
古い話題です。このブログには、お薦めのmusician(僕はartistなどと呼びません。musicianという名に誇りを持てない人にartがわかるわけがないでしょうから)についても、いずれ書いていきたいと思っています。
第7回「ここではない、どこか」は、本当に「ここ」ではないのか。
ご無沙汰しております。嚮心塾通信の第7号です。さて、今回のテーマは「ここではないどこか」って本当に「ここ」ではないの?ということです。相変わらず訳がわかりませんで、すみません。順を追って話していきましょう。
6,7年前ですか、ロックバンドのGLAYが『ここではない、どこかへ』という曲を発表し、当時まだ(一応)大学生だった僕も聞いた覚えがあります。そのときに、「随分とあいまいな曲だな。まあ、こういう気持ちもわからんでもないが。」と思いながら聞いていました。その後、何かの折りにテレビ番組の中で彼らの同郷の先輩でもある歌手の松山千春さんが、GLAYの楽曲について「曲はいいんだけど、詞がいまいちだな。」と言っているのを見て、やっぱりそう思う人も多いんだな、と思ったことも覚えています。(もちろん僕は、Mr.CHILDRENであろうとサンボマスターであろうと、「曲はいいんだけど、詞がいまいちだな。」と言っているので、この僕の感想は単に自分に見える部分は吟味し、自分に見えない部分は深く吟味することができないでいるだけであるのかもしれません。)
そのGLAYの曲自体は「ここ」の閉塞感に苦しむが故に、「ここ」を出ようとするその姿勢を勇気づけようとする歌でした。しかし今考えれば、「ここではないどこかってどこ?」と、揚げ足取りでなく、問い返す冷静さこそが大切であると思います。
それには次のような思いもあります。僕の生家の最寄り駅では、今、駅前の再開発と道路拡張のために長年そこで営業していた商店がすべて閉店していっています。中には30年間、35年間と営業していたお店もざらにありました。どれも僕にとっては店のご主人の顔が浮かんでくるお店ばかりでした。僕自身、塾を開業してから、その地に根付き、人間関係を築いていくことがどれほど無形の財産になっているのかということに改めて気づかされましたし、それ故に「再開発」の名の下にまたのっぺらぼうみたいなどこぞの有名なチェーン店が、高くて使いにくいビルに入って来ることで、古くからの商店がつぶれるというのは、とんでもない暴力であると改めて思うようになりました。また、今僕が住んでいる日暮里の近くにも少し前までは駄菓子の問屋街がありましたが、それも日暮里駅前の再開発事業で立ち退きを余儀なくされ、ほとんどの駄菓子問屋が廃業してしまいました。そしてここに造られるビルにもまた、のっぺらぼうみたいなどこぞの有名チェーン店が入り、日暮里の町ものっぺらぼう化していきます。(もちろん、チェーン店のすべてがいけないのではありません。店長さんやオーナーさんの頑張りによって、顔のあるチェーン店もたくさんあります。しかし、このように顔のある商店を立ち退かせる再開発によってできるチェーン店は、ほぼ例外なく顔のないチェーン店しかできようがないのです。根付いた物をねこそぎなくしてしまった後に、再び新たな物を根付かせていこうとすることはできないからです。その新しいお店は、その便利さに人々が頼ることで存続するだけでしょう。)
この愚かしさに激しい怒りを覚えると共に、僕は経済学者の宇沢弘文さんが『成田とは何か』という著書の中で書いていらしたことを思い出しました。成田空港を建設する際に、あの地で反対運動をしていた農家の方々を支えていた思いは、「金を払うから立ち退け、といわれても、この土は金なんかじゃ買えない。」という思いだったそうです。もともと、あの辺り一帯は、地味も豊かではなく、彼らの祖父母や両親が懸命に耕作や客土をすることで、何十年もかけて必死に耕地を作っていたのだそうです。 それを「金を払うから立ち退け。」「成田空港の建設は国策だから協力しろ。」「この金でもっと広い農地が買えるだろう。」「さんざんにごねて、もっと金をふんだくろうとしてるのではないか。」などという見方をされて、むりやりに土地を奪われて、あるいはもうその用地買収に応じるしか道がない所にまで追い込まれていったのです。
今、このことを振り返るに、彼ら農家の方々の方が遙かに賢く、遙かに大切な物をしっかり見ることができていたと言えると思います。耕して耕して肥沃にした土は、決して買うことができません。他の所から肥沃な土を持ってくればいいですって?そのような「他の所」がいつまでも存在すると信じることが楽観的に過ぎるでしょう。国際分業の結果として日本で農業が衰退し、かといって途上国の農産物は安く買いたたかれるが故に、途上国でも農業を維持するだけの力がなくなる日が、本当にこないと言えるのでしょうか。そのときには、肥沃な土をつぶしてできた成田空港から、海外の貴重で高価な肥沃な土を輸入する、という皮肉な事態も起こるかもしれませんね。
