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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

通信第6号

この回は、再び架空のインタビュー形式です。この形式は時間がかかる割に、踏み込んで掘り下げるのが難しく、最近はこの形式で書くのをさぼってしまっていますが、また書きたいとは思っています。



第6回 なぜ電車の中で携帯電話で話すのか。~その一~

間隔は空きましたが、どっこいまだまだ続けちゃう嚮心塾通信です。今回は突撃インタビューの第2弾として、電車の中で携帯電話で話す人へのインタビューを試みました。彼らや彼女らがなぜ話すのか、少しでもその原因がわかれば良いと思います。

僕 「あ、早速携帯電話で話している女性がいました。話し終えてからインタビューしてみますね。すみませーん。」
女性「………。」
僕 「あ、いえ。ナンパをしているのでも、怪しいものでもありません。ちょっとお聞きしたいのですが、今、電車の中で携帯電話で話していましたよね。」
女性「(キッとにらんで)何よ、謝れとでも言うの?」
僕 「いえいえ、そういうわけではないんです。ただ、なぜ携帯電話を電車の中で使うんですか。たとえば社内アナウンスでも「車内での通話はご遠慮ください」といってますし、そうでなくてもこの閉じた空間の中で電話でしゃべれば迷惑なことぐらい少し考えればわかるでしょう。また、心臓にペースメーカーを入れている人々にとってはその携帯電話の電磁波でペースメーカーが乱れて、死に至ることだってあるそうです。それなのに、なぜ使うんですか。」
女性「はい、はい。私が悪かったです。もうしません。これでいい?」
僕 「そういうことは言っていません。なぜ使ったのかを聞いているんですが。」 
女性「だって…仕方がなかったから。友達との大切な約束に遅れちゃって、どうしても連絡しなきゃいけなかったの。」
僕 「なるほど。どうしても仕方がなかったんですね。たとえばその友達との約束を反故にするよりは、周りで誰が不快になろうと、誰が死のうと、そんなことは大したことではないということですね。」
女性「そう言われると、いやだけど。少なくとも、私にとっては、そうかも。」
僕 「私にとっては、とはどういう意味ですか。」
女性「だって、この電車で偶然一緒に乗り合わせた人にいくら嫌われても別に痛くもかゆくもないけど、大切な友達に約束も守れないような人間だって思われることは本当に辛いから。」
僕 「なるほど。少しわかってきました。つまり、あなたは自分勝手だから携帯電話で話したのではなく、あなたに待たされ、その末にはあなたという親友に裏切られて傷つくであろう相手のために携帯電話を使ったということですね。」
女性「ええ。そういってもらえると少しは気が楽になるけど…。」
僕 「でも、ここにいる大勢の人達は、あなたにとってつきあっている相手ではないから、その人達のことを心配する必要はない、仮に心配するとしてもあなたが親しくつきあっている相手のことを優先して良い、そう思っているということですね。」
女性「『優先して良い』とまでは言わないけど、優先したくはなるし、実際に優先してしまうことが多いかも。」
僕 「それはなぜですか。」
女性「だって。自分が相手のことを思いやったときに、ちゃんとそれをわかってくれてその思いやりを評価してくれる相手がいいもの。もし大切な友達との関係がうまくいかなくなったとしても、それでもこのまわりの私に無関係な人のことを思いやってここで携帯電話で話すのを我慢したとしても、一体誰が私のその、身を切るような思いやりに気づいてくれるって言うのよ。そんなことより、ここで多少冷たい目で見られても、友達には私がちゃんと約束を大切にする信頼できる人間だって思ってもらえる方がいいじゃない。」
僕 「なるほど。先に、僕は『あなたは自分勝手ではない』と言いましたが、少し違ったようですね。」
女性「どうしてよ。」
僕 「あなたは自分の思いやりが評価されることを求めている。その意味で、『私が思いやることをちゃんと評価して私のことも思いやってよ』という気持ちがあるように思います。つまり、愛されたがっているんですよ。」
女性「そんなの、当たり前じゃない。」
僕 「いや、当たり前ではいけません。そのようなあなたの振る舞い、つまり自分の相手には優しく、他の人々には冷たいというその態度のもたらす結果は、たとえば家族を守るために中国人や朝鮮人を殺すというものではないのですか。イスラエル軍がユダヤ人を守るためにパレスチナ人を殺すのも同じです。戦争はまさにあなたのような態度から生まれるのではないですか。」
女性「そう言われてみれば、確かにそうかもしれないけど…。でも、人間はそんなに強くないし。思いやることだって、その見返りがほしいのよ。その見返りはものとかお金じゃなくたっていいけど、せめて気持ちだけでも見返りがほしいじゃない。」
