
今、こうやってブログにのせるために読み返してみると、ライブドアの堀江元社長がたくさんでてきていますね。これは、一つには当時の報道が彼についてあふれる中、どのように彼のようなrole modelに対して、alternativeな視点を提供できるかというつもりだったのですが、やはり、恨みがましくは読めてしまうかもしれないですね。全く恨みはありませんので、そのように読んでいただけると有り難いです。
第8回 小麦粉を混ぜずにソバは打てるのか
第8号です。今回は、小麦粉を混ぜずにソバは打てるのか、というテーマで書いていきたいと思います。
「人脈」という言葉があります。たとえばライブドアの堀江元社長が「東大には人脈を作るために通った」という趣旨の発言をしていました。この発言は東大生にみられる学習意欲のなさと彼自身の独自の視点を率直に暴露する言葉として有名になりました。ここでいう「人脈」とは本来人のつながりを意味するはずです。私達が「人脈」と呼ぶ物の中で、果たして人と人とのつながりと言えるものがどれだけあるといえるでしょう。学校の同級生は正確には、「学脈」でしょうし、近所の人は「地脈」であり、親族は一応血のつながりなんて物を考えると「血脈」であるのですから、そうやって他の要因によって結びついている物を取り除いていくと、「人と人としてつながる」という意味の「人脈」などほとんど残らないかもしれません。
話は変わりますが、僕は同窓会というものが大嫌いです。今までに1,2回出た後は全て黙殺してきました。また、僕の出た高校はOB会があって、僕は高校生の時に推薦でクラスの幹事にされたのですが、未だに一度もそのOB会に出たことがありません(全くひどい奴ですね)。しかし、それには僕なりの理由もあります。僕が同窓会に出ないのは、そのような関係性をつなごうとする動機自体に非常にいやらしい何かを感じるからなのです。
僕は高校生の時に「この同じクラスの奴らとこの先の人生で友達になることなんて、ないだろうな。」と感じながらつきあっていました。別に彼らが邪険にしてきたわけでもなく、彼らを僕が邪険にしたわけでもないのですが、しかし彼らとつきあい続ける必然性を自分にあまり感じなかったのです。また、彼らとその後付き合っているようではいけないと、自分に言い聞かせていた所もあります。たまたま同じ学校の同じクラスや同じ部活になった人と友達になる、ということが、どうしても許せない打算であるように思えたのでした。出会いのきっかけが嘘くさい、とでもいうのでしょうか。「友達ってそんなに気安いものじゃないだろう。本当に心からつきあえる友達以外に友達はいらない。」と思っていました。
大学に入ってからは同じ大学の人と大学に通っている間だけでも付き合いたくないと思うようになり、ほとんど人と付き合わなくなりました。もはや、話し合える言葉など何もないとしか思えないような相手、自分の人生を自分の打算でしか語れないような相手ばかりだったのです。(もちろん、自分もそんな相手と話すと「汚れる」と思っていたところがあり、それは僕の弱い心の現れでもありました。)「そんな「たまたま」友達なんか見つかってたまるか。もし「見つかる」としたら、それは自分が寂しさから妥協しているだけなんだ。」そのように思って孤独でなければならないと思っていたと言えるでしょう。(それなのに異性と付き合うことについては僕にかなりの妥協と打算があったことは、認めざるをえないお恥ずかしい話なのですが。)
もちろん、ここにはさらに深刻な問題があります。「たまたま同じ学校」と書きましたが、本当は、決して「たまたま」などではないということです。たとえば僕の通っていた高校は進学校でしたから、「たまたま同じ学校」であっても一人一人の意図する人生にはかなりの共通の偏りがありました。その偏りの中で、お互いが共通に持つこの社会への打算が僕達をつないでいたとしたら、はたしてそんなものが「友達」と言えるのでしょうか。
そのような心からのつながりでないつながりを利用しようと思えば、利用する自分もまた、よほど気をつけていたとしてもそのつながりの中でしか生きられない自分になってしまう恐れがあると思います。ここが難しいのです。冒頭の堀江元社長の言葉も、彼が何か新しい価値観を産み出していたわけではないことがよく現れています。「東大」という「学脈」を利用するぐらいのことから起こせる変化など、あまり大した変化ではないのです。
ソバ粉に小麦粉をまぜないとソバがつながりませんが、全部小麦にしてしまえば、それはそばではありません。それと同じく、つながりの中に心からの出会いがなければ、それはもはや人と人とのつながりではないけれども、心からの出会いのみを求めてしまうと、つながることなどできないのではないかと思ってしまうことが多いかもしれません。それほど、私達は、心以外のものによってつなぎ止められているが故に、自分からつながっていくことが難しくなっていると言えるでしょう。