土は買えません。同様に関係性も買えません。なのにそれらは、目に見えないというだけで、市場で評価可能な物によって圧迫され、駆逐されていってしまっているのです。(ホリエモンの「金で買えないものはない」という言葉にも、ちゃんと「あなたには金で買える物しか目に入らないだけで、それは自分の目の怠惰さや愚かさかもしれないでしょう。かわいそうに。」と教えてあげたらよかったのですが。)
その愚かしさと共に、しかし、ここには考えねばならない点があります。都市の再開発が必ず道路の縮小ではなく拡張を伴うのはなぜか。それはやはり農地をつぶして空港を造るように、「ここではないどこか」へと通じる「道」を作っては、それによって何かが改善することを期待するという態度があるのではないでしょうか。その、「開発」といいながら、実はとても他力本願な態度こそが、「『ここではないどこか』に道を通じさせようとしているのだから、今、目の前で踏みつぶしているものの有り難みも痛みも考えないでいいのだ。」という態度をうみだしているのかもしれません。これはまた、「改革には痛みが伴う」とか「改革なくして成長なし」みたいなキャッチフレーズと同じ精神構造です(「改革」(再開発)のためなら目の前の痛み(商店街や土の荒廃)も仕方がない、という論法です。でも本当にそれでこの社会が豊かになるのでしょうか。そのこと自体については思考停止している所が「他力本願」であるのです)。こうしてみると、そのような他力本願で無責任な態度は別に小泉首相が始めた物ではなく、むしろずっと昔からこの国にあるもののようです。もちろん、それをここまで蔓延させたことは彼にもその責任の大きな一端があることは確かです。
このように、高度成長期の頃と相も変わらず、私達は大切な物を破壊しては愚にもつかない物を作っています。ただそれに今は気づいていないだけであるのです。中身のある物、かけがえのない物を必死に壊しては、どこに通じるのかもよくわからない「道」をつくっています。インターネットもその「道」の一つでしょう。そしてそれは、自分が生きるに値する目的など、何も持ち得ていないのに、ひたすら自分の生きる「道」を確保しようとするエゴイズムとも奇妙に一致しています。
教育もまた、生きるに値する人間を育てることなく、ただ生きていく術(「道」)のみを鍛えています。豊饒な土地である人間の精神にコンクリートでふたをして滑走路を造っては、「役に立つようになった」と喜んでいる、そんな滑稽で悲惨なイメージから「離陸」することが、どれぐらいの親や教育者にできていると言えるのでしょうか。自戒の念を込めて、このことを言挙げしなければなりません。
評論家の加藤周一さんが以前、テレビで「借景」の話をしていました。「借景」とは、遠くに望む山々を、その庭園から「借りて、見る」ことでその庭園自体の美しさとするものです。しかし、借りたくなるような「景色」は、そのような我々の愚かしさによってどんどん死滅していっているのですから、私達はその「景色」を守らねばなりません。それは自然であれ、景観であれ、豊かな土であれ、人と人との顔の見えるふれあいであれ、あるいは人の心自体であれ、です。
「ここではない、どこかへ」思いをはせることでむしろ目の前で起きている暴力に目を閉ざすのではなく、目の前で起きている暴力にもっと気づくことができるように自分の目を鍛えていきたいものです。そして「ほかのどこでもない、ここで」起きていることに何とか責任を取ろうとしていく、それはちょうど夜勤でたった一人当直のお医者さんの下に、命に関わる重症患者が運ばれてきたときのような心持ちで、何とか責任を取ろうしていくことが大切なのだと思います。一人一人がそのように取り組むことから、借りることのできる豊かな「景色」を守ることができるのではないかと思っています。
そして、「ほかのどこでもない、ここで」起きることに死にものぐるいで取り組み、自分の見落としによってそれを見捨ててしまうことがないかどうか悩み続ける態度の方がむしろ、「ここではないどこかへ」胸を焦がすことよりも、よほど閉塞感に詰まる「ここ」を抜け出すことにつながっていくのではないかとも考えています。閉塞感がナショナリズムなどの様々な暴力を生みつつある今こそ、どこへいくかもわからない空想に胸を焦がすことなく、目の前のものをじっと見つめて、取り組んで行かねばならないでしょう。 2006年6月1日
