団どくんごの劇はこのような舞台であるがゆえに、われわれが存在し、必死に努力する毎日の悲しみとおかしみ、そして喜びを表していたのだと思います。それとともに、ナンセンスがナンセンスとして意味を持つためには、そこまでの懸命な意味を追求する努力がなければならない、ということをここまで明確にテーマ化できている文章があろうとは。坂口安吾のこの『茶番に寄せて』は、小品ながらすばらしい文章です。Kindleでも無料で読めるので、ぜひ読んでみていただけると嬉しいです。

ちなみに、この文章を塾で説明するときには芸人の江頭2:50さんのことを例に出しながら、「江頭さんがみんなを笑わせようと必死に努力しても全く笑わせることができず、切羽詰まってタイツを脱ぐ。そのとき、戦い破れた合理精神が非合理を丸ごと受け入れて、道化となり、笑いが生まれるのだ!あれは最初からタイツを脱いでも全く面白くないし、中途半端な努力で笑わせようとしてから途中で脱いでもダメだ。誰よりも必死に笑わせようとして、でも笑わせられず、切羽詰まってタイツを脱ぐから、大きな笑いが生まれるのだ!」と話しました。だいぶうまく説明できたと思ったのですが、「タイツを脱ぐ」ところばかりが、印象に残ってしまって、よく理解してもらえなかったかもしれません。まったく、合理精神というものは、戦い破れてばかりのようです。まあ、めげずに少しでも正しい説明へと漸近していきたいと思います。


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