しかし、切れているようで実はつながっているということもまた、あり得ると思います。森有正がパリにいながら日本と日本人の抱える問題点に命がけで取り組んだように、あるいはイラクにボランティアとして行き、人質になった高遠さんや安田さん、今井さん、イラクで殺された香田さんやジャーナリストの橋田信介さんやその助手の小川さんのように。日本で今のところアルカイダによるテロが起きていないのは、何も厳しい入国管理や厳重な警備のおかげなどではなく、安全な日本にいるみんなから非難されたりあきれられながらも、それでも危険なイラクに行っていた彼らのおかげであるかもしれません。つながって見えるものがつながっているとも限らず、またつながっていないように見えるものこそがつながっているかもしれないのです。反社会的であることが、全人類的であることもまた、ありうるのです。J.J.ルソーは「本当に祖国のことを思う人間は、祖国に住むことはできない」と言いましたが、日本の戦前を思い返せば、「非国民」こそが人間であったことは、わかりやすいのではないでしょうか。あのときの大衆と同じような過ちを僕達が犯していないとは、決して言えないのです。もちろん、ナチスの敗残兵をかくまったが故に同じ村の村人に殺された主婦に、後のフランス人が反省と追悼の意味を込めて、「あなたは私達以上にフランス人であり、人間であった。」といったその「フランス人」と同じような深さで「日本人」という言葉を使おうとしていくのならば、「国民」が「人間」に近づいていくこともまたできるはずなのですが、あのイラクへ行った人々へのバッシングを見る限り、こと日本においてはまだまだ、「国民」は「人間」の対義語のままであるのです。
ですから、せめて、自分がせせこましいつながりの中で、「人脈」ともよべないようなつながりに頼って生きていることが後ろめたいからという理由だけで、そうしたつながりを断ち切っては「外」へと出ていく人々を妬むことなど、止めたいし、止めてほしいと思うのです。もちろん、彼らにだって問題はあるでしょう。しかし、この卑近な「つながり」という名の鎖を断ち切って、誰かに、あるいは自分自身に出会おうと飛び出そうとするその姿勢自体は、やはり新たな人と人との心からのつながり、即ち本当の「人脈」を生み出すきっかけになるのではないでしょうか。そうした人々が自分たちに確かにもたらしてくれているその恩恵を、まずは深々と感じ取ることから、僕達の本当の「人脈」への道もまた、始まるのかもしれません。
「このソバは、うどんほどコシがない!」と言って怒るソバ屋の客はいないでしょう。ソバには、ソバの香り豊かさが、うどんにはうどんのしっかりとした味わいがあります。しかし、本当に鍛え抜かれた職人の技は、そのように材料の違いや比率を超えて、つながり得ないと思われる物をつなぎ、つながるしかないと思われる物をつなげずにおくことができるかもしれません。そのような「技」を鍛えていくことこそ、人間として生きることの全てを費やして悔いのない、心意気といえるのではないでしょうか。
人生の幕を閉じるとき、自分が何をつなげることができ、何にはつながらないでいられたかを振り返れば、僕達の「職人」としての技量の到達点を反省することができるでしょう。そのときに後悔のないように、頑張りましょう。
2006年7月1日
第8回 小麦粉を混ぜずにソバは打てるのか
第8号です。今回は、小麦粉を混ぜずにソバは打てるのか、というテーマで書いていきたいと思います。
「人脈」という言葉があります。たとえばライブドアの堀江元社長が「東大には人脈を作るために通った」という趣旨の発言をしていました。この発言は東大生にみられる学習意欲のなさと彼自身の独自の視点を率直に暴露する言葉として有名になりました。ここでいう「人脈」とは本来人のつながりを意味するはずです。私達が「人脈」と呼ぶ物の中で、果たして人と人とのつながりと言えるものがどれだけあるといえるでしょう。学校の同級生は正確には、「学脈」でしょうし、近所の人は「地脈」であり、親族は一応血のつながりなんて物を考えると「血脈」であるのですから、そうやって他の要因によって結びついている物を取り除いていくと、「人と人としてつながる」という意味の「人脈」などほとんど残らないかもしれません。
話は変わりますが、僕は同窓会というものが大嫌いです。今までに1,2回出た後は全て黙殺してきました。また、僕の出た高校はOB会があって、僕は高校生の時に推薦でクラスの幹事にされたのですが、未だに一度もそのOB会に出たことがありません(全くひどい奴ですね)。しかし、それには僕なりの理由もあります。僕が同窓会に出ないのは、そのような関係性をつなごうとする動機自体に非常にいやらしい何かを感じるからなのです。
僕は高校生の時に「この同じクラスの奴らとこの先の人生で友達になることなんて、ないだろうな。」と感じながらつきあっていました。別に彼らが邪険にしてきたわけでもなく、彼らを僕が邪険にしたわけでもないのですが、しかし彼らとつきあい続ける必然性を自分にあまり感じなかったのです。また、彼らとその後付き合っているようではいけないと、自分に言い聞かせていた所もあります。たまたま同じ学校の同じクラスや同じ部活になった人と友達になる、ということが、どうしても許せない打算であるように思えたのでした。出会いのきっかけが嘘くさい、とでもいうのでしょうか。「友達ってそんなに気安いものじゃないだろう。本当に心からつきあえる友達以外に友達はいらない。」と思っていました。