第7回「ここではない、どこか」は、本当に「ここ」ではないのか。
ご無沙汰しております。嚮心塾通信の第7号です。さて、今回のテーマは「ここではないどこか」って本当に「ここ」ではないの?ということです。相変わらず訳がわかりませんで、すみません。順を追って話していきましょう。
6,7年前ですか、ロックバンドのGLAYが『ここではない、どこかへ』という曲を発表し、当時まだ(一応)大学生だった僕も聞いた覚えがあります。そのときに、「随分とあいまいな曲だな。まあ、こういう気持ちもわからんでもないが。」と思いながら聞いていました。その後、何かの折りにテレビ番組の中で彼らの同郷の先輩でもある歌手の松山千春さんが、GLAYの楽曲について「曲はいいんだけど、詞がいまいちだな。」と言っているのを見て、やっぱりそう思う人も多いんだな、と思ったことも覚えています。(もちろん僕は、Mr.CHILDRENであろうとサンボマスターであろうと、「曲はいいんだけど、詞がいまいちだな。」と言っているので、この僕の感想は単に自分に見える部分は吟味し、自分に見えない部分は深く吟味することができないでいるだけであるのかもしれません。)
そのGLAYの曲自体は「ここ」の閉塞感に苦しむが故に、「ここ」を出ようとするその姿勢を勇気づけようとする歌でした。しかし今考えれば、「ここではないどこかってどこ?」と、揚げ足取りでなく、問い返す冷静さこそが大切であると思います。
それには次のような思いもあります。僕の生家の最寄り駅では、今、駅前の再開発と道路拡張のために長年そこで営業していた商店がすべて閉店していっています。中には30年間、35年間と営業していたお店もざらにありました。どれも僕にとっては店のご主人の顔が浮かんでくるお店ばかりでした。僕自身、塾を開業してから、その地に根付き、人間関係を築いていくことがどれほど無形の財産になっているのかということに改めて気づかされましたし、それ故に「再開発」の名の下にまたのっぺらぼうみたいなどこぞの有名なチェーン店が、高くて使いにくいビルに入って来ることで、古くからの商店がつぶれるというのは、とんでもない暴力であると改めて思うようになりました。また、今僕が住んでいる日暮里の近くにも少し前までは駄菓子の問屋街がありましたが、それも日暮里駅前の再開発事業で立ち退きを余儀なくされ、ほとんどの駄菓子問屋が廃業してしまいました。そしてここに造られるビルにもまた、のっぺらぼうみたいなどこぞの有名チェーン店が入り、日暮里の町ものっぺらぼう化していきます。(もちろん、チェーン店のすべてがいけないのではありません。店長さんやオーナーさんの頑張りによって、顔のあるチェーン店もたくさんあります。しかし、このように顔のある商店を立ち退かせる再開発によってできるチェーン店は、ほぼ例外なく顔のないチェーン店しかできようがないのです。根付いた物をねこそぎなくしてしまった後に、再び新たな物を根付かせていこうとすることはできないからです。その新しいお店は、その便利さに人々が頼ることで存続するだけでしょう。)
この愚かしさに激しい怒りを覚えると共に、僕は経済学者の宇沢弘文さんが『成田とは何か』という著書の中で書いていらしたことを思い出しました。成田空港を建設する際に、あの地で反対運動をしていた農家の方々を支えていた思いは、「金を払うから立ち退け、といわれても、この土は金なんかじゃ買えない。」という思いだったそうです。もともと、あの辺り一帯は、地味も豊かではなく、彼らの祖父母や両親が懸命に耕作や客土をすることで、何十年もかけて必死に耕地を作っていたのだそうです。 それを「金を払うから立ち退け。」「成田空港の建設は国策だから協力しろ。」「この金でもっと広い農地が買えるだろう。」「さんざんにごねて、もっと金をふんだくろうとしてるのではないか。」などという見方をされて、むりやりに土地を奪われて、あるいはもうその用地買収に応じるしか道がない所にまで追い込まれていったのです。
今、このことを振り返るに、彼ら農家の方々の方が遙かに賢く、遙かに大切な物をしっかり見ることができていたと言えると思います。耕して耕して肥沃にした土は、決して買うことができません。他の所から肥沃な土を持ってくればいいですって?そのような「他の所」がいつまでも存在すると信じることが楽観的に過ぎるでしょう。国際分業の結果として日本で農業が衰退し、かといって途上国の農産物は安く買いたたかれるが故に、途上国でも農業を維持するだけの力がなくなる日が、本当にこないと言えるのでしょうか。そのときには、肥沃な土をつぶしてできた成田空港から、海外の貴重で高価な肥沃な土を輸入する、という皮肉な事態も起こるかもしれませんね。
