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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

劇団どくんご『君の名は』東京公演の感想

「意味は無意味、無意味は意味。無意味は無意味で、意味は意味。」

先日、吉祥寺の井の頭公園で劇団どくんごの東京公演を見てきました。どくんご自体はそれこそ5,6年前から存在を知っていて、是非見に行きたいと思い続けていたのですが、子供が小さいこと、夜に野外でやること、公演地も遠くが多いことでなかなか見に行けないことが続いていました。ということで、最近多忙にかまけてチェックを忘れていたのですが、ひょんなことから井の頭公園でやっていることを知り、慌ててチケットを取り、(受験生を除いて)卒塾生でも演劇に興味ありそうな子には連絡して伝えたり、などしてようやく見ることができました。(佐々木敦さんのツイートで有名になったのか、予約は一杯で、キャンセル待ちのお客さんも多かったようです。)

劇は、本当に素晴らしかったです。感動と「また何回も見たい!」との思いで、この1,2週間は大変でした。塾さえなければ、どくんごを追っかけて、何回でも見たいと思いました。それ以上に、彼らがこの30年間もこういう芝居をずっと、それこそ手弁当で続けてきたという事実に僕は打たれました。これほど高密度の、これほど熱量の高い劇を作り込み、しかもそれが商業ベースに乗らなければ乗らないで、自分たちでバイトをしてでも公演を続けてきた、という事実の重みに、ただただ頭が下がる思いです。

既存の道に可能性がないのなら、自分で作ればよい。という思いをここまで当たり前のこととして取り組み続け、かといってそのように歩む自分たちの取り組みに酔うことなく徹底的に「質」を高めていくというこの劇団どくんごの姿勢に本当に心を打たれました。こう言うと何か、まじめで難しいように聞こえてしまいますが、笑えて楽しい劇なのです。実際、僕の子供達もげらげら笑っていました。だけれども、そこにかける作り込みのすごさ、さらにはその作り込み自体が全く押しつけがましくなく、「気付かないなら気付かないでよい」というスタンスを徹底しているその自然さ、何もかもが尋常ではない努力を感じさせられます。そして、同じような道を歩み続けようと思っている(演劇を、ということではありません。大多数の人々に理解されにくいとしても、大切なことは譲れないという仕事を、です)僕自身にとって、非常に励まされると共に、まだまだ自分の取り組みの中で独りよがりな部分、理解されない道で努力しているから、という理由で自分の努力を甘く評価しがちなその甘さに対しても深く反省させられました。自分の人生に苦闘し、頑張っている人には必見の劇だと思います(今度は名古屋公演、その後はだんだん西へと移動していくようです詳しくは、こちらから)。

と、ここで終えると自分が傷つかないで済むわけですが、「見たら感動して人にお薦めできるけど、どう良いかを人に説明するのがきわめて難しい」どくんごの劇の内容についても僕なりの解釈を書きたいと思います。もちろん、一度しか見てないので全てを汲み尽くせるわけは当然ないですし、「どくんごがこの時代に存在すること自体がそもそも意義があるのだ。」という外山恒一さんの解釈ももちろんきわめて正しいわけですが、かと言って内容について誰もがしゃべらなくなってしまうのは僕はやはりよくないと思うので、拙いながらも「どくんご試論」を書きたいと思います。

どくんごで見た劇を頭の中で反芻しているときに僕が強く思い出したのは、やはりシェークスピアの『マクベス』の魔女の台詞「Fair is foul, and foul is fair …」のくだりでした(この話はこのブログでも何回かしてますよね。ワンパターンですみません)。この言葉が我々を既成概念に縛られている日常から我々を自由にし、価値の転倒を引き起こす(そしてそれは、逆説的だがしかしきわめて正しい事実を表している)役割を担っているのだとしたら、一般の不条理劇というのは、「意味は無意味、無意味は意味」という姿勢で観客の価値観の動揺を引き起こし、そこによって日常の常識に凝り固まった偏見を疑わせる、ということを目的にしたものであると思います。
即ち、それは「メッセージ」というもの自体が本来持つ暴力性を暴くことに焦点を合わせたものではないでしょうか。
 
 しかし、どくんごの劇はそこで終わらない。様々なナンセンス、ひどく凝り固まっているがゆえに真剣に取り組んでいることが現実とずれ、そこにおかしみと悲しみとを体現する(この辺りはベルグソンの『笑い』にまさに通じるところです。あるいは江頭2:50さんの芸風とも。真剣だからこそ、そして、それが現実とずれているからこそ、そこに悲哀とユーモアが立ち上る。)人々の場面を描きながらも、観客は、やがて気付かされていきます。「あれ?これは、私たちなのではないか?」と。

