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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

試行錯誤のはてに。

ご無沙汰しております。長く厳しかった受験シーズンもようやく大詰めを迎えています。
ここからの国公立前期試験の発表と後期試験をまつだけです。

今年の受験を終える前に、先にこれを書いておきたいと思いました。今年も様々な受験生を鍛え、その一人一人に様々に苦しみました。しかし、なかなか勉強に向き合えておらずに結果を出せていなかった一人の受験生が、最後になってかなり真剣に勉強し、しっかりと第一志望の大学に合格できたことはその中でも本当にうれしいことでした。

もちろん苦い思いもあります。その受験生をお預かりしたのは2年間という長い期間であったこと、その中でなかなかに結果が出せず、何度も本人と話し合ってはそれでもうまくいかなかったこと。もちろん受験した中では第一志望であったとしても、そもそも彼のポテンシャルからすればもっといくらでも勉強さえすればより難しい大学に行けたこと。後悔は尽きません。

しかし、それでも受験直前になって彼の目の色が変わったこと、今まで口を酸っぱくして言っていた基本的な勉強から積み重ねていくことの必要性がようやく本人にも理解できたことは、本当にうれしいことでした。

僕たちが一生懸命に生きようと、大きな声をだし、喉をからして叫ぼうと、他の人に影響を与えることができるなどと夢想するのはおこがましいことなのかもしれません。また、伝わったと感じたこの瞬間の喜びも所詮は錯覚で、いずれまたなにかに気づいてもらえたと思った相手もまたそんなことは忘れていきていくのかもしれません。しかし、それでも言わずにいられないし、叫ばずにはいられない。いや、言ったり叫んだりが定型的な愛情表現故にかえって生徒たちの心をかたくなに閉ざすしかないのであれば、言わずにいられなかったり、叫ばずにいられないことすらも自分の中で圧し殺し、少しずつオブラートに包みながら小出しに伝えていくしかない。自らの思いやりを徹底的に見殺しにされる覚悟をもてたと確信して、僕は教育という道を選んだつもりでした。しかし、教え続ける度に、自分のその最初の想定がいかに甘かったか。僕自身がどんなに相手に冷やされようと、相手を暖め続けることがどれだけ大変か、ということを思い知らされています。

今年もまた、様々な点でそれを思い知らされました。必死に教えたにも関わらず、悔いの残る受験をさせてしまった受験生もいます。しかし、冒頭にあげた受験生のように、少しでも何となく怠惰にすぎていく一人一人の人生に
楔をうつことができるのなら、僕はやはり、この仕事を続けていかなければならないのだと感じています。

塾というのは当然合格実績で判断されるものです。そのことは仕方のないことなのですが、この塾の本質は決して華やかな合格実績にはありません。合格していった彼らは、もちろん本人の努力と、適切な指導者がいればこの塾でなくても、誰かができたことだと思います。あるいは、勉強に向き合えない子を丹念に待ち続け、少しずつ鍛えることも、またどこかのよい塾ではやっていることでしょう。しかし、その両者が机を並べて勉強するという環境は、僕はこの塾以外にはなかなかないと思います。その両者が「机を並べて勉強した」ということの意味を塾生たちが気づけるようになるその日まで、細々とでもしっかりと塾を続けていきたいと思います。
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