土は買えません。同様に関係性も買えません。なのにそれらは、目に見えないというだけで、市場で評価可能な物によって圧迫され、駆逐されていってしまっているのです。(ホリエモンの「金で買えないものはない」という言葉にも、ちゃんと「あなたには金で買える物しか目に入らないだけで、それは自分の目の怠惰さや愚かさかもしれないでしょう。かわいそうに。」と教えてあげたらよかったのですが。)
その愚かしさと共に、しかし、ここには考えねばならない点があります。都市の再開発が必ず道路の縮小ではなく拡張を伴うのはなぜか。それはやはり農地をつぶして空港を造るように、「ここではないどこか」へと通じる「道」を作っては、それによって何かが改善することを期待するという態度があるのではないでしょうか。その、「開発」といいながら、実はとても他力本願な態度こそが、「『ここではないどこか』に道を通じさせようとしているのだから、今、目の前で踏みつぶしているものの有り難みも痛みも考えないでいいのだ。」という態度をうみだしているのかもしれません。これはまた、「改革には痛みが伴う」とか「改革なくして成長なし」みたいなキャッチフレーズと同じ精神構造です(「改革」(再開発)のためなら目の前の痛み(商店街や土の荒廃)も仕方がない、という論法です。でも本当にそれでこの社会が豊かになるのでしょうか。そのこと自体については思考停止している所が「他力本願」であるのです)。こうしてみると、そのような他力本願で無責任な態度は別に小泉首相が始めた物ではなく、むしろずっと昔からこの国にあるもののようです。もちろん、それをここまで蔓延させたことは彼にもその責任の大きな一端があることは確かです。
このように、高度成長期の頃と相も変わらず、私達は大切な物を破壊しては愚にもつかない物を作っています。ただそれに今は気づいていないだけであるのです。中身のある物、かけがえのない物を必死に壊しては、どこに通じるのかもよくわからない「道」をつくっています。インターネットもその「道」の一つでしょう。そしてそれは、自分が生きるに値する目的など、何も持ち得ていないのに、ひたすら自分の生きる「道」を確保しようとするエゴイズムとも奇妙に一致しています。
教育もまた、生きるに値する人間を育てることなく、ただ生きていく術(「道」)のみを鍛えています。豊饒な土地である人間の精神にコンクリートでふたをして滑走路を造っては、「役に立つようになった」と喜んでいる、そんな滑稽で悲惨なイメージから「離陸」することが、どれぐらいの親や教育者にできていると言えるのでしょうか。自戒の念を込めて、このことを言挙げしなければなりません。
評論家の加藤周一さんが以前、テレビで「借景」の話をしていました。「借景」とは、遠くに望む山々を、その庭園から「借りて、見る」ことでその庭園自体の美しさとするものです。しかし、借りたくなるような「景色」は、そのような我々の愚かしさによってどんどん死滅していっているのですから、私達はその「景色」を守らねばなりません。それは自然であれ、景観であれ、豊かな土であれ、人と人との顔の見えるふれあいであれ、あるいは人の心自体であれ、です。
「ここではない、どこかへ」思いをはせることでむしろ目の前で起きている暴力に目を閉ざすのではなく、目の前で起きている暴力にもっと気づくことができるように自分の目を鍛えていきたいものです。そして「ほかのどこでもない、ここで」起きていることに何とか責任を取ろうとしていく、それはちょうど夜勤でたった一人当直のお医者さんの下に、命に関わる重症患者が運ばれてきたときのような心持ちで、何とか責任を取ろうしていくことが大切なのだと思います。一人一人がそのように取り組むことから、借りることのできる豊かな「景色」を守ることができるのではないかと思っています。
そして、「ほかのどこでもない、ここで」起きることに死にものぐるいで取り組み、自分の見落としによってそれを見捨ててしまうことがないかどうか悩み続ける態度の方がむしろ、「ここではないどこかへ」胸を焦がすことよりも、よほど閉塞感に詰まる「ここ」を抜け出すことにつながっていくのではないかとも考えています。閉塞感がナショナリズムなどの様々な暴力を生みつつある今こそ、どこへいくかもわからない空想に胸を焦がすことなく、目の前のものをじっと見つめて、取り組んで行かねばならないでしょう。 2006年6月1日