先の言葉とつなげれば、「意味は無意味、無意味は意味。」だけでなく、その後に「無意味は無意味、意味は意味。」とつながっているのが、どくんごの劇だと思います。そこには「意味は無意味、無意味は意味。」とメッセージの暴力性を破壊した後に、(そのことから普通陥りがちな)「一切は無意味だ」と決めつけるニヒリズムを超えて、しかし、「無意味は無意味であり、意味は意味である。少なくとも私たちはその両者を選んで良いのだ」という自由を見せてくれます。

「自由」という言葉を使いました。しかし、これは恐ろしいものです。硬直的な「意味は意味、無意味は無意味」という大多数の思考停止と判断放棄も、それは自分で解釈する余地を残してしまえば、責任を取らねばならないという「自由」を恐れるがあまりの硬直化でしょう。あるいは、「無意味は意味、意味は無意味」というナンセンス礼賛、あるいはそこから生じるニヒリズムもまた同じものです。「メッセージの暴力性、定義され終えた意味の暴力性を批判していさえすれば自由だ」という発想自体は、それがどのようにその暴力性に虐げられてきたが故の態度であれ、やはり別の硬直化を招いていると言えるでしょう。

どくんごの劇はそのどちらも、超えていきます。無意味に思えることにこだわる劇中人物に、親しみといとおしみを感じさせ、意味があると思われる台詞と動きの横に、無意味な機械的運動をとりまぜ、我々が無意味と感じるものを頭では排除しながらもいかに、意味以外の部分で判断し、生きているかを感じさせます。それと共に、我々が意味と考えているものがいかに無意味なものに我々自身が貼り付けたレッテルでしかないこともまた、感じさせます。その上で、最後の場面では狂人の戯言としか思えていなかったものにも、深い意味を見出すことができることを、突きつけて行きます。そこで、私たちは気付かされるわけです。ある時代の常識は、別の時代の非常識であり、地球の常識は宇宙の非常識であるかも知れず、我々が定型的に判断しているその全てが実は、正しいもの、意味があるものにはなりえないのだということを。そして、何が正しいのか、何が意味があるのかなどは、誰にも分からないのだということを。別の時代、別の星からみればきわめて無意味な、滑稽なことに懸命に生きる我らは、劇中のどこかずれたことに懸命にこだわる彼らと同じであるのかも知れないということを。

しかし、どくんごの劇はただその批評性の根源的鋭さにとどまるのではありません。私たち自身の、そのような絶対的に立脚する基盤のない、標(しるべ)なき人生を歩まねばならない運命への共感に満ちています。押しつけるのでもなく、諭すのでもなく、攻撃するのでもなく、必死に生きる全ての者に寄り添った上で、彼らの劇はこう問いかけるかのようです。

「意味は無意味、無意味は意味。かといって無意味は無意味だし、意味は意味。さて、あなたはどれを選ぶ?」

もちろん、それはどの選択肢かが正解であるというわけでは、全くありません。正解など、誰にも分かるわけがありません。ただ、「それを自分で選ぼうよ。たった一度しかない君の人生なのだから、誰かのせいにしている暇はないよ。」ということです。「君の夢は、君しか見れない。」「僕の夢は、僕しか見れない。」という最後の場面での繰り返しは、私たちが確かな外部(神や国家、思想、科学その他何でもです)に依拠することは永遠に出来ないのだという絶望と、しかしそれは何よりも大きな希望でもある、ということの現れであるように思いました。自分のことを根源的には誰にも理解してもらえるはずがない、という社会的な絶望は、しかし、敗北と失敗にまみれるこの人類の歴史の中に、それでも自分が人生を懸けて取り組むべきテーマはある、少なくとも我々一人一人が違う夢を見て生きている以上は、という希望の裏返しであるのだと思います。

まあ、これもまた、僕の勝手な解釈であり、僕の「夢」であるのでしょう。「僕の夢は、僕にしか見えない。」正邪や正誤を判断する前に、まずはその夢の意味を一人一人が考え抜くことが大切だと思います。

ゲーデルの「不完全性定理」もまた、同時代の数学者を何人も自殺においやったとはいえ、それは絶望ではなく、希望であるのです。無矛盾性をを公理系の内部からは示すことができないからこそ、希望があるわけです。ここまでの数学全体も、あるいは人間の科学や思想の全体もまた、人類が見てきた一つの夢かもしれない。だからこそ、そこに価値を置くかどうかは、どこまでいっても一人一人の人間の判断が必要になる、という意味でそれは希望であるのです。

劇団どくんごの劇は、是非お薦めです。こんな小難しいことを言わないでも、誰でも見た後に、見る前よりも、自由になれることは確かです。もちろん、その新たに生じた「自由」を、見た人がうれしがるか、嫌がるかは人によって分かれるでしょうが。

来年、また東京公演があれば、是非見に行きたいと思います。
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