大学に入ってからは同じ大学の人と大学に通っている間だけでも付き合いたくないと思うようになり、ほとんど人と付き合わなくなりました。もはや、話し合える言葉など何もないとしか思えないような相手、自分の人生を自分の打算でしか語れないような相手ばかりだったのです。(もちろん、自分もそんな相手と話すと「汚れる」と思っていたところがあり、それは僕の弱い心の現れでもありました。)「そんな「たまたま」友達なんか見つかってたまるか。もし「見つかる」としたら、それは自分が寂しさから妥協しているだけなんだ。」そのように思って孤独でなければならないと思っていたと言えるでしょう。(それなのに異性と付き合うことについては僕にかなりの妥協と打算があったことは、認めざるをえないお恥ずかしい話なのですが。)
もちろん、ここにはさらに深刻な問題があります。「たまたま同じ学校」と書きましたが、本当は、決して「たまたま」などではないということです。たとえば僕の通っていた高校は進学校でしたから、「たまたま同じ学校」であっても一人一人の意図する人生にはかなりの共通の偏りがありました。その偏りの中で、お互いが共通に持つこの社会への打算が僕達をつないでいたとしたら、はたしてそんなものが「友達」と言えるのでしょうか。
そのような心からのつながりでないつながりを利用しようと思えば、利用する自分もまた、よほど気をつけていたとしてもそのつながりの中でしか生きられない自分になってしまう恐れがあると思います。ここが難しいのです。冒頭の堀江元社長の言葉も、彼が何か新しい価値観を産み出していたわけではないことがよく現れています。「東大」という「学脈」を利用するぐらいのことから起こせる変化など、あまり大した変化ではないのです。
ソバ粉に小麦粉をまぜないとソバがつながりませんが、全部小麦にしてしまえば、それはそばではありません。それと同じく、つながりの中に心からの出会いがなければ、それはもはや人と人とのつながりではないけれども、心からの出会いのみを求めてしまうと、つながることなどできないのではないかと思ってしまうことが多いかもしれません。それほど、私達は、心以外のものによってつなぎ止められているが故に、自分からつながっていくことが難しくなっていると言えるでしょう。
しかし、切れているようで実はつながっているということもまた、あり得ると思います。森有正がパリにいながら日本と日本人の抱える問題点に命がけで取り組んだように、あるいはイラクにボランティアとして行き、人質になった高遠さんや安田さん、今井さん、イラクで殺された香田さんやジャーナリストの橋田信介さんやその助手の小川さんのように。日本で今のところアルカイダによるテロが起きていないのは、何も厳しい入国管理や厳重な警備のおかげなどではなく、安全な日本にいるみんなから非難されたりあきれられながらも、それでも危険なイラクに行っていた彼らのおかげであるかもしれません。つながって見えるものがつながっているとも限らず、またつながっていないように見えるものこそがつながっているかもしれないのです。反社会的であることが、全人類的であることもまた、ありうるのです。J.J.ルソーは「本当に祖国のことを思う人間は、祖国に住むことはできない」と言いましたが、日本の戦前を思い返せば、「非国民」こそが人間であったことは、わかりやすいのではないでしょうか。あのときの大衆と同じような過ちを僕達が犯していないとは、決して言えないのです。もちろん、ナチスの敗残兵をかくまったが故に同じ村の村人に殺された主婦に、後のフランス人が反省と追悼の意味を込めて、「あなたは私達以上にフランス人であり、人間であった。」といったその「フランス人」と同じような深さで「日本人」という言葉を使おうとしていくのならば、「国民」が「人間」に近づいていくこともまたできるはずなのですが、あのイラクへ行った人々へのバッシングを見る限り、こと日本においてはまだまだ、「国民」は「人間」の対義語のままであるのです。
ですから、せめて、自分がせせこましいつながりの中で、「人脈」ともよべないようなつながりに頼って生きていることが後ろめたいからという理由だけで、そうしたつながりを断ち切っては「外」へと出ていく人々を妬むことなど、止めたいし、止めてほしいと思うのです。もちろん、彼らにだって問題はあるでしょう。しかし、この卑近な「つながり」という名の鎖を断ち切って、誰かに、あるいは自分自身に出会おうと飛び出そうとするその姿勢自体は、やはり新たな人と人との心からのつながり、即ち本当の「人脈」を生み出すきっかけになるのではないでしょうか。そうした人々が自分たちに確かにもたらしてくれているその恩恵を、まずは深々と感じ取ることから、僕達の本当の「人脈」への道もまた、始まるのかもしれません。
「このソバは、うどんほどコシがない!」と言って怒るソバ屋の客はいないでしょう。ソバには、ソバの香り豊かさが、うどんにはうどんのしっかりとした味わいがあります。しかし、本当に鍛え抜かれた職人の技は、そのように材料の違いや比率を超えて、つながり得ないと思われる物をつなぎ、つながるしかないと思われる物をつなげずにおくことができるかもしれません。そのような「技」を鍛えていくことこそ、人間として生きることの全てを費やして悔いのない、心意気といえるのではないでしょうか。
人生の幕を閉じるとき、自分が何をつなげることができ、何にはつながらないでいられたかを振り返れば、僕達の「職人」としての技量の到達点を反省することができるでしょう。そのときに後悔のないように、頑張りましょう。
2006年7月1日