僕 「それはそうです。自分の思いやりを理解してもらえる相手を大切にしたい、というのは間違っていないと思います。思いやりの有り難みもわからない人間を無理して思いやり続けることなど、豚に真珠かもしれませんしね。でも、そこに自分がその見返りを期待する、つまり自分のかけている思いやりをわかってほしいという気持ちが入ってしまうことが問題であると思うのです。そのように思えば、どうしても相手を限定して狭い範囲の人々と思いやりの交換をすることで優しくあろうとする気持ちも、愛されたいという欲求も満たされてしまうからです。」
女性「それだったら、何がまずいの?満たされてるんだからいいじゃない。」
僕 「それならたとえば、あなたが今ここにいる人々に自分の思いやりが理解してもらえないとあきらめているのはなぜですか。それはあなたの思いこみであり、そのことがあなたの優しさをある狭い範囲にとどめているのに、それでもあなたは満足してしまっているではないじゃないですか。その満足が、やさしさの限界を作るのです。『家庭の幸福は諸悪の元だ』とか誰か(編集部注:太宰治。彼の『家庭の幸福』という小文にある)も言ってたじゃないですか。」
女性「そんなこと言われたって…。じゃあ、あなたは、あの、向かいに座っていやな顔して私を見てた、あのおじいさんやおばあさん達の方が正しいって言うの。」
僕 「いいえ。」
女性「あの人達は口を開けば、『最近の若い子は公共の精神がない』とか『廉恥心がない』とか『思いやりがない』とかいうけど、あの人達だって、昔だったらそんなことをすれば村八分みたいに周りからのけ者にされて生きていけないから、他の見知らぬ人の前でそういうことをしなかっただけじゃない。」
僕 「それは、あなたのおっしゃるとおりです。彼らや彼女らに別に思いやりが多いわけではない。ただ彼らはそのように世間を広く取ってそこをも思いやることが、現実に生きていくために必要であるからそのようにしてきただけです。別にそれは思いやりではなく、単なる打算でしょう。だから侵略戦争にも平気で賛成できたのです。それなら、彼らの「世間」の中には苦しむ人はいないのですからね。その「世間」をどんなに広く取ろうと、「世間を大切にしなければ自分たちが生きていけない」から「世間」を大切にするのでは、そしてそれは「世間」が「世界」という語になろうと、「地球」という語になろうと、「宇宙」という語になろうと、それはやはりエゴイズムでしかありません。自己を含まない他者を思いやること以外に愛という名はふさわしくないのです。ベルグソンも言っていました。「家族への愛や国家への愛という二つと、人類への愛とは、量的に違うのではなくて質的に決定的な違いがあるのだ。」(編集部注:ベルグソンはフランスの哲学者・思想家。この言葉に似た意味は『道徳と宗教の二源泉』の中にある)とね。」
女性「ほら、だから、あなたの言うような思いやりなんて昔からなかったんじゃない。だから、わざわざその人だってそんなこと言わなきゃいけなかったんでしょう。」
僕 「今までにないから、という理由であきらめて良いわけではないでしょう。人間の歴史がエゴイズムという汚辱にまみれたものだとしても、それを何とか変えていこうとすることもできるのですから。」
女性「……。あなた、友達いないでしょう?」
僕 「それはそうですが……。それでも数は少なくても話し合える友達だけがほしいんです。ですから、まずは僕と一緒にお茶でも飲みながらもっとお話ししませんか。」
女性「ほら、しっぽを出した。そんなに偉そうなことを言っておいて、結局、私の気を引きたいだけなんでしょう。自分が愛されるためにみんなを犠牲にするのも良くないけれど、みんなを愛している姿勢を見せることで自分を愛してもらおうとするのもやっぱり卑怯なエゴイズムなんじゃない?さようなら。」
僕「確かに……。」

 最後の最後に少し下心がでてしまいました。まだまだ反省すべき点が多いです。しかし、伝えたかったことは話せたように思います。
問題の本質は、それを助長する機械(携帯電話)やその動きに取り込まれている一人一人(若い人たち)に責任を押しつけてしまえば、かえって見えなくなってしまいます。もちろん流れに飲み込まれるだけの彼らにも責任はありますが、この社会全体が考えてこなかった未熟で幼稚な部分について、もっと一人一人が考えて行かねばならないことを強調する方がむしろ必要なことであると思います。眉をひそめて「マナーの悪い」彼らを見るときには、ここで描いたような精神構造が自分の中にもないか、自分自身にも眉をひそめながら反省してみることが大切です。その上で、しっかりと注意していきましょう。

(このインタビューは、うちの奥さんの目が怖いので、一応フィクションとさせていただきます。フィクションの方が、真実を描くことも多々あるのですから、ご勘弁を。)                           2006年5月3